人間は時間をかけないと何も育めない
(猫も親しくなるのに7年くらいかかった)
我が家に猫のなつきぬ側にいて78年すぐ冬に入るかな
この猫はあまり自分によりつかなかった、別に私自身がこの猫を飼うということでもなかった、いつのまにいついた猫である
一時汚したりしたから怒ったりした、それで恐れて隠れる
一時は一か月もいなくなった、何か家にいつかない外に出る猫だったのである
しょっちゅう家を留守にしてぶらついては帰ってきていた
今でも触ることはできない、嫌がり逃げるからである
そこまで親しくなっていないのである
ただこの猫は一か月くらいいなくなったときもう帰ってこないと思った
でも帰って来たのは尻尾が誰かによって燃やされたのである
そこで尻尾からずっと血がでていたのである、最近は血はとまっみたいだ
何か猫は家を汚されることがあり嫌な面があった
だからこの猫はいつも縁の下とかで隠れることが多かった
でも餌をやっているから一応家からは離れずにいたということである
猫の不思議は最近は家にいて自分の側にいることが多くなった
するとなついてきたのかと見る、でも触ることはできない、逃げるからである
猫は何か家にいると人間のように思えてくる不思議がある
だから猫や犬を飼う人がいるのは一人で暮らす人が増えたということもある
猫を十匹飼っている女性もいる、それも福祉の世話になっていて金がないのに餌を与えているのである、それは迷惑になる
猫とか犬を飼う人が多いのはなぜか?それは犬とか猫は従順なのである
かえって人間より素直だと感じる、人間はなにかとうるさいし逆らうからである
子供でもそうである、猫と犬は飼い主に従順なのである
それで何か猫や犬をかわいがる人が増えたとなるのかもしれない
つまり現代の人間は従順なものがない、結婚しても夫に従順に仕える女性などいない
だから離婚が多いのである
ただ犬猫でもおそらく子供の時から飼っていれば親しくなる、それは人間でも同じである動物は親がいなくなると何でもいいからついてゆく習性がある
親でないものでも親だと思ってついてゆくからである
だから子供の時から飼っていればなつきやすいことは確かである
私の場合は成長してから飼うようになった、ただそれが自分でぱ積極的に飼うということではなかった、いつのまにいついたという感じなのである
人間は親しくなるには子供の時が大事である、だから兄弟でも姉妹でも一緒に育たないとしたら兄弟という感覚がなくなる、いくら血がつながっていてもそうなる
親しくなるには時間がかかる、猫でも7年くらい自分の場合はかかっている
だから人間は親しくなることは簡単にできない
そてし人間の生きる時間は限られている、だから親しくなれる人間は本当に少ないのである、老人になると旧知の人とか過去に親しく人とか同級生でもまた親しくしようとするのは人間はそんなにいろいすな人と時間をかけて親しくなれないのである
江戸時代辺りだと人間はあまり移動しないから濃密な人間関係があり親しくなっていた
現代人は広域的にグロ−バルに移動する社会である、するとどうしても親密な関係を作りにくいのである
なぜなら江戸時代のように狭い場所で村のようなところで暮らしていれば自ずと時間をかけて親しくなれるからである
だから不思議なのは熟年離婚とか増えるという時ではその後に親しい関係が男女でも作れるのか?それが疑問なのである、第一また親しい関係を作ろうとしたら時間がかかるからである、猫でさえ7年以上もかかったということでもわかる
人間だったらもっと時間がかかる、お手伝いさんだと十年くらい勤めていると家族のようになり信頼できるとされる
それだけ信頼するには親しくなるには時間がかかる
人間の問題は何でも時間がかかることなのである、何かを理解するにも時間がかかる
それで少年老い易く学成りがたし・・・となる
そしてみんな何か成し遂げようとしても時間切れで終わっているのだ
英語でも話せるようにしておけばよかったと後悔してもその時間がなくなっている
つまり人間は金の価値も大きいにしても時間の価値の方がさらに大きいのである
なぜなら百億円あっても時間はもう買えなくなるならからである
あと十年生きる時間をくださいと言っても時間だけは買えないのである
生きる時間は尽きてゆく、実は日々時間は何をするにしても尽きてゆくのである
そして二度とその時間が返ってこないのである
だから認知症になると過去の記憶に生きている、でも現実にそこに共に暮らしていないと離れていて一年に一回とか来る子供のことがわからなくなる
記憶から消えるのである、名前さえわからなくなる
私の場合は60年一緒に暮らしていたから家族がひどい認知症になっても忘れなかったのである人間は離れて暮らしているとその人のことがわからなくなるし信用もてきなくなる何しているかもわからなくなる、去る者は日々に疎しとなってしまうのである
人生の問題は時間が限られていることなのである
若い時は無限に時間があると感じられる、でもすでに30過ぎると急速に老いてゆくことがある、40才すぎると白髪でたりする、そして40になるとおっさんとか呼ばれるようになっいるのである、女性ならおばさんになっているのだ
だから時間が過ぎるのが早いのである
結局人間の問題はいかに時間を有効に使うかの方が大事になる、いくら金があってもその金の使い方で時間を浪費する、時間ほど人間は無駄にしているものはいない
つまり金がなくても時間を有効に使う方法はあった
私が旅したのは別に金がなくてもできた、時間があったからできたのである
自転車旅行になったときはテントだから宿代が無料だから金がなくても時間があれば旅はできる、そして今の旅行は交通費とか宿代にも食事にも金がかかりすぎるのである
その金をかけたわりには旅はなくなっているのである
旅人は現代ではいない、ただ保養とか食事でぜいたくするとかになってしまう
ただ金だと十円でも百円でもそれを失うと何か大きな損したと具体的に思う
でも時間を無駄にしたことを損したと自覚できないのである
時間などいくらでもあるとか若い時は思う、だから時間に対してシビアにならない
そして必ず時間を浪費しているのが人間なのである
老人になるともう時間がない、あとは死ぬだけだとなってしまうのである
最後は時間が切れて万事休すとなるのであく
時間がなくなることが死でもあったのだ、人生百年となると生きる時間をのびるからいい面ではある、でもまたいろいろ問題がある
人生百年ですら短いと思う、もちろんそこまで生きてみないとわからていことがある
時間はやはり限られているのだが人間は時間を一番無駄にしている浪費しているのである
人生は何に時間を費やしたかで決まる
いくら天才でも一人の個人が知ることでも成すことでも限られている
それぞれの人生はみんな違っていてそれは何に時間を費やしたかで決まるのである
その人の才能や向き不向きがあっても仕事でも時間を費やしていれば会得するものがある
それで入社して10年でその将来も決まるというときその若い時の十年間で身につけたものが将来を決めるとなるからである
それで若い日に神を覚えよというときもそうである
若い時しか神を覚える、知る時がないということは今になると恐怖である
なぜなら若い時はたちまち過ぎるからである、享楽にうつつをぬかすのも普通である
そんなことに若いエネルぎー浪費していたら放蕩などしていたらとりかえしつかない
その貴重な時間が浪費されて返ってこなくなるからである
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