2019年10月21日

自然災害がつづくのは天罰なのか? (なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)


自然災害がつづくのは天罰なのか?

(なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)

天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  

全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『 金枝篇』 J.G.フレイザー

なぜこうしてこの辺では甚大な災害に見舞われているのか?
これをいろいろ追求してきた、他の人も追求している
科学がいくら発達しても不可解になるからだ
それで天罰論が生まれてくる、自分自身もその説をとって発言してきた面があった
ただ今は科学時代だから科学的考察が不可欠なのである

でも何かその原因を科学的なことではなく政治とか社会とか人心の乱れとかがあり大きな自然災害が起きてくるとすることが昔から言われて来たし今でも言われるのはなぜなのか?
それは現実にそういうことがあるではないか?

なぜ公明党の国土交通大臣が西日本豪雨で苦しんているときカジノ法案のために時間をかけていた、その方に熱心だったというときもそうである
そうした政治の不備があり自然災害に見舞われる
その原因は政府にあり国土交通省にあるともされる、それは天皇に責任があるとか王に責任があるとされ殺されたり世界でも災難がつづくと神に犠牲を生贄を献げていた
またノアの洪水は人の心が悪くなって神が起こしたとされるから宗教的見地からみて起きたとなる
だから中国でも治水が最重要課題でありそれがうまくいかないと王朝は交代する
自然災害でも時の政府の責任にされるのである

現実そういう面は確かにある、なぜ公明党の国土交通大臣がカジノ法案を通すために力をいれているのか?それは創価の会員も特に婦人部は反対している
ギャンブルの夫がいて苦しんでいる人がそこには多いからである
だから創価では盛んに仏罰を言うけど自ら仏罰を招いているのではないかとまでなる
そもそもそうした団体が仏罰など言えるのか?
そこにいる人たちがどういう人達か見ればわかるだろう、普通の俗人のそれも何か社会的に人の世話になるような人たちが多いからである
日蓮が仏罰を言うなら予言者が言うならわかるがそういう俗世にまみれた人たちが仏罰など言えるだろうか?
むしろそこにはかえって仏罰が起きてくるのではないか?

ただそんなことを言うのは公明党が政教一致だからそういうのである
別に政教分離だったらそういうことは言わない、やはりただ政治の不備だとして責めるだけである、そこに神仏はかかわらないのである
なぜ天皇が災害の責任を負ったのか?
それは天皇は祭司であり日本の国を守るものであり宗教的なものがあったからである
祭政一致だからそうなった
政治とは政(まつりごと)どありもともと政教一致であり祭政一致だからそうなったのである

本当になぜ福島県でこの辺でこんなに災害が連続して起きているのか不可解になる
その原因は原発などを作ったからでありそれも天罰だったとなる
神がそんな危険なものを作るなということで罰を与えたのかとなる
それは神話をさかのぼればギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたことまでさかのぼる
それは神から盗むことからはじまっていたからである
何らかで人間の技術は神から盗むことに由来しているのである
太陽光発電も風力発電でも一見自然のエネルギーのようでもそうではないと武田邦彦氏が科学者が言っているのだからそうなのかと思った

だから必ず人間の技術は自然破壊に通じているのである
水力発電でもそうだと言っているからこういうことはもう人間が生きはじめてから起きていることだと思った
石器にしても必ず殺戮のために使われたしいい面と悪い面に働くことがあった
原発にしても原理は同じである、石器と同じなのである
人間の技はいい面と悪い面に働くことでぱ同じである
だから技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである、日本ですらそういう意識があって言葉が生まれていたのである

なぜ自然災害がこんなに起きるのか?それもどうしてこの辺に連続的に起きるのか?
原発事故では飯館村が被害が大きかった、津波の被害があり次に丸森町があんなに洪水で被害になるとは思いもよらなかった
相馬総合病院に入院ししてた時、新地の人と松川浦の人がいて丸森の人がいた
新地の人と松川浦の人は津波の被害にあっていた、新地の人は一番被害が大きかった
そして今度は丸森の人は金山だったがそこも被害にあったのかとなる
福島県でも郡山市の方まで被害があった
それは何なのだろうとなる、飯館村は原発で大被害になり隣の丸森町が大被害になる
相馬市でも津波の被害が甚大だった、今回の宇多川でも洪水になった
六号線の東側の飯淵とかが被害が大きかった、ただその他は床下浸水でさほどの被害があるとは見えなかった

何か日本全体でもこういうときは天罰論が言われるのもわかる
何か仏教でも末世だとか言われるのはそのためである、日蓮はその末世に生まれて仏法を説いたからである、その時モンゴルも攻めてきたからである
内憂外患の時代の動乱の時代だったからである
今も日本はそれににている、内憂というとき経済が落ち込んでもう日本は貧困国家であり後進国になったというときもそうである
何か大きな改革をしないかぎりもう日本はどん底に陥ってゆく
そのためにこんなに大災害が連続して起きているのか?
それは日本の改革をうながすためなのか?

例えばオリンピックとかカジノなどに勢力を費やすな、金を使うな

原発は日本では危険だからやめろ

経済もグロ−バル経済とかは日本の文化を破壊するからほどほどにしろ

・・・・・・・・・・・・・

何かそういうことを警告として自然災害が起きているのかともなる
そして東京一極集中をやめろ、遷都をもう一度考えろとかなる
日本は古代には頻繁に遷都していたのはその場所が穢れてくるから別な土地に都を移したのである
ただ東京は余りにも巨大になりすぎてできなくなった
だから東京に大きな災害が起きない限り真剣に遷都を考えないのである

次に東京に大災害が来る!

これは天罰論ではなく科学的にもう確実なのである、ただその時はじめて日本改造が起きる、改革が起きる、そうならないかぎり遷都はできないからである
それより東京が一千万人とか集中している弊害が大きいのである
だからこそ東電では電気がたりないと福島に原発を作ったりするからである
東京から災いがもたらされることが多いからである

とにかく天罰論というとき人間は自然の事象でも科学的に合理的に解き明かせないからである、それだけ複雑すぎるからである
確かに人心の乱れからこうした自然災害も起きていることもありうる
それは個人的に自分に起きてきたことでもそうである
そのことを延々とプログで書いてきた、日本の人心は上から下から乱れきっている
ただ金を求めるだけであり後はなにもない、人が苦しんでいてもこの時チャンスだとして金を求めてくるだけである
絆のことを言われたがその絆は外との絆であり内部では絆がなくなっていたのである
原発は電気は必要でもそれが深く人間の欲と結びついてできたものだった
その後も補償金でもめてこの辺は分裂したのである

そしてなぜ福島が連続して災害にあうのか?

これも不可解なのである、なぜ郡山市まで被害があったのか?
あそこには銀行の本店がある、そこの人が投資信託をすすめられた、それは詐欺まがいものだった、それも今回の災害と関係しているのかとまでなる
何か本当に自分の一身上に起きたことはただ人は金儲けの対象でしかないことだった
事業に失敗した人は借金に苦しんでいるから弱った時借金を要求してくる
自分の困ったことなど何の関係もない、ただ金を欲しいというだけである
それはみんなそうである、人間の情すら今や社会から喪失しているのである
だからそうした人間の心が冷たくなったときノアの洪水が起きたとしている
自然災害が仏教でも神道でも神からの仏からの罰だとしている

おりしもなぜこの時期に新しき天皇即位があるのか?

洪水被害で延期された、何か天皇即位を祝う気持ちになれるのか?
つまり天皇が自然災害で日本ではその責任をとってやめたということが過去にあったからである、だからこれも時期が悪かったなとつぐづく思うし国民がとてもみんなで祝うという気分になれないのである




posted by 老鶯 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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