なぜ戦争が忘れられるのか?
(自分自身が苦しまない限り関心をもたない)
戦争は戦後70年とかで忘れられてゆく、遺族会でも維持できない、会津では今年は慰霊祭でもテントを張ったりめんどうなことをしない、できない、みんな年とっているからだそれでそれぞれが勝手に戦死者に祈りをささげることにした、そこには戦死者のお骨が収めている忠霊堂がありそこで祈る
団体として維持できなくなったのである
でもまだ団塊の世代でも親が戦争にかかわった人が多い、私の姉がそうだった、従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で働いたからである
「マンゴーの樹の下で」というNHKの戦争番組で日本軍が敗戦に至る過程でジャングルに逃げて悲惨な結果になった
そこには食べ物がなかったのである、それで現地の農民から食べ物を奪っていた
その話を良く姉から聞いた、女性だから特に苦しかった
それで死ぬ直前まで認知症になっていたのだが戦争のことは忘れず語り死んだのである
何かあまりに過酷になると人間は忘れられなくなる
トラウマとなりフラッシュバックして思い出すとなる
特に青春時代だったから余計に感受性が強いからそうなったのである
戦争というのは経験しない人にはわからないのである
人が目の前で死んだり殺されたりした光景は普通は経験できない
だからこそいくら語ってもそれが通じないということがある
戦争は悲惨だということを言っても通じなくなる
人間は別に戦争だけではない、何かについて関心を持たせることが本当にむずかしい
原発などでも本当はもっと関心を持つべきものだった
でもなぜ関心をもたなったのか?
関心をもたせる人がいなかった、メデアでもテレビでも新聞でもその危険を報道することはなかった、そして安全神話が作れて誰も何も言えない状態にされていた
それは地元の住民でもそうである、金になればいいから反対したらこの土地に住めなくなることもあった
金になればみんな目の色を変える、そんな人に原発は危険だと言ったらにらまれて肩身の狭い思いをして村八分にされていたろう
だから関心をもたせないようにする
それは新聞でもテレビでも雑誌でもマスコミに危険を言わせない、そして関心をもたせないようにすることなのである
そういうことにしていると関心をもたないと原発は容易に作られる
それを一番証明していたのが小高に東北電力の原発の工事がはじまときだったのである
そんなに近くにあるのに私は知らなかったし知らない人が多かったのである
つまり知らされないままに重大なことが行われる
これだけ戦後民主主義とか常に言っていても肝心な重大なことが知らされなかったのである、今でも重大なニュースが知らされない、報道されないのである
報道されないことは関心をもたないとなるのである
そしてなぜ人間は忘れるのだろうか?
その忘れることだ重大な結果として今回のような津波とか原発事故にもなった
津波は400年前に相馬地方でも生波(津波)で700人溺死として記録されていたが知る人はなかった、津波になってその記録を知ったのである
全く記録もされないから忘れられていたのである
すると津波に関心をもたない、そしてこの辺では津波が来ない場所だと確信するようにもなっていたのである
そして津波の大被害にあいその当時のことをふりかえようとしても記録されたものがないからわからなくなっていた
人間はどんな被害にあってもだんだん歳月が過ぎると忘れてゆく
死者も死んだ時点で影も形もなくなり骨と灰だけになって忘れられてゆく
だんだん歳月が過ぎるとリアリティを失いイメージの世界にもなってしまうのである
人間の大きな弱点は忘れることにあった
戦争でもあれだけ悲惨なことでも3百万人が死んだとしてもだんだん非現実化して忘れられてゆく、その悲惨なことを経験した人もいなくなると余計にそうなる
津波でも戦争でも忘れることが危険なのはまた同じことを繰り返すカルマとなり繰り返すことが怖いのである
ただ人間はカルマをくりかえす、人間の業は尽きることがないからだ
カルマというとき親が子と同じようなことで苦しむ、カルマになることを書いてきた
これは戦争だって同じなのである
やはりまた戦争を繰り返すことがある、悲惨な戦争を経験しても忘れるからである
そして再び戦争になりその過酷な経験をするときはじめて戦争の悲惨さを身をもって知るこれが戦争だったのか?その時親が祖先が戦争で苦しんだことを理解するのである
自ら苦しまない限り人間は理解しないのである
人間は自らの身にふりかからないかぎり無関心である
何かに関心をもたせようとしても「俺には関心がないよ、うるさい」となるだけである
病気にならなければ誰も体に関心をもたない、でも一部でも病気になれば異常なほど関心をもつのである
だから津波や原発にこれほほどみんな関心をもつようになったのである
でもすでに時遅しとなっていたのである
駅でも無人駅になっても誰も関心を持たない、別に車がある人は困らないからである、ただ盲人の団体が抗議しているのは電車を利用して無人駅だと困ることがあるためである、他の人は駅には関心がないのである
でも何か本当に困ることがあれば関心をもつのである
どうしたら人間は忘れないようにできるのか?
これが人間の大きな課題である、重大なことでも人間は時間がたてば忘れる
その忘れることによって今回のような津波でも原発でもまた戦争でも恐ろしい苦しみを受ける、だから忘れることは危険なのである 人間はとにくか他人の苦しみでも自分自身が苦しまないと理解でないのである
貧乏人のことを知らない人は貧乏のことを理解できない、病人でも病気の経験のない人は理解できない、それで同情もしないのである自ら苦しまない限り関心がないし同情もしないし理解できないのである
そのためにカルマは苦しむ時自覚するのである
これだけこの辺では苦しんだからそのカルマを理解したとなるのである
だから神は忘れていてもまた同じカルマを起こして人間を苦しめて理解させるとまでなっているかとも思う
苦しまない限り理解しないからである
戦争のことだって理解できないからまた戦争を起こして戦争で苦しむ時戦争がどういうものか理解するからだ
カルマというのはそういうものだということが個々人でも歴史でもそうだったのである
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