お盆、墓参り、蝉の声(短歌十首)
母と姉死したるのちも離れざれ我が身にそいてふるさとに住む
残りにし写真一枚に姉思ふおおらかなりしも笑いありしも
月見草草むら深く咲きそめぬ田舎に我はこもり暮らしぬ
常にして飯館村へ峠越え休みし時に秋の蝉鳴く
紫と白槿咲き雨しととふるさとにふり墓参りかな
雨しとと蝉の声聞くあわれかな田舎静かに時はすぎゆく
今ここにひびき聞き入る蝉の声幾時生きむ雨しととふる
我が兄の墓標を建てぬ故郷に娘は捨てしも我は供養す
歳月はたちまちすぎてみな死にぬ年ふりあわれ墓参りかな
我が家にありしも不幸兄なりし今供養するは我のみなりき
また一つ切れにし縁や無常なりカルマはつづくこの世なりしも
暗雲の流るも光る満月の光り明るしお盆なるかな
床の間に白菊活けて奥座敷月影さして虫の音を聴く
今日は台風がきて雨風がある、でもそれほどでもない、昨日は暗雲が流れたが満月が皓皓と光っていた、お盆も終わりである
雨しととふる中に蝉の声がひびく、人間はやはり蝉の声を聴くにしても常に今ひびいている蝉の声なのである
今ここにひびいている蝉の声でありその状況とか場所によって違って聞こえる
今日は雨しととふっているから雨の情緒の中で蝉の声を聴く
こころとはここであり常にここが心が働く場所なのである
なぜならまず遠い所だったらもう蝉の声は聞こえないからである
蝉の声を人間の声にしても遠くなると聞こえなくなる
噂すら聞こえない、それでまた一つ親戚の縁がキレた、それもありまにも呆気なかった
こんなに簡単に血縁でも縁が切れるのかと思った
もともと薄い縁だったということもあった、兄が静岡に移り住んだとき遠くなり縁がうすくなっていた、もし近くに住んでいれば行き来があったからこうはならなかったろう、もう付き合うのも限界だったのである
つまり人間は遠くに住むと去る者は日々に疎しになるのである
いくら交通が発達しても通信が発達しても同じである
ただに会わなければ直接会わなければ情も深まらないし助け合うこともできないのである近くだと憎しみにもなるが遠いと憎しみにもならないのである
何か最後はこの世の事の終活があり清算がある
それでいろいろあり縁もキレたがそれでほっとしたともなる
結局この世の縁は重荷にもなるからだ
それで30年間は何もそうした重荷もなくわずらわしさもなく過ごしていたことが奇跡のようにも思えた、何かごたごたに必ず巻き込まれるからである
それは姉と母とがいた結果そうした安住があったのである
だから姉と母との思いは私の場合は消えないのである
ただ兄に関しては私の家の負の部分であり最後は交通事故で40才で死んだ
その時娘が一人残されたがその娘とも縁が切れた
それも十万電車賃を払って墓参りすると待っていたが来なかった
その娘は親にひどい目にあったから親のことをなんとも思っていなかったのが驚きである十万の金が価値があり親の墓参りなどなんの価値もないし親のことなど思っていなかったのである
何か思いがあり墓参りはするからである、それが全然なかった驚きである
蝉の声というとき私はいつも自転車で飯館村へ大倉村から延々と坂を上って行っていた
自転車だからきついしその坂が長いのである
そしてその峠の手前でいつも休んでいた、その時どういうわけか秋の蝉の声がひびいていたのである、それが印象的なものとして心に残っている
これはなんとも不思議なことであり私はいつもその長い坂の峠の手前で休み秋の蝉の声を聴いている感じになる
そもそも蝉の声というとき
静けさや岩にしみいる蝉の声
この芭蕉の句がどうしてできたのか?これは暑い盛りであり今になると秋だからその時相当に蝉が鳴いていた、何か今は8月になってから蝉がなく、
するともう秋なのである
ヒグラシでもそうである、秋の季語である
だからその時は夏でも多くの蝉がいて一斉に鳴いていたとなる
でも不思議なのはこうして蝉の声を岩にしみいるとして聞いているのも旅人なら不思議である、地元に住んでいるならこうなってもわかるが旅人がそ
んなふうにして蝉の声聞くだろうか?じっと岩のようにしているのは地元に住んでいればそうなる
そこに定着していればそうなる
それは結局江戸時代という静寂の環境がそうしたともなる
芭蕉の残した俳句は今でもどうしても作れないものだからである
それは江戸時代という環境があり作れたとなるからである
人間は最後に人間でも断捨離があり清算が起きてくる、そして最後に残るものは何なのか?
それはこの土地に住んでいるということかもしれない、心はここだからである
遠く離れていれば心が通わない、ここにいなからである
だからそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
ただまた逆にここにいることでかえって憎しみとかが深くなるのも人間なのである
遠くだったらかえって日々接することもないから良くみていることがある
それはその人が何をしているかも分からないからである
それは勝手な思いこみでありそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
だからこそ「遠くの親戚より近くの他人」になってしまうのである
二年に一回くらい頼りがあってももうその間に何が起きているかわからないからだ
人間は日々変化の中に生きている、人間関係でも変わるからである
ただここはその土地は変わるにしても変わらないから心がここにあるとなる
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