2019年11月10日

相馬市へ秋から冬の俳句短歌 (相馬市の城下町には柳が似合う)


相馬市へ秋から冬の俳句短歌

(相馬市の城下町には柳が似合う)

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( 山上)

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秋日さし山上に一服碑も古りぬ

山岸の社の石段秋の蝶

社一つ古き碑並び秋薊

柿なりて山岸に見ゆ塩手山

社一つ山岸に古り柿なりぬ

山里に変わらぬものや松に柿

とおすみのここに死になむ社かな

山上に紙漉き沢や冬に入る  

(黒木)

北風や館跡ここと地に記す                         

柿なりて新地の道や昼の月

風荒し初野に朝散る木の葉かな

(相馬城下町)

秋薊相馬六万石の城の址

相馬市の鉄路の脇に秋柳

田町にそ夕月光り冬柳 

田町にそ長々しだれ冬柳 

(初野ー山上) 

風荒く初野の奥や家のありまれに来たりて木の葉吹き散る

山上の稲は刈られぬ我が休み塩手山見ゆ親しき山かな
   
山上の巌を打ちて出水の流れひびきぬて橋は壊れぬ

今里の社に草むし埋もる碑や秋の日さして我がたずねけり

朝日さし街道の松の影さしてあざみ点々城跡に来ぬ

銀杏の木古りて根付きぬ冬の日や杉の木もここに齢を重ぬ

北風のうなり吹きつけ黒木城その跡ここに恨み残しぬ

出水の後に満月こうこうと知らず輝くうらめしきかな  

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諏訪神社

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グーグルマップのストリートビュ-でこの柳が見えた

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山上では山岸という所に日吉神社があった、日吉神社は相馬藩に多い
それは南北朝にさかのぼり霊山城が燃え落ちたとき落ち延びた落武者の末裔がもたらした神である
その基は南相馬市の鹿島区の日吉神社にある
山上には紙漉き沢があるからここでは紙漉きが行われていた
紙漉きは水がきれいな所で行われていた
それも冬なのである、だから仕事としては厳しかったのである
石神地域でも紙漉きが行われていた、それは越中などからの移民が伝えた紙漉きだった
なぜなら越前には越前和紙という有名な和紙の産地があるからだ

初野というとき相馬の城跡の後ろの山から広い地域になる、さらに山の方に広がっている地域である
初野とは初めて開けた土地という意味である
だから後から開墾されて人が住んだとなる
ここで地名が合っている、地名と地勢とかが合っているとそこがなじみやすいのである
初野から山を越えて丸森まで行く道があるけどそこは七曲の坂が続く道なのである
とにかく初野という地名が自ら行って回ったことでその地理を会得したとなる
まずこの地理を知ることは近くでもむずかしいのである

相馬市の諏訪神社の銀杏の木と杉の木は貫禄がある、樹齢も百年以上とかなっているだろう
この神社は松川浦から500年前頃遷宮したとありそれだけ古いとなる

 (黒木城跡)

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 この地域は伊達領と近い。当然のことながら、戦国最盛期になると、相馬氏と伊達氏との勢力争いが激化することとなる。お互いに周辺の小勢力を併合していけば、最後は激突せざるをえない。伊達氏領に近い位置にある黒木城は、対伊達の要塞として順次整備されていったことだろう。現在見られる、堅固な二重堀といった構造は、そうした時代を背景に組み上げられていったものだと思う。 

黒木城は伊達との境目辺りにある、新地との境目辺りである
新地は相馬なのか伊達なのかまぎらわしいのである、実際は伊達氏の領域だったのである黒木氏はそういう狭間にあった城だった
この城はなかなか良く作られた城であるとここで説明している 

(相馬城下町)

いつも不思議に思うのは相馬市である、それは原町と比べるとわかる
相馬市は小さいにしろ城下町だったからそうした雰囲気があるのかしんみりとする街なのである
原町の歴史は浜街道の宿場町であったのは鉄道の駅から相当離れている
でも原町機関区になり明治以降発展した街である
だから街の作りがそもそも違うのである
相馬市は城下町のままであり城跡を中心に作られたままである
駅前通りがあっても駅前通りが新しく作られたのとは違っている

それでなぜか、柳が合っている街に感じる、長々と柳がしだれている、それで洪水にはなったが鉄道の脇に柳があった
そこを鉄道を通っているのをきづきにくい場所だった
でもこの鉄道と柳がまたあうのである、鉄道には何か不思議に街と一体化するものがある
風景と一体化するのが鉄道なのである、車にはそういうことがないから嫌いなのである
鉄道の歴史そのものが古くそれも影響している、だから柳が相馬市の城下町にあい鉄道にも調和してある
相馬市は城下町らしく何か近代的ではない、古びたものを感じる
おそらく高いビルなどがないものも影響している、公共の建物を入母屋式の古いものにしているのも城下町の風情を造りだしている
だから何か柳が合う街なのである、田町の柳は大きいから見ものである
ただ新しい街並みは何かそぐわないともなる、古くて何か道も車の通らないような昔風だと情緒的には良かった
新しくしたのはいいが昔の田町を偲ぶとはならない、ただあの大きな柳だけは昔風なのである
つまり相馬市は柳がにあう街であり藤の花が似合う街だとなる 

ともかく洪水とか台風も二回来て俳句とか短歌をプログに書けなかった、こういうときみんな困っているから俳句短歌などは出しにくい、それで津波の時はしかられたということがある
ただ一つは記録として残すということがある、それは後世のためにその時どういう状況だったかを記録するのである
それが郷土史となる、今回は津浪とは違っていてそれで台風の被害でプログに出していないのをアップした
丸森に行った時は北風が吹いて楽ではなかった、でもヤマハの電動自転車は馬力があり走り安いから風の中でも行けたとなる
この自転車は機動力がある、道が悪い所でも行けるので何か取材するのにはいいと思った










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