2019年07月26日

資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ


資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ

資本主義では金を増やすことを望む、金を増やすためにはどうするのか?
投資する、投資するとはそこでもうけて利益を増やして金を得ることである
その金を運用するのが銀行であり資本主義の中核としてあった
銀行が金を生み出していたからである
銀行はゼロから貸し付けてその借用書が紙幣になったというとき何もないのに金を増やすことができる
でもその金が増えすぎると使われないと経済は停滞する
でもなぜ今銀行がつぶれるとかいうのだろうか?
銀行には金はある、金が余っている、その金の使い道がない
投資先がないのである

それは世界的に起きていることである、世界で金が余っている、でももう世界経済が成長しないというとき金余りでありその金が活かされない、投資先がないからである

日本の海外債務が主にアメリカにありドルとして

対外純資産残高は328兆4470億円と3年連続で減少したが、27年連続で「世界最大の対外債権国」という座を維持した。

対外純資産がたくさんあるという事実は、見方を変えれば「日本国内に投資機会がない結果、外に出るしかなかった」ことの裏返しでもあるため、日本を語る上で憂うべき論点も多く含んでいるだろう

民間に米ドル相当の資産が150兆円以上あることも大変な強みだ。国の外貨準備高を合わせて300兆を優に越える。これらは一気に換金するとドルを始めとした通貨が暴落するし日本の信頼性の問題が問われるから実行する事はないものの、いざというときには換金出来る。言うまでもなく米国は世界最強の国家で、ここより安全で安心できる投資先はない。

アメリカの強みは軍事費が世界で突出している、軍事国家なのである
日本は経済国家である、アメリカの信用は軍事国家であることでドルが基軸通貨になっていることである
でもドルが紙屑になるというときそのドルの裏付けのアメリカ経済が弱体化しているからである
つまり金は資本主義での金は常に増大することを望む、金が金を生むことを望むのが資本主義なのである

でも世界経済の成長は頭打ちとなりもう成長しない、とすると金の行き先投資する先がない、だから銀行に預けても利益を生まない、利子が払われないのである

つまり銀行の用がなくなる→銀行はいらない→銀行員の大リストラ

こうなったときもう資本主義は機能しない、投資先がない、それで資本主義が終わりだとされる
その行き詰まりを打開するのに軍事力で突出した軍事産業の占める割合が多いアメリカは戦争を起こす、するとそこで戦争が投資となりアメリカ製の武器が売れる
景気回復するとか怖いことになり実際そういうことが行われてきたとされる
そこで人命も失われたのである

経済が行き詰まる→戦争になりやすい

それはドイツのナチスでも失業者が増えたとかなり戦争に突入した
失業者を戦争が吸収したとなる、日本でもアメリカの経済制裁で追い詰められて戦争に突入したとされる
経済的に追い詰められた国は人間でもわずかの金でも奪うし強盗でもするし人を殺す
借金していると借金を返すために犯罪を起こす、借金が犯罪の動機になっていることが多いのである
そういうことをこれまで嫌とういほど自分自身が経験したので恐怖となった
経済的に追い詰められた人たちが介護とか病気になったとき弱者化したとき襲ってきたからである

今やどこも経済不況とか停滞に陥り危険だとされる
アメリカもそうだし中国も韓国も日本もそうなのである
世界同時不況、世界恐慌前夜のような様相を呈している
つまり資本主義自体が機能しなくなり崩壊しつつある
世界的に経済成長は見込めないのである
それで資本主義の終わりだとみんなが言うようになる

つまり経済成長がない資本主義はありえないのである
だから資本主義は終わりだとなる
では次に来るのは何なのか、経済成長がない投資先がない社会である
だからこういう時代は文化の時代にもなる、文化の価値は物を増やすとか生産するとかとも違う、例えば日本でインパウンドで外国旅行者が増えたというとき旅行は文化的な価値を求めるのでありそれは何か物を生産するとか技術を開発するとかとは違っているのである、その国の文化を見るのが観光だからである

国を見る時確かにGDPとかでみる、でもその中身は技術力でありもう一つは歴史文化力がある、歴史ある国はヨ−ロッパでも中国でもインドでも文化力がある
オーストラリアなどは歴史がないから文化力がない、アメリカでもそうである
資源があり国が広大であり経済力技術力があったとしても文化力に欠けているのである
おそらくこれからの時代は世界で経済成長が望めないとしたら文化力の時代になる

だから一方でこれからますますグロ−バル化するから英語は不可欠だとしている
でも文化力にシフトするとき英語のように商業語だけでいいのか?
そこには文化力がない、確かにそれで経済力を高めることはできる、でも文化力は英語にはない、日本語あって日本の歴史と文化がありその価値が高まる時代になる
明治維新からは開国の時代であり富国強兵とか経済力の時代だった
それは太平洋戦争までつづきその後も経済成長の時代でありそれがバブルで日本は崩壊した
経済成長はあるところで限界にきてとまる、それが今は中国でそうなっている
そして世界的にももう経済成長はできないのである
そして資本主義が機能しなくなる、銀行が不用なることがまさに資本主義の終わりを象徴しているのである

何かだからこれから中世の時代のように内面化する、宗教とか哲学とか芸術の時代になる経済成長は世界的にもうできないからである、するとその国々に住んで文化力を高める時代になる、文化力はその国の風土と歴史から作られる
ただ文化というとき幅広いから必ずしも芸術とは限らないのである
農業に回帰するというとき農業は文化の側面がある
なぜならcultureはcultivate(耕す)から出た言葉だからである

なぜそうなっているのか?
つまり農業はその土地土地の地味に作用されたり風土と密接に結びついているからであるワインでもその土地土地の名がついていたり日本の米でもそうである
味が違ってくるからである、日本酒が世界で売れるという時もそれは日本の風土と歴史で培われたものであり文化力なのである、単なる物の販売ではないのである
とにかく文化とは幅広いものでありそれを風土に根ざして再開発再発見してゆく時代なのである

posted by 老鶯 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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