なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか?
(福島県は呪われているのか?)
自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
リスボンの大地震ではもう海外に進出する気概すらなくなりポルトガルは衰退したのである、それほどの打撃だったのである
だからなぜリスボンだけにそんな大災害が起きたのか?
そういう疑問が起きるのはわかる
なぜ福島県にこんなに災害がつづけて起きるのか?
まず巨大津波が襲い原発事故になった、そしたら原発事故で住めなくなった双葉、大熊、などの人たちが大量にいわき市に移住していわき市にもともと住んだ人たちともめた
なぜなら原発避難者は多額の補償金をもらったから家を建てることができた
でももともと住んだ人たちはかえって土地の値段が上がったりして家が欲しくても建てることができない、それで不満になりもめた
そししてまたなぜなのだうか?いわき市も今度は台風被害で苦しんでいる
それからノロウィルスがでてまた恐怖になる
いわき市には双葉や大熊や浪江でも原発避難者が相当数移住している
そこにまた台風の被害があった、津波の被害者もいた
これは何なのだろうとなる
相馬市とか南相馬市とかさらに石巻とかまで太平洋岸では津波の被害で2万人近く死んだというのは8年前くらいである、そして今度は台風の水害でこの辺は苦しんでいる
相馬市となると松川浦とか海岸が大被害になった記憶はまだ生々しい
次に今度は相馬市内とか宇多川と小泉川が決壊して床上浸水になったところが結構ある
これも何なのだろうとなる
そして山を越えた丸森の被害が津波の被害とにていたのである
角田までの河岸が浸水した、また山崩れで死んだ人もいる
そして丸森町の隣が原発事故で被害が大きかった村だった
そこは田んぼの表面の土が削られて放射性物質のフレコンバッグが積まれた無惨な村になっている
私は飯館村とか丸森町は特別風光明媚な土地として見ていた
それがあんなに無惨な姿になるのは何なのだろうとなる
何か相馬総合病院の病室に一緒だったのは松川浦で津波の被害にあった人と新地で家まで失った津波の被害者とそれから丸森町の金山に住んでいる人だったのである
その人たちがみんな津波や今回の台風の被害者になった
なぜこんなに災害がつづくのか?
原発事故の原因は津波とか地震と関係していても人災ともみる
10数メートルの津波が来ると東電の頼んだ学者が警告していたのに無視してその備えもしないので電源が喪失して爆発してメルトダウンになった
原発に関しては技術的な側面もあるがモラル的な側面もあったし何か人間側に原因が求められる、だからこそその不備が訴えられる
そもそも原発は神に敵対するものでありそれが呪いとなった
それはゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたプロメテウスだった
それとにてやはり人間に与えられた神の罰なのか?
何かそういうものを感じてしまう、そのためにこの辺一帯は呪われた場所になったのか?丸森町は飯館村の隣でありなぜそこがまたあんなにひどい被害を受けたのかも不可解だとなる
飯館村と丸森町は原発とは関係ないのである、だからそれも不可解だとなる
福島県の中通りは阿武隈川に沿った市町村の被害が大きかった
それは原発事故のときも放射性物質が意外と風にのって飛散して汚染された場所だったのである
ただ不思議なのは福島県は広いから会津地方は今回はそれほど影響はなかった
それも不思議だともなってしまう
だからなぜリスボンが壊滅的被害なのにパリは踊っていると恨むようになったのである
ただ日本はこうして定期的に自然災害に見舞われる国である
だから歴史的にもそうでありカルマだとなる、でもなぜ飯館村とか丸森町とかまで悲惨なことになったのか?
そこで何か悪いことをしたのか?そういうことは別にないのである
そしてなぜ自分の一身上の禍を書いてきたけどそれもなぜだったのか?
それは自分自身のカルマの清算として過酷なことを強いられたとはなる
でもまた回りでもこうして次々に災難に見舞われるのか?
この辺はソドム、ゴムラになったのか?
つまり災いの地であり神に滅ぼされるから神の民は逃げるほかなかった
現実に一瞬にして滅ぼされたからである
何かそうしてこの辺には深刻なものを感じてしまうのである
リスボン大地震では国家自体がその後衰退した、海外に進出する気概さえ失われた
それだけリスボン地震は人々の心をくじいてしまったのである
今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
まさに飯館村とか丸森はそういうことはない、享楽にふけるような金持ちはいない
都会とは違うからである、ではそういう場所になぜこうして自然災害がふりかかってきたのか?それは津波でも問うてきた
ただ津波の場合は原発と関係して複雑なものとなる
原発をもたらしたのは政府とか東電だけではない地元の人たち積極的にかかわった共犯者のようにもなっていたからである
原発から大きな利得を得ていたからである、それはモラル的には責められるべきものだったと今ではなる
その後もモラル的にこの辺は荒廃してしまったのである
補償金を得ることしか頭になくなった、そして補償金で争い飯館村でも分裂したし南相馬市でもそうである、そこには暗黒が生まれた
暴力団が東電から何億という金を補償金として不正にもらっていたとか腐敗があった
それは高浜町でもあり原発はモラルの腐敗を生むのである
その原因は巨額な金がそこに動くからである、飯館村などで何億円もらったとかなると完全に日常感覚から離れて狂ってしまったのである
までいな村などとはまるで違った世界になってしまったのである
例えば南相馬市では小高と鹿島区は補償金のことでもめて分裂した
でも小高の人は原発避難者が何をしていたか?
その補償金で毎日ギャンブルでありフィリンピン女性に仙台をで店を出させて補償金をなくしたとか嘆いているという人がいた
何か多額の補償金で身を持ち崩した人がそれなりにいたのである
それで小高の人を非難するとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる
なぜ鹿島の人は苦しい時同情もしないのかとなったのである
でもこの辺は津波原発事故以後にかわいそうな人たちとなり同情されるべき補償されるべきだとなったのである
それは被害者意識でこりかたまり韓国とか沖縄と同じくなっていたのである
何かあれば原発のせいだとなって終わりなのである
凍み天が倒産したとしてもそれも原発のせいだとしているがあれは誰でも作れるものだと女の人が言っていた、何か特別なものではなかったのである
結局水俣病でもそうだったように補償金だけをもらうために病気を偽装していたりとありそれで補償金でだめなにったとその当人が言っているからここも同じだったのである
そうしたことは必ず子孫にも影響する、何かあったら東電が悪いとかなる
そして補償金をもっともらう、被害者としてありつづけることだとなる
そういんう心性がこの辺のエトス(共有する心情)となってしまったのである
ただそれがあるにしても丸森町があんなに悲惨な状態になることは何なのだろうとなる
それも不可解なのである、
飯館村とか丸森町が何か悪いことをしたのか?
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
これと同じなのである、むしろ東京に災いが来るのが理にあっている
東京の問題が地方にもちこまれたからである
原発は東京に作るべきなのは安全を計り福島にもってきて犠牲にしたからである
だから次の大災害は東京に来る、ただ台風の被害は最小限にとどまった
でも次はもう逃れられない大災害が来る
その前兆として福島とか宮城県の大災害だったのである
享楽に耽っている東京より、
福島県(宮城県)が大きいというのか。
どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである
災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf
福島県(宮城県)が大きいというのか。
どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである
災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf
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