2019年10月27日

悪い病気でも死なない人の謎 (社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


悪い病気でも死なない人の謎

(社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


医療が進歩しているから今やいろんな病気でも簡単には死なないのだろう
その人は病気と聞いてから5年以上それより長く普通に働いている
そして街に自転車屋が一軒しかないからもしそこがなくなると不便になる
それで古くなった自転車を無料でひきとってもらった
それは高価だったが使えなくてなんにもならなかった自転車だった

ただそれなりに商売できるからつづけいるのだろう
あまりに収入が低くかったらできない
その人は話ができる、ただ自転車の技術屋ではないのである
良く職人気質とかいうときただ物つくり一筋に励んでそれを売るということでは商売では愛想が悪いという人がいる
そこが一人で経営していることのむずかしさである
大工さんでも本当に話がうまいというか商売に向いている人がいた
その人は自ら注文をとる一人親方だったのである
そういう人はいるにしてもみんながそうはならない
自転車屋はただ自転車だけを見ていては商売にならない、客との交渉とかあるからだ

その店は時々休むにしてもなぜそんなに長くつづくのか?
それはその仕事をすることに役割がある、その仕事をする人がいなと困る
町に一つしかないとそれは貴重になる
隣市に行くと不便なにるからだ、するとそういう気持ちがその仕事をしている人に反映するのかもしれない、それで病気でも仕事が続けられるとなっているのか?
休む時は点滴しているというから結構病状はいいとはいえないのである

ここは謎ではあるが認知症の場合は確実にあてはまる
認知症も謎だけどどうしてなるのか?それを前にも書いたけど役割喪失であり仕事がなくなることなのである
一人は家事を94歳までしていた、働き詰めだったし趣味もなにもない
でも94歳まで家事の仕事をしていたのである
一人は役所を定年退職してなにもしなくなった、家事すらしない、用意されるからしない結果的に認知症になった

仕事がない、役割がないは認知症になる確率が高い

これは原因はわからないにしてもその確率が高くなる
仕事がない、役割がないということは人間にとって相当に深刻なのである
何もしなくてもいいのだから楽でいいのではないかとなるがそうではない
それは人間にとって深刻な問題を引き起こすのである
それがボケになり認知症になることに通じていたからである

たから嫁にばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでも見ていてくださいと言われる老人がぼけるというのがそうである
つまり家でも家事をすることがないからである、でももし料理が上手なら料理を嫁に教えたりしていたらそういうことはない、でもそれはみんなができることではない
何故か家事をしてみると料理でもこまかいのである、いろいろ種類をそろえねばならないから手間だなとりほとんど買っているだけである
人間はいろいろなことを一人ではできないのである

だから人生百年時代の大きな問題は金もある、これも深刻だけど会社を退職したりするとそこで役割を失う、仕事を失うことが深刻なのである
そして会社を退職すると「ばあちゃんはテレビでも見ていてくださ」と男でもされるのである、ボランティアにしてもそれを受け入れる場所はない、地域でもない
すると仕事がない役割がない、生きがいがないとなることが深刻なのである
高齢化社会はそういう人が社会にあふれる時代だともなる
高齢者の役割は何か?病気になり病院に行くことであり介護されるだけだとなる

しかしそれは社会的費用が膨大にかかる、労力もかかるのである
認知症患者が800万人になるというとき空恐ろしいものとなる
社会を認知症の患者が徘徊して彷徨うとなると悪夢だとなる
人生百年時代になると会社人生だけではなんライフワークとかをもつ必要がある
雑学でもいい何か専門をもち認められるように努力することが必要になる
そうしないと会社を退職した時点で仕事もなく、役割もなく、生きがいもないとなり
認知症になりやすいから怖いのである

働くということはWORKすることであり機能することである、社会的にもその人が機能する
役割をもち社会に機能することである、そこに生きがいが生まれる
ただ社会に機能しなくてもアウトサイダーのように別個の価値を追求することもあり売るただこれはかなりむずかしい、だから簡単なことでも何か社会に機能する仕事が必要なのである
女性ならやはり家事を続けるとかでもいい、家の中でも機能する、役割を喪失させると認知症になる危険が高まる
それは今度は周りに迷惑をかけるから家族も崩壊するようになるから家族の人も認知症にならないように注意しないといけない
何か役割を与えるようにしないと危険になる

とにかく人生百年時代は人類でも経験していないことである
だからそこに様々な問題が起きて来る、経済的問題も深刻だけど社会から無用化されて
家でも無用化されて何の役割も生きがいもないとなりボケになり認知症になる
それも高齢化社会の大きな深刻な問題なのである

自分の場合は性格的に内面的な仕事に向いている、外面的な人と接する仕事には向いていない、それで社会と適合できずに社会からはずれた生活をしてきたのである
でも社会的生活も有益である、無駄ではない
結局人間が経験するのはわずかだからである、するとなんでも経験したことが貴重になる個人では限られたことしか経験できないからである
でも仕事は積み重ねである、知識でもそうである、だから退職してから何かはじめようとすると困難になる
ただ人生百年となるとそこからでも自らにあったものを仕事とか役割をもたなければならない時代になった、そうしないと認知症になるリスクが高くなるからである

もしかしたらその人が社会に役割があり家族でも役割があるとき死なないのかもしれない役割も仕事もなくなった時その人は認知症になったり病気になったりして社会的家族的死になる、その時その人はもうすでに社会から忘れられたものとなっていたのである
その人がいるかもとうかもわからない、社会から消えるのである
社会的死になっていた、そして後は大迷惑かけるだけの存在になってしまったのである
そういう認知症が800百万にになるのが高齢化社会でもあるとしたら空恐ろしいとならないか?医療費ももう限界にきている、介護も人がいない、貧乏社会になり介護費用も払えない、その負担が今のロスジェネ世代なのである
その人たちは金銭的にも余裕がないからだ
そういう悪夢の時代が現実化するのがもうすぐだという恐怖になる

ただいい面としてはそれだけ長く生きると何かをライフワークを追求するのには有利になる、急ぐ必要がないからである、成果を出すのは七十以上てもいいとかなるからだ
その後でも精進つづけられるからである、何か本当に学問とか芸術とかでも知識の分野は一代でも追求しきれないものがあるからだ
それだけ知識の分野は広いからである、それでそういう分野では才能を発揮できる人が増えてくる、インタ−ネットなどでも独学でもできる環境が整ってきたからである
それで自分自身もこんなにプログで書いているのである
文章だと書ける、しゃべるとなると私は苦手だからできない、それでこんなに書いているのである


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