2019年08月28日

海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合 (生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)


海は誰の者かー漁業権を東電に売り渡した組合

(生態系が原発で破壊されて住めなくなったことが最悪)

 高級魚を密漁したとして、長崎県警が指定暴力団山口組系組長の男(51)(長崎市)や組員ら6人を漁業法違反などの疑いで逮捕し、長崎区検は26日、組長らを同法違反などで長崎簡裁に略式起訴した。密漁した魚は組長の親族が実質的に経営する飲食店でワンコインの海鮮丼などとして提供。年間約3000万円を売り上げていたという。

 県警幹部によると、組長らは数年前からオオモンハタやスジアラなどの密漁を繰り返していたとみられ、海鮮丼を売りにするJR長崎駅前の飲食店で提供。500円の海鮮丼もあり、周辺の相場の半額ほどの安さで、観光客や地元のサラリーマンらに人気だった。

そもそも国民共通の財産である海岸をなぜ特定の漁師だけが独占してるの? 
むかしからエラい疑問。 
稚魚を放流してるから密漁されたら損害だとか、そんなん知らねーよ 
勝手に公共の海に放流してるおめーらの都合だろうがと。 

なぜこんな意味不明な制度になってんのか、まったく理解できん。 
海の家もそうだけど、既得権すぎるだろ。

外国とか協会なり団体が漁業権持ってて、それを各人に振り分けてる感じ 
日本は個々人が持ってる 
団体が持つと、個人個人で取り分巡って殺し合いがあったから 
漁師=ヤクザだから 
個人から漁業権取り上げて現代風にしたほうがいい

密漁ってことは他の漁師が割食うわけだからよくないことだけど 
実はこの値段で出せるのにボロ儲けしてるやつがいるのを日の目に出したのはよかった

個人の釣りでも逮捕されねーよw 
釣った魚は個人で販売もできる 
漁業権ってのは養殖とか網漁ができたり、指定の魚介類(たことか貝とかエビとか)の漁が解禁されるやつ 
要は>>1のように漁業を生業にするレベルで獲る人以外には漁業権なんてほぼ無関係なんだよ

人手不足で困ってるのになぜ漁業権をもっとオープンにしないのか? 

跡継ぎがいない漁師が漁業権を譲りたいと知り合いに話を持ち掛け、知り合いもその気になって手続き勧めてたら 
そこの漁師組合ほぼ全員(正確な数字は忘れた)の承諾がいると言われ、初めに挨拶に行った漁師に反対され 
譲ってもらう話が即終了した話思い出したわ 

閉鎖的すぎるんだよ

魚の消費量が落ちているから漁師増やして儲け減らしたくないってのもある 

漁業権って事故や災害や(港湾)工事の漁業保証で利権発生するから(派閥)対立等も絡めて面倒臭いぞ 
*北九州では利権で工藤会が2〜3年前に発砲事件起こした 

漁業権欲しいなら手離す人見付けて買い取るか養子が早い 
*暴力団組員とかは買い取っても無効


日本の農業政策は、国(農水省)が経営者で、農協が中間管理職、農家は労働者だとの位置づけで、“上に従え”という論理です。本来ならば、市場メカニズムで新陳代謝が進むべきところを   

農政利権の歪んだ視点

これは農業でも同じだった、日本の農業は競争力があるが政府とか農協とかによって牛耳られて利権化している、つまり漁業組合とか農協は利権団体化する
それだけではない民主主義といっても団体民主主義であり団体が組合が組織がなければ政治は動かない、そもそも人間は利を追求しているのであり利権化するのをとめられない
選挙でも一票など何の価値もない、そこに数を集めなければならない、すると必ず利権団体が組織化するしそこに政治化は頼り優遇することになる
それで票が得られて政治家になれるからである 

それはあらゆるものが利権団体化する、宗教でも創価の利権団体化して票を集めて力をもつ、そこにまとまった票があるから政治家が頼る
前は自民党は農家の票を頼っていたのである、それは農協が利権化して農家を牛耳り票を集めることで成り立つからである
ここではそうした政府ー農協によって自由な競争がばばまれ利権化してかえって利益が個々人の農家にまわらない、そこで収益が吸い上げられていることを指摘している
つまり中間搾取されている、それが政府がかかわってくると強力になるから政治を変えないと変わらない、それで民主党時代に個々人の農家に直接に補助金を配ったことをここでは評価している

漁業権のことを私はプログで追及してきた、それは原発と深く関係していたことが原発事故で判明したからである
海が資源保護とかではない利権化して海を東電に売り渡したからだ
資源保護などということは無関係に海自体が利権化して東電に漁業権を売り渡した
そこで船主などは原発御殿を建てたとか回りでうらやましがっていた
事故後も補償金が確実に入るから裕福なのである、だから真っ先に立派な家を建てたのは船主だったのである
第一海が放射せ物質で汚染されたからと漁業組合が交渉してもっと補償金を出せというのも変であり矛盾である
漁業権を東電に売り渡したのだからそんなことを言えないのである
あなたたちから私たちは{東電)は海を買ったのです、それで海を汚しても文句言えますかとせなる
そもそも海は誰の者なのか?漁業権は漁師たちだけの漁業組合のものなのかとういときそうではなかった
あくまでも資源の保護とかのもののために漁業権は与えられているのであり東電に売り渡すために与えられていなかったのである

暴力団が密漁したときそれは漁業組合を無視してとって安く売ったからだとなる
つまり漁業組合が実は暴力団でもあった
俺たちの許可なしで魚をとってはならない、海は俺たちのものだから勝手にとることは許されないとなっていた
それは資源保護の名のものとにそうなっていたのである
でも現実はこの辺では海は利権化して漁業組合のものになっていた

それで魚は消費者のものだという漁師がいた、海の魚は海は漁師だけのものではない
そこを利権化して漁業組合のものだとするとき矛盾が生まれた
それは自然自体が実は農業者のものでも林業者のものでも漁業者のものでもない
土地でも山でも海でもまず自然の景観として成り立っているし生態系として成り立っている、またそこをそうした人たちの利権化したものとして所有すると山でも山林が荒れるとか農業でも土地を勝手に宅地とかソーラーパネルとかにされると困ることがあり管理されている
海とか山とか土地でもそれは神によってというか漁師に農民にキコリとかに委託されたものであり所有して勝手にできるものではなかった
だから山林でも入会権がなくなり無数に私的所有が明治以降認められたとき山を管理できなくなった、そこで山は荒れて宅地造成が勝手にされて大雨で被害を受けたことが広島であった、海と大地とか山は生態系に属していて誰が私的に所有することはできない
その生態系が破壊されると今回のように原発事故で住めなくなるからである
そこに住んでいる人たちが海でも大地でも山林でも関係している

ただ都会の人は東京とかではそうした海とか大地とか山とか関係ないように生活している生態系から隔離されたようにしして生活している
でもその水源の山でも放射性物質で汚染されたら水も飲めなくなったのである
食料でも日本から得られなくなることもあった
だから人間は生態系から離れて生きられない、何か文明が発達しすぎて生態系のことがわからなくなっている、実感できなくなっている
電気が太陽替わりにでもなるように錯覚される、そういうことはありえないのだけであまりに文明が発達してそう錯覚するようになる
そこに文明の危険性が落とし穴があった、それが原発事故で証明されたのである

原発事故で田畑が荒地になったとき蛙が消えた、蛙の鳴き声が聞こえなくなった
そしてそれと同時に鷺も消えた
でも田畑が特に田んぼが回復したとき蛙がもどってきて鳴いた
その蛙の鳴く声を聞いたときなごんだのである
田畑は自然と一体化したものであり生態系の一部だったことを知った
ただ無惨だったのは松原が根こそぎ津波で消失したことである
それもまた自然だともなる、それで八沢浦が元の美しい入江にもどったと報告した時顰蹙をかった、そこでは人が死んで幼児でも泥から掘り出されていたからである

でも現実は本当にあそこが入江にもどったとき波がきらきらと太陽の光で光っているとき奇跡のうように思えたのである
その後でも湿地帯になり釧路湿原のようになったのである
津波も自然の作用だったのである、それはあまりにも大きいからどう理解していいかわからないものだった、でも津波は明らかに一つの自然の作用である
地震でもそうである、だから天を恨んでもどうにもならないということである
それで縄文時代だったらそうした危険な場所には住んでいないから津波の被害には会わなかったと思った

とにかく文明人はここでは生態系より原発を神のように崇めていた、科学者を神官として崇めていたのである
なぜなら常に漁業でも農業でも林業でも生態系に依存するものが金にならないと否定されてきたからである、原発は金のなる木でありそれに市町村が依存するようになったのである、結果的に原発事故になりその土地に住むことさえできなくなった
住むことがてきないということは最悪だったのである
たとえ貧乏でも生態系に依存して生活していれば一応なんとか住むことはできた
それが住むことさえできない悲劇になった

津波や原発事故が問うたものは何なのか?
それを追求してきた、それは津波とかなぜこんな災いを人間をにもたらしたのか?
それが不可解だともなるが原発事故だとこれは人間がもたらしたものであることは確かである、自然がもたらしたものではない災いだったのである
だからそれはとめることはできた、津波は自然の作用だからとめることはできない、地震でもそうである、ただ耐震建築とか何か防ぐ手段を備えることはできる
だからいくら自然の作用でも人間は無力とはならない

原発がなくても人間は死なないその土地に住めないことはない、それで山尾三省が言っているように最低限のもの、水とか土とか空気があれば生きられるということもできる
その最低限のものが原発事故で失われたから住めなくなったのである
もちろん電気もなにもない原始時代に還れというのは飛躍である
別に原発無しでも人は生きられる、その被害が余りにも大きかったからそういう反省になったのである
ただ東京とかなるとまず生態系とか意識されない、そういう文明が果たして維持できるのか?何か大きな災害がきてもう東京でも住めなくなるのではないか?
それがどういうふうにして来るのは予想できない、大都会となるとどうしても生態系から遊離しているから何か大災害があるともうそこも住めなくなる
そういう恐怖が常にのしかかっているのが東京のような大都会なのである
その東京に電気を供給するために地方がフクシマが犠牲になったともいえる
その巨大な大都会を維持するためにそうなったともなるからだ

posted by 天華 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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