2019年07月18日

時間に生きる時代 (空間を拡大して生きる何でも増やす時代は終わった)


時間に生きる時代

(空間を拡大して生きる何でも増やす時代は終わった)


時間は謎である、対象的に見る時、時間があれば空間があるとなる
この二つの軸の中で人間は生きている
空間は地球とか宇宙であり空間は物理的にも移動できる
大陸だと全く次元の違った広大な空間がある
果てしない大地が草原が砂漠がある
大陸では空間を生きるというときそれだけの空間があるからだ
空間をどこまでも広げることができる、それで大帝国が生まれる
どこまでも空間を進んでゆくことにより新しい未知の経験ができる
新しいものに触れることができる
だからこそまず大陸を移動する遊牧民が生まれ次に海を移動するようになったという説もわかる
大航海時代が生まれたのはそうしてまず大陸を移動する人たちがいたからである

一方で日本が時間生きるというときそれは島国として閉ざされていたからである
空間が狭いからである、空にしても大陸の空から比べると狭い感覚になる
そういうふうに狭い所で生きていれば時間を生きる
時間の中で意味を求める定着文明になる
空間を拡大することで大陸で国々の興亡があり歴史となった
日本の空間は島国という一つの宇宙であった
それで最果ての感覚が生まれる、どこに行っても海になりそこで世界が尽きるからである
ともかく時間と空間を考察するとき時間を増やしたり時間を貯えたりできないし時間を
拡大することもできない、空間だったら異次元の世界を現実に見ることができる
外国に行けば異次元の世界だからである
時間は例え外国に行っても異次元の時間など経験できないのである
異次元の時間とは過去にもどることだがそれはできないからだ
だから外国に行っても歴史があってもわかりにくいのはそのためである
空間を移動できても時間を移動できないからである

時間の謎は金より時間が大事だということがある
金は増やしたり貯えたり金をもっと得ようとして働いてできる、それが働く動機となる
一億円を得てももっと欲しいとなり安心もない、金があれば安心になるからあればあるほどいいとか使いたくないとかなる

時間は限られている

空間も確かに限られている、地球は限られている空間と認識されるようになった
それまでは地球は未知の無限の空間だったのである
時間は限られているしそれぞれの人の時間はいつか尽きる
時間が尽きたとき死なのである
この世に生きる時間は限られている
そして時間を増やすことはできない、でも時間を無駄にしたとき時間を減らしている
時間を有効に利用した時に時間は活かせることができる
しかし時間の無駄は浪費はなかなか気付かないのである
若い時は時間はいくらでもあると思う、それで退屈で困るとなる
しかし時間はある年になると消失してゆく、時間がなくなってゆくのだ

現代は時間に生きる時代になる、地球の空間の征服は終わったからだ
地球が一つの村になったというのもそうである
メデアの発達によって世界から情報が絶え間なく流れてくるからである
でも実際は空間でも世界は広いからそれを実地に知ることは今でもむずかしい
やはり一生の間で経験できない空間がいくらでもあるからだ

時間に生きるというとき時間を増やすことも貯えることも拡大することもできない
それが空間との大きな相違である
金は増やすことができる、多くの物をもつことができる、でも時間は何かそうした物として得るものとは違う、それでいくら金をもっていても時間の方が大事だったいう時
時間は限られているしその時々でできることをしないとできなくなる
時間を戻すことができないからそうなる
時間は何かをするために与えられている、その時間を失うことが最大の後悔となるのである
時間は何かを成すためにある、そうなるといくら時間があってもたりないのである
一つの作品をしあげるのに何でも時間がかかるからである

空間の時代から時間の時代になるいうとき金を第一として価値あるものから時間が価値あるものへの変換の時代となる
何故なら資本主義だと金をもうけて貯えて投資して増やしてゆくことだからである
時間には増やしたり貯えることができない
時間を節約はできる、時間を貴重なものとして使うことはできる
でも時間は目に見えないし物としてとらえることはできない、でも一番大事なものとして人生の最後に意識されるのである
なぜなら人間は何でも失ってみてその貴重さを知るからである

おそらく地球を空間的に拡大する時代は終わり時間に生きる時代になる
時間に生きるとは何か常に物を増やしたり金をためてまた投資して増やすという資本主義と合わないのである、それで銀行に金をためても投資する先がなくなって銀行が不用になるのは時代なのである
大航海時代から常に投資して富を得て拡大し経済でも常にGDPを増やすことであった
でもそういう経済成長とか拡大の時代は終わった、もう限界になったのである
これ以上経済規模を拡大すると増大すると地球環境の破壊とかなり限界に達したのである
そこで世界も空間を拡大するとか経済規模を増大するとかではない
時間を生きることにシフトするようになる
時間に生きるということは内省する、内面化する、内に向かう時代だともなる
何か増やすことではない、減らすことである
時間を節約して無駄な浪費を減らし内面を充実させることである
だから中世の時代にもどるということが言われるのである
資本主義の金を貯えて資本として増やしてまた投資するということができなくなったのである、その象徴が銀行が用がなくなったことに現れている
投資先がなくなったからである

そして時間に生きる時代となる

物事を深く知り深く感じて多様に見て感じる

そういう世界になる、一定の場所に定着していても物事を事物でも自然でも深く見て感じることができるからである
内面的に充実させることができるのである
それこそ宗教の世界だともなる、そもそもキリスト教はアジアから生まれたし宗教はアジアからオリエントから生まれたものである
西洋化したキリスト教はまた別物だったのである
それでウェバーの言う資本主義がキリスト教から生まれたというときもそうである
神に奉仕するために働き資本を貯えて増やして富を得ることは人を助けることだということがそうである
でも今やそういうことは不可能になったのである、資本主義の思想はもう通用しないのである、だからこそ銀行は不用になったのである

何でも増やす時代の終わり

減らす節約の時代へ

何かもう増やすということに限界が来ている、人口だって世界的に見れば増えすぎた
日本では明治以降4倍になり中国だって4億が三倍になったとかある
工業化時代になり人口が爆発したのである
とすると人口が減るのは自然の摂理かもしれない、もうこれ以上地球に人口を増やして住めないという警告かもしれない、ただ減らす思想というのはなじまない
貧乏になるからだとかあるし日本では少子高齢化で特にそうなる
でも時代が変わったのでありそうせざるええなくなっている
月給も上がらないし経済は30年間成長していないとか世界的にも日本でも増やすことができないのである

するとどうなるのか?
内面に生きるとか内省するとか無用の用に生きるとかになる
それが東洋的アジア的価値観としてもともとあった、老子の思想でもそうである
インドの思想でもそうである、仏教はそういう時間に生きる思想だったのである
思想的にも西から東へと転換する時代になったのである
だから確かに英語がグロ−バル時代で不可欠だというのもわかる
逆に日本語をもっと知るべきだ、自国の文化をもっと知り深める時代だともなる

日本人はこれまで外来のものを明治以降制限なく入れてきた
でもこれからは日本独自のものを文化を作る時代になる
そしたら日本を知らなければできないことである
国風文化の再興にしてもまず日本語でも日本でも知らなければできないのである
それで日本語は世界で独特のものがあり他の言語と違っていると林秀彦が言う時日本語の独自性を知るべきだとなる
言葉は最大の現存する生きている文化だとなるからだ
資本主義の勤勉に働き資本を貯え増やしてまた投資して増大してゆく思想が通用しなくなったのである
むしろ節約して減らす、時間に生きる時代になる
だから何でも拡大して増大してゆくグロ−バリゼーションとか資本主義の思想とは相いれない時代になる、それは限界に来たからである
ITにしても物を増やすことではない、情報を増やすことでありそれは今までの資本主義とも違っているのである
精神的な面での技術革新だともなるからだ



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