2019年08月08日

墓をどうするのかなぜ現代人は悩むのか? (死ぬ場を失ったのは生きる場を失っていたから―万葉集の歌から)


墓をどうするのかなぜ現代人は悩むのか?

(死ぬ場を失ったのは生きる場を失っていたから―万葉集の歌から)

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事しあれば小泊瀬山の岩城にも隠らば共にな思いそわが背

万葉集をすべて恋の歌として解釈すると深いものとはならない
恋が乞うであり死んだ人とまた会いたいという説になるとそれはうわついたものにならないのである
これも岩城に隠れるともに思うということ自体今ならありえないことである
だからこの歌も何なのだろうとなる
岩城とは墓のことだからである、何かあったら墓に入るという意識も理解できない
でもこの歌の解釈は岩城にあり墓にある
ただこういうふうに古墳が石室として残っていた所に隠れたとなるのか?

つまり岩という頑丈なものである墓に入る、それは死んでも岩城の中にあるということなのである
墓の中に一緒に入ることが深い意味をもっていた
なぜなら生をともにして遂には墓の中にも入り死後も一緒にいるということである
夫婦だと偕老同穴というがそれは墓まで一緒だということである

ただなぜ夫婦でも妻は夫の墓に入りたくないとなっているのか?

「あさイチ」で既婚女性が「夫(旦那)の先祖のお墓に入りたくない」と回答した理由を見てみると、

・知らない先祖と一緒に入りたくない ・・39.3%
・お墓がゆかりのない土地にある   ・・32.3%
・夫の家族、両親が嫌い       ・・30.7%
・子どもに面倒をかけたくない    ・・20.0%
・自分の両親と入りたい       ・・20.0%
・夫が嫌い             ・・13.9%

知らない先祖というとき一度も会っていない人が先祖にはいる、そういう人と入りたくない、自分とは関係ない人だともなる 

お墓がゆかりのない土地にある  

これは「場の現象学」の本を読んで考察したようにその場とはそこで一生生活した場だから愛着がありアイディンティティ化した場所だからである
ただこういうのは田舎だったら通用するが東京とかなると通用しない
墓地自体を遠くに買って葬る、それで墓参りに残された人が行くのがめんどうだとなる
また宗教団体が土地を買いしめてそこに墓苑化する、その数が多くなり村とかの自然破壊までになっている、宗教団体にとって墓苑とは商売になるからビジネスなのである
でももともと住んでいたと土地の人からすると迷惑なになるのである

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とにかく墓をどうするのかというのは厄介なのである
それでシベリア抑留で死んだ人たちの遺骨をもってきたのだがそれが日本人ではなかったとして問題になっている
要するにそもそも誰の骨なのか70年もすぎたからわからなくなる
私の兄の骨は母の実家に事情あって埋葬したがそこに母方の実家の人たちが五六人埋まっている、その中に兄の骨がまざってわからなくなったのである
骨壺に入れていたのだがそれもなくなり誰の骨かわからなくなった
それでしょうがいないから私は自分の家の墓に小さな墓標を建てたのである
その実家の人として残っている人がいたがその人とは異常人格者だから会いたくないからである、だから母の実家の墓には墓参りしないのである
ただ兄については責任があるし子供いたので自分の家の墓の脇に墓標を建てたのである

いづれにしろ墓というのは何なのか?それ自体が不可解なのである
そもそも明治以降に家の墓が生まれたのでありそれまでは個人の墓か夫婦墓である
明治以降には夫婦墓が多いのである
江戸時代の幕末頃には経済的に豊かになり農民でも個人墓を作りまた夫婦墓を作っている戒名に信士とか信女とか記されているのでわかる
つまり家族墓は江戸時代になかった、それは明治時代になって政府の政策でそうさせられたのである、だからそれが不自然になっているのである
家族は意外とまとまりにくいのである

夫婦は三代の契りとかあり契りが深いものがある、でも家族となると姑が入ってきて姑にいじめられたとか嫁は嫌うからなかなか一つになれないのである
それで墓も同じなら嫌だとなる、それもわかるのである
やはり共に生活して協力して愛し合った人たちが一つの墓に入ることは死んでもそこで結びついている感覚になる
そこで死後まで結びついて離れない一緒だという感覚になる
それが実際は家族にはなかなかないから不自然なのである
第一先祖といっても嫁いだ先の先祖など知らない人だからである

墓というのは実はそうして一代だけのものではない、その子に子孫に受け継がれるものだからまたやっかいなのである
なぜなら跡を継ぐ人自体がいなくなるというのが多くなっているからだ
そうなると村の共同墓地に葬ってもらった方がいいとなる
江戸時代はこの辺では仏方(ほとけっぽ)として共同墓地に葬ったのである
それはその土地にゆかりがあるからそうなったのである
場としてアイディンティティをもっている場所だからそうなったから自然だったとなる

なぜ今墓が問題になるのか?
それはもともと人間が生活していた場が失われたからである
みんなその土地と深くつながる農村社会に生活していない
その土地に根ざして生活していない、グロ-バル広域社会で生活している
すると土地の縁というのも薄くなる、だから今では地域でも田舎でも農村でも強い人間のつながりはなくなっている

人間の生と死を考える時
                      
死ぬ場所をどこにするのか?
                          
これは意外と大きい問題になる、どこで死んでもいいとはならない、それで骨を海にまいてくれとか樹木葬とかがある
樹木葬だと土地と関係しているが別に農民でないのだからその土地と深く結びついて生活していた訳ではないけどそれを願うのはそもそも自分のアイディンティティとする土地をもたなくなったからなのである
そのことが生だけではなく死までそうなって死ぬ場所をどこにしていいのかもわからなくなったのである 

事しあれば小泊瀬山の岩城にも隠らば共にな思いそわが背

事しあらばを・・・死んだなら小泊瀬山の岩城に隠れてその堅い岩で閉じこもりともにありたいというのはまさに死としての理想があるかもしれない。
隠れるとは古代では死を意味しているからである
天皇でもお隠れになったという時、死んだということだからである    

いかでわれこよひの月を身にそへて死出の山路の人を照らさん』(山家集・七七四) 

七月十五夜というのはお盆です。盂蘭盆会のことです。非常に月が明るかった。そのときに船岡山
に行ったのです。船岡山は平安京に隣接した船の形をした丘です。ここは平安時代の初めくらいまで
はハイキングする場所で平安京を一望できる眺めのいい場所です。

お盆には死者というあうとうことでこの歌が作られた、死んだ人が月明りに見えるとなる

人間の死は何なのか?生者と死者は何なのか?それは断続したものではなくつながるものとしてある
死者は生者の中に生きつづける、それが人間の営みであり生の継続であり国単位になると歴史となるのである   

我が死して後もありなむこの地にそ思いは深くとどめおきなむ

何かしら死んでも必ずその生きた地に思いが残る、それが具体的に形になったのが墓なのである
ただ墓はいくら石でも消失しやすい、誰も参るものがなくなったら墓は二度死ぬことになる
なぜか墓地に倒れたままの墓がある
なぜそれを立て直す人がいないのか?それはその人を知る者もいないしかかわるものがなくなったからである
今はそういう墓がいくらでもあるのだ、結局この世あるものは墓でも無常なのである
それがいつまでも維持できないのである
なぜか私は墓に興味があるというとき江戸時代の墓があればそこに人が本当に生きて埋まっていると思うからである
書類だと実感として人が生きていたと感じないのである
それが墓の不思議だとなる





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