身近な経済(地方の生活ーそこにも発見がある)
原町の道の駅で買った白い茄子
経済という時、グロ−バル経済に地方でも巻き込まれている、身近な生活というとき私は一万の町で暮らしている
とにかく買い物が仕事である、毎日二回くらいスーパーに行くことがある
そして買い物は種類が多いからむずかいしわからないのである
何があり何を利用していいかわからない、料理だけはだから今でもまともにできない
そして買い物でも失敗が多いのである
どういうわけかツルハのドラッグストアーで着るものでいいものを売っていた
パンツでも肌触りがなめらかなものであり気持ちいいのである
次に長袖のTシャツとかもなめらかで着やすいのである
それからポケット付きのスポーツタイプの長いパンツも着やすいのである
なぜポケットがないと困るかというとサイフが重いからである
そしてこれにはチャックがあるから落ちないので安全なのである
それが今まで発見できなかった
それで通販で買うことが多かったが手にとったりできないとかで失敗も結構あった
着るものはやはり実際に見て手に取ってみないとわからないことがある
だから通販がすべていいとはならないと思った
ツルハでは品物が少ない、本当に少ない、でも選ばれたものを着るもので置いてあった
そこで今は種類が多いからこうしていいもので安いものを選ばれてあると買いやすいと思った、一万の町では常に品物を見ていられないことが問題だったからである
今日は道の駅販売店で地元の野菜を売っていた、それも白い茄子を売っていたのに驚いた農Tube委員会チャンネルで小規模農業が生き残るにはこうした大量規格品でないものを栽培して売ることだと言っていたのこはこのことだった
現在の農業は実際は8割が一千万以上の収入がある大農家で生産して規格品を大量に出している、中小の農家はもう補助金農業とかなるから退職金を与えてやめさせるのがいいという人がいる、現実にそうした農家は高齢化でやめざるをえなくなっているのだ
それで知っている人の野菜を作る畑の前は病気になり死んだ、その隣も老人が車にのせられて這ってしていたが力尽きて放置された
それで土手の道の前の畑は半分が荒地化している、原発事故以後放置されるようになったのである
第一草刈るだけで頼んだら何万とかうなってもらのうにいくらだとか金食い虫になっているのがその畑である
その金を自分が払っているからそんなことしなくてもいいとなってしまう
小さな畑とか趣味でやるにも金がかえってかかり収穫はほとんどないのである
それでキュウリ一本一万にもなる、もらったのは数本のキュウリだけだったからである
それで奇妙なのはその川岸の土手の道にウサギを見た
そこは街が近い場所だから普通は出ない、ただウサギはちょっと街から離れた所でもみかけた
ではなぜウサギが出て来たのか?
それは川岸の前の畑が半分くらい荒地になってその草ぼうぼうの荒地は隠れやすいからなのかと見た
また川岸は草ぼうぼうになって隠れやすいからそこに身を隠して出てこなかった
うさぎ追いしかの山・・・というとき昔はウサギは結構街の近くに出没していた
でも私は子供の時そういう経験はないのである
田舎の生活ではそうして自然の中で生活することがいいのである
土手の道をでんでん虫がまだのっそりと歩いていた、そこは車が通らない
不思議なのは田舎で生活していても退屈で平凡になるから嫌だとなる
でも発見することがある、そのウサギを写真にとれなかったことが失敗だった
何か見慣れた光景でもこうして変化がある
何かしらの発見がある、ただそれは見る人によるのである
ただこの辺は限界集落とかではない、隣にも4万の市があり南相馬市となると原町はもともと5万くらいの都市だったから違っていた
ただ正直田舎というのは地方には金持ちになるチャンスが非常に少ない
それはなぜか?
田舎には金持ちにする機会がないのだ、地銀の人が来て投資信託などして損したことでもわかる
その営業の人は銀行でも株とか投資信託も知らなかったのである
素人同然だけで手数料が入るから適当に自分の金をつぎこんで手数料とるだけだった
なぜなら株が上がっているのにそれを投資信託に回して損したからである
その営業の人は株とか投資信託に何の知識もない
分散投資が基本としてある時それすら守らなかった、株とかも分散投資にしてもっていれば良かったのである
ただ自分は忙しいからみんなまかせたのである
もし都会だったら仙台でも住んでいたら選択する所が多くなる、すると相談できる場も増える
田舎では地銀でも町に一つしかないからだ
それから都会だといろいろ選択できる、医者でもそうである、田舎では選択もしようがないからだ
そもそも医者がいればいいとなっているからだ
それでむずかしい病気になると仙台と福島の医大に行くほかないのである
金儲けでもビジネスをするにしても田舎では不利である、まず需要がないからである
現実に田舎の市場でトマトが一個400円したとかなる、それを買う人がいるのか?
都会だったら金持ちがいるから買うからすると田舎でも金持ちになる農家が増えるとなる
それは中国で都会に野菜を売って金持ちになった村があったからである
田舎では需要がなんでも限られているからである
今田舎とか地方の生活は苦しくなっている、常に明日食べる食料が買えないとくる70歳近くの女性がいる、国民年金の額が少なすぎて基本的に生活できないから常に水道をとめられるとか電気を止められるかと騒いでいるのである
その息子もいても余裕がない、その息子は建築関係でも正社員なのである
仕事で怪我して労災をおりるとか社長は社員のめんどうみがいいのである
でも親が青森に介護に送られていて何か介護用品の請求で金を払わされている
それも苦しいと思った、介護というのは長いし金もかかるのである
私の場合は介護に金はかからなかった、でも施設に入れたりしたらかかっていたかもしれない、その点は救われたのである
ただ一人で苦しく大金を盗まれたとかの被害があったからやはり金はかかったのである
家族がみんな死んでわかったことは一人暮らしというのが老人にとってどういうものかわかりつつある
一人というのは良くない、一日しゃべる人がいないということは精神的に良くない
孤独がいいということはある、でも人間は一人だと良くない
その女性とはただたわいもないことを話すだけで何か孤独でなくなる
そのために金を払っているともなってしまう
話がうまい女性だからである
だからわかったことは女性でも男性でもこうして家族がいなくても友達とかいれば孤独にはならない、たわいもないことを話していてもそうである
孤独死とか孤立死とか現代では成り安い、でも何かそうした人が回りにいれば家族がなくても孤独を感じないのである
私はとにかく人付き合いをしなかったし今もしない、それが異常化していたのである
今でも人付き合いその女性としかしていないのである
ただ家族が死んでから介護になってから人とは話すようになった、もともと話せないというわけではない、話すことが面白いという面もあった、ただ基本的に人付き合いが苦手なのである
田舎暮らしを老人は憧れる、実際老人は田舎の方が向いている、
でも辺鄙な田舎で生活すべきではない、近くに都会がある方がいいのである
やはり買い物とか楽だからである
私自身が今や仙台にすら今年一回行ったとかで遠くに行っていない、それはやはり人ごみとか嫌になり騒々しい所に行くことが疲れるからだとなる
それも年になったせいだと思う、前からそういう気質があり都会を嫌うようになったのが自分だたからである、それで旅行は世界まで60までつづけていたからこれも異常だったとなる
そして今ではそうした経験を記憶したものを文や詩とかにして書いているのである
でで虫の歩みの遅くこの道にウサギの出るや草深きかな
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