2019年07月20日

なぜ選挙に関心を持てないのか? (直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


なぜ選挙に関心を持てないのか?

(直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


選挙でもそうだけで現代社会は広域社会でありグロ−バル社会である
そうすると人間の関心は村社会で生きていたような時代とはまるで違ったものになっている、あまりに広いから関心をもつのにもできない
ただ悲惨な事件でも我が身に及ばないならニュースはショーであり娯楽なのである
もしそういうことに関心をもつとしたら何かしなければならないとかなる
だから災害でも少しの金でも寄付すればかかわることができるとはなる
その寄付するにしてもその金がどうなったのかなど皆目わからない
それでその寄付金は寄付金を集める人に流れたとか肝心の被災者に届かなかったとかなっている
金の流れどうなっているのかわからないのである

この図は自分にかかわった人で自分が金をだした人への金の流れである

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困窮者は低年金でとても生活できない、40才くらいの息子がいる
その人は建築土木関係の会社に入っている
非正規とは違うからそれなりに収入はある
でも今南相馬市から青森の施設にあづけた、南相馬市では介護士不足で空き室があっても介護できないからだ、それはここだけの問題ではない、介護士不足は全国で深刻なのである、青森は仕事がない場所だからそういう人を引き受けている
そして40代の息子は独身であり保証人になっているからそこは安いとしてもその他金が請求されている
そして65歳以上の親が息子に金をせずる、前は近くにいたから弁当とか用意していたから食費とかもらっていたから良かった、青森の方に行った結果それがもらえないのであるそれでまたお盆で9日間休みになるとか困ったと言っている
これは非正規とか派遣でもその休みの間に金がもらえないと困るという人達がいた

そして自分がなにもしてもらえいのにその人は何回も食べることすらできないとか電気水道やガスがとめられるとか来る
そしてガス屋なのか張り紙されたとか言う、常に困窮している
それは年金はわずかでありとても生活できないからである
なにか4,5万くらいしか年金をもらっていない人がいる
生活保護がいいというがこれは簡単にもらえないのである
生活保護でも住む場所によって福祉サービスは違っているからもらえるとは限らないのである

このことが選挙と何か関係あるのかとなると関係はある
このことがまさに今の政治の問題としてあるからだ
年金問題、ロスジェネ問題、介護問題とかが深刻だからである
でも私が払った金の流れは見える、どういうふうに金が流れてそれが利用されて活きているか見えるのである
では選挙となると自分の一票がどうなるのかそれがわからない
それは金の流れと同じである

選挙でも争点がいろいろある、どれ優先課題にすべきなのか?
どっちにしろ同じではないか、政治は遠いから選挙に行かないというのもわかる
選挙日々の日常活動から離れていると感じる時、それは広域社会でありグロ−バル社会になるのとにている
あまにりも広い範囲で人を選ぶ、そして日々の関心事と結びつかないし無力感だけがある選挙に行っても何も変わらないとなっている
つまり現代の民主主義は範囲が広すぎるし日々の生活から離れている
議員にしても国政となると日々の生活から離れている、めったに直接会うこともできないだからギリシャのポリスだったら選挙があったとしても一万二万のレベルだったのであり直接民主主義で選んでいたのである
だから国単位になると広く大きくなると関心が薄れてしまうのである
日々の生活で困ることがあるがその生活から離れているから政治は遠いとなる

消費税は上げることは反対

これはわかりやすいからみんなそうである、でもそれだけで選ぶのか?
他にも国際政治問題とかありむずかしくなる
私は無党派だから選挙に行っても何か選ぶのが適当でありわからない
本当は私も選挙に行きたくないのである、どの人を選んでいいのかわからないのである
比例とか全国になると人気投票みたくなるのもわかる
広すぎでその人がどういう人かなどわからないからである

もう選挙を中心として選ぶことが機能しなくなって民主主義の危機だともなっている
ただどこでも日々生活して要望することはある
でもそれは個々で違っている
そして大事なことは関心をもたないことで原発事故のようなもう住んでいた場所に住めなくなるということが生じたから無関心は本当は怖いものなのである
でもあらゆることに関心をもてないのだ、それは関心をもつ範囲が広くなると関心がもてなくなる、それは金の流れでも広域化してグロ−バル化するとわからないのと同じなのである

ある人が関心をもたせることもむずかしい、それで大学生が選挙に行かせるためにボランティアして電話したが苦しいとなる、聞いてくれないとなる
それは自分も駅でボランティアしていたから痛いほどわかる
鉄道にはそもそも関心をみんな持たない、駅はどうでもいいと思っているからだ
別に困らないと思っているからだ
だから関心をもたせることは不可能だとなっている、だから何でも関心をもたせようとすることそれを無視することは危険である

一応話だけでも聞いてやる姿勢が必要である
関心をもたせようと努力する人はやはり何かが社会を良くしようとする善意があってしているからである
ただ何でもすすめるのがいいとはならない、カルト宗教団体などはかえって害になる
でも何でも無関心であることは本当は怖いことになる
それを原発事故でこの辺では痛いほど知った
自分自身全く無関心だったからである

国政選挙の問題はその関心が広すぎることなのである
日常生活から離れている、日々の生活は狭い範囲でしている、だから細部が大事になる
でも国政となるとそうした細部とは関係なくなる
それで一票投じるしもなにもかわらないとなるからだ
現実に駅でも行く先の表示がないとかささいなことでもJRに言ったら表示してくれたとか何か改善されたことがあった
だから何か困ったら言わないと改善できないのである
そしてささいなことでも改善されたら何か主張して言ったことが通ったとなり成果があったともなる
そういうことが政治にはほとんどない、国政選挙になると特にそうである
すでに大勢は決まっているのとかなり無力感だけが残る
若い人が投票しないというとシルバー民主主義となり老人が数で圧倒しているから老人に有利になり無駄だとなるのもそうである
数だけですべてが決められるから不満なのである
だから選挙とか民主主義は行き詰まっている、それで支持政党なしとい政党が生まれたのも時代である、何かここに入れるほかないと自分自身も思ったからである







posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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