2019年09月10日

南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる) (震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)


南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる)

(震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)

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南相馬市の予算(震災前と震災後の比較)

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市税が34パーセントであり震災後は5パーセント

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県支出金が5パーセントから47パーセントに

 この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

インターネホットでこの記事に注目した
日本はなぜ会社中心になるのか?それは今回台風でも電車がとまるといっても出勤していた、まさに社畜だとことを証明した
その原因をここの記事で書いている
地方自治体だけではない会社でも国に依存てしいる、国から会社に金が回ってきて成り立っているという、それは地方でも同じである
地方自治体でもそうだし農協とか地銀とかでもそうである、そこには国からの資金が回っていて成り立っていたのである

国の依存体質がありそこで今までは会社が安定していた、特に大企業となるとそうであるこの辺で除染の事業でも請け負ったのは大手のゼネコンでありそこに7兆円の資金がつぎ込まれたのだからその収入は大き大きかったのである
そしてゼネコンでは自民党への献金が多くなったという、政権党になればそうした利権を得ることになる、利権構造ができあがっているからその利権構造の中にゼネコンでも大企業でも入るから会社に社員は依存していれば安泰だと分析している
それが今国全体が経済的に衰退してゆくときそうした今までの構造が維持できなくなったと書いている 

南相馬市で今みんな心配しているのが10年後は復興支援の金が国から出なくなることである
継続して金を国から出されない
まず県に金は入ってこなくなる、地方自治体の金は国から県経由で入ってきている

予算の約半分が国から入る復興資金である
それで南相馬市の震災前の平成22年の予算と震災以後の予算を比べるとこれも一目瞭然である

県の支出金が5パーセントから50パーセントにもなっている

つまりそれは国からの資金なのである、10倍になっている
だからもしこの県支出金が減らされると相当な南相馬市の財政の負担になりそれが福祉とかにも影響してくる
それは私だけが言っているのではない、みんな心配しているのである
これまでは苦しくても復興資金が国から入ってきたから市の財政状態は良かったのである
それが打ち切られるとき南相馬市は危機的状態になるのかと心配するのである

南相馬市の市が税金をとってまかなっていたのは35パーセントであったが震災以後は5パーセントになったのである
それだけ国からの援助資金に頼るようになっからである
しかしあと一年くらいでその復興資金が入らなくなると相当に苦しくなるのがこの数字からも明瞭である
それは南相馬市全体に福祉関係でも影響する、なぜならこの辺は他より若い世代が流出して経済活動が衰退したからである
そして小高のように老人ばかりが取り残されてシルバータウンのようになったりしている
それを維持することが大変になる、金もかかるからだ
つまり復興そのものの資金が入らなくなる、補償金をもらったとしてもそれだけで経済をまかなうことはできなくなる
個々人でも補償金でもいづれは底をつく、だからこそ霞が関の官僚は津波被害地の三陸にはジジババしかいないと金をつぎ込んでも無駄だと言ったのであくる、これには批判があってもこの辺でも老人が若い世代が流出して取り残されているから同じなのである
介護ても働き手がいないから青森に送られているのである
立派な施設があっても働く人がいない、飯館村でも立派な学校でも施設を作ってもそこに通う生徒がいない、子供は村外から通っているし親が住んでいないのである

ともかく日本の会社でも実際は国への依存体質があり金が回ってきて成り立っていから会社に依存して社畜に甘んじていたのである
そういうことでも成り立っていた社会だったのである、それが日本全体の経済が衰退する時成りたたなくなってきたのである
だから地方で安定していた公務員とか農協と地銀とか他でも国からの支えがなくなた窮地にたたされる未来がある
自治体が破産するということを言う人がいるのもわかる
それは国への依存によって成り立っていたからである

インタ−ネットで調べた表では依存と自立を分けていたのでわかりやすかった
今やこうした情報はインタ−ネットで得られる、すると弱小ではあるが何か市民に知らせたり追求できる
一個人でもできるのである、今まではマスメデアを通じてしかできなかったのである
今は南相馬市であれ相馬市であれ他の都市でも市町村でもこうして個々人でも問題点を指摘して市政に参加するべきだとなる
もうマスメデアにまかせる時代は終わった、ただそうなるとやはり相当な知識が必要になるのである
それは一個人では無理になる、でも情報化社会とは政治も変えるということはありうる
まず情報自体得るのもむずかしかったしもうそれを追及するとなるとマスメデアしかなかったからである
もしこうして追求することをしていれば原発でも誰か一個人でも地元で危険を指摘して報告していたかもしれない
民主主義には報道の役割が大きいのである、それができなかったがある程度は個人でも今はできる
それは民主主義を発展させる強力なツールともなる

posted by 老鶯 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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