元銀行員の生き残り戦略としての地方移住のプログで思ったこと
(田舎志向と都会志向)
元銀行員のプログ
●産業革命による世界的異常な人口の増加
1802年 10億人
1927年 20億人
1961年 30億人
2015年 73億人
人口が日本の戦後から世界で倍増している、グラフをみても人口は世界で増えていない
産業革命があり突然鰻上りに増加した
日本でも江戸時代は3000万とか明治で4000万とか大正で6000千万でありその時東京は百万くらいでありそれで都会まで讃歌されていた時代があった
その時の人口でいうと新潟県の人口の方が東京より多かったのである
まずこの人口からして産業革命のもたらした影響は甚大だった
これだけの人口が増えるということは世界でも地球環境でも計りしれない影響を及ぼしたのである、だから少子高齢化というけど人口が減ることはこうして極端に増えたことの揺り戻しであり異常ではないともみる
要するに世界的にみてもグロ−バル経済となり世界的環境破壊が起きても当然だった
そこに資本主義が絶大な力を世界で振るうようになった
それが世界的環境破壊になった、貴重な熱帯林でも破壊されてオランウータンの住む森が破壊されて住めなくなったとかある
木材資源として森は切られたのである、またそういう技術があり根こそぎ森が破壊されることにもなった
原発でも二酸化炭素を出さないとか言われたが事故でわかったように環境を致命的に破壊して人を住めなくしたのである
ここで多国籍グローバル企業が国より大きな力をもち開発した
その多国籍企業に資本主義によるマネーが流れたのである、そこに銀行も投資した
銀行はグロ−バル経済の中で投資されるのと地銀とかとは別である
メガパンクだと武器製造会社とか悪徳ビジネスといわれたものにも投資して株主となりもうけたとかある
そして今なぜ資本主義が行き詰まっているのか?
それは当然ではなかったか?もうこれだけ人口が増えて環境破壊もされるとき地球が悲鳴を上げているとなる、地球の資源は限界でありこれ以上資本を投下して開発したらもう住めなくなるとまでなる
人口も限界にきている、何か地球全体で成長とか発展は望めなくなっているのだ
だから必然的にダウンサイジング縮小経済に向かわざるを得なくなる
これ以上経済成長することは地球で許容できないところにきているからだ
すると銀行が投資先がなくなるとか用がなくなるということはまさにそれを示している
資本主義と銀行は密接に一体化していたからである
資本を投下する、資金を集めて投資するという資本主義の基本ができない状態になっているからだ、それで銀行はいらないというときそれは資本主義が限界にきているからだ
むしろ江戸時代のような小規模の助け合いのような頼母子講とかの金融が別な形で必要となる時代である、それは中世への逆戻りだということにもなる
●田舎志向が増える時代?
田舎志向が増えるという時、都会より田舎へ心でもシフトしてゆく、モノより精神的豊かさを求めて田舎志向になる時代ともなる
つまり経済成長とか量だけで計る経済から質で計る経済生活を志すとき田舎志向になる
もともと林秀彦が言っているように大陸国家は量の文化であり日本は質の文化だとてしている、大陸国家は中国でもあれだけ人が多ければ数で圧倒する国である
その大陸の広さと量で圧倒する文化になる、それは大陸で共通している
日本のような狭い国では質を追及するとういのもわかる
細部にこだわるというのもそうである、巨大な神殿とか大聖堂は建てられないのである
奇妙なのは都会人に強烈に田舎に憧れて田舎志向になる人がいる、山尾三省などがそうだった、こういう人は田舎に住んでいる人より田舎志向になる
都会が嫌になり田舎を渇望してパンすら贅沢だとしていた、最低の原始的生活をして妻も本人も60数年で死んだ、今なら早いとなる、それだけ過酷だったともなる
こういうふうに強烈に都会に住んでいたものが田舎志向になる
逆に田舎の人間が都会志向になる、東京に憧れる、そして現実は田舎に住んでいる人は都会志向が多いのである、なぜなら田舎の人は東京と同じような生活をしたいとして家と車を競っているからである
家でも借金しても立派な家を建てる、クルマでもいいものを持ちそれが田舎のステータスになっているのだ
だからこそ原発でも金になるから歓迎されて積極的に誘致されたのである
その時双葉とか大熊辺りは働く場がなくて出稼ぎ地帯だったから地元で働く場が欲しいとなり原発を積極的に誘致したのである
原発は金の成る木だったのである、それは漁業者でも事故前も補償金が入り船主が原発御殿が建ったとかうらやましがられていたのである
事故後もそうである、補償金は継続されるから金に困ることはないのである
つまり田舎だから田舎志向だとはならない、田舎はむしろ都会志向が多いのである
だから農業は金にならないとかやらないで耕作放棄地が増大した、震災以後この辺は荒地がまだ多いのはそのためである、高齢化で田畑でも跡を継ぐ若い世代がいないからであるそれは中小企業でも跡継ぎいなので廃業になるものがふえて日本経済への影響が大きいのである
田舎志向の人は田舎ではかえって少ないともなる
事業した人も都会の金持ちの人をねらい別荘とかを提供するとか言っていた
事業の趣旨がそもそも都会志向であり田舎の土地を活かして農業するとか何かそれに付随するものをするとかはない、ただ都会に金持ちがいるからそこで金儲けするというのが趣旨なのである、これなども都会志向で事業を起こしたが失敗したのである
つまり田舎にはこうして事業するにも都会志向が優先になることが多いともなる
なぜなら里山資本主義で農業とか言っても林業とか漁業自体が金にならないとそれを受け継ぐ若い世代がいない、だからこそ原発は歓迎されたのである
だから田舎でも都会志向であり田舎志向の人は山尾三省のような変わり者になる
なぜなら田舎で車をもたないものはすでにそう見られているからだ
あいつはクルマももてない劣等者だとされるからである
パンも食べられない田舎に住むことを望む人間はいない
もっといい家もっといい車もっとうまいパンを食べたいもっとうまい・・・を食べたいとなっているからだ
●田舎の人はかえって都会志向である
このプログの主は銀行員だったが相当に田舎志向でありもともと田舎に住むことに適していた人だと思う
田舎に住んで田舎に適していなものも多い、だからみんな田舎に適しているとはならない田舎に住んでも田舎の人でも都会志向の人が多いのである
それがわかるのは別に仕事でも会社員がほとんどであり農業とか漁業とか林業に従事するのは一割とか少ないからである
だからこの人がクルマを持たないとか家は空家を活かすとかしているのもわかる
そこに都会志向がない、田舎志向を生活で実践する
それはそもそも田舎に住んでいるより田舎志向なのである
正直田舎がいいことばかりではない、田舎で人間関係は実際は嫌であり自分自身もだから田舎の人とかかわらず住んでいた、家族がいたから自分は何もすることがしないからそうできていたのである
でも家族がみんな死んだとき自分一人あらゆるものがふりかかってきて嫌な思いをしたからである、田舎の人は人間的にいいとはならない、むしろ都会の人が助け合ったりすることもある、田舎は姑息であり人情がないともなる
それは日本全体が外国暮らしから帰って暮らしたことでそういうことを痛烈に感じた人がいたからからわかる
今や日本人が情があるなどないのである、田舎でもそうである
だから田舎でいいとして暮らせる人はまた人によるとなる
ただ人間には都会志向と田舎志向が混在している
この辺では仙台が都会であり都会を味わうのは仙台だとなる
私が一週間に一回でも仙台に行っていたのは本を買うためだった
本が田舎では売っていないかったのだ、もうベストセラーとかしか置いていない
それもくだらないものだったが冠婚葬祭の手引書が百万部売れたとかあった
つまりくだらない本でも本屋に置かれるものは売れたとなる
それはそもそも本が田舎には置いていなかったからである
専門書など置いていない、この差が今ふりかえると大きかったなと思う
知的な要求は満たされない、非常に狭い範囲でしか物を考えることもできなかったと思うそして今になるとインタ−ネットで大学の学術論文でも読めるとなるとこのい差は大きいまずそういうものにはアクセス不可能だったからである
そこに厳然として田舎と都会の差があった、他にも物を買うことでもあった
今でも自転車は新しいものを知ることがむずかしい、仙台だと実物が置いてあったりするが田舎ではないからだ、東京辺りだと試乗もできるらか違っている
自転車は通販では買えない、修理とかあるからだ
いづれにしろインタ−ネットの普及は田舎でもこうした知的分野では追及できる
発信もほとんど無料でできる、だから田舎で知的に情報分野で遅れるということはなくなったのである、ただ人と直接会うとういことでは田舎では知的な人と会うとういことはまれである、でも本にしてもこんなにあるということに驚いたのである
それで今になって遅いが本を一か月10冊以上買っている
それも古本で安いのがあるから買えるのである、別に安くても内容があるから同じなのである
●田舎志向と都会志向の人の住み分けが必要?
だから田舎に住んでいると人は田舎志向ではない、都会に住んでいる人で強い田舎志向の人がいるし田舎に適している人がいる
だから
田舎に住んで都会志向の人は都会に住むべき
都会に住んで田舎志向の人は田舎に住むべき
こういう住み分けが必要なのかもしれない、なぜならそうしないとこの辺のように限りなく欲望を満たすことを望みそれが原発を積極的に誘致するようになるからだ
そういう人たちはかえって都会に住むべきだとなる、そうしないと田舎が田舎として保てないのである
ただ田舎でも都会志向があってもいい、でも限度がある
田舎に住んでももう欲望はきりなくみたそうとする、それが結果的に原発事故にも通じていたのである
そして別に故郷に愛着あると田舎に愛着をもつとかない、補償金をもらったかえって都会がいいとして若い人は流出したのである
そもそも田舎の若い人は都会志向が強よかったのである
一億円もらったらこんな田舎出て行きたいという人が多かったのである
だからかえって原発事故で補償金もらってチャンスとなって出て行って帰ってこないのである
そういう人は最初から田舎に住むべきではなかったのである
そういう人たちが住んでいるとまた何か原発事故とかこんなしょぼい田舎に住んでなにいいことあるんだとかなんとか不満があり原発を作れとなる、現実に大熊町長は原発再稼働を望んでいるからでる
要するにそういう人達が多いから町長もそうなるのである
田舎に住んでいてもむしろ都会にもともと住むべき人たちが田舎に住んでいることが問題なのである
もし都会でもこのように強い田舎志向がある人達が住んでいれば原発は作れないからだ
そういう人は都会的な文明的なぜいたく志向がないからである
何かそういうことを原発事故で考えさせられたのである
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