2019年11月19日

盲人が復興団地の慰安に来た (大阪からでギターとか音楽での慰問である)


盲人が復興団地の慰安に来た

(大阪からでギターとか音楽での慰問である)

今日午後から駅に回ったら盲人が二人来ていた
復興団地で音楽会してし慰安したという
鹿島の復興住宅はある、浪江の人たちがシシドスーパーの隣に住んでいる
その人たちのことなのだろうか?鹿島には復興団地とか大きなものは建っていない
原町の復興団地にも行ったのかもしれない
そして鹿島駅から乗ったとなる、原町だと復興団地が4階建てとかで多いからである
そういう需要は原町だとあるからだ

ただまだそんなことしているの?

盲人が二人来るとなると手間である、案内の人が一人ついていた
ギターをもっていた
盲人は琵琶法師とかもごぜとかも盲人であり歌を歌ったりして金をもらっていた
座頭などは按摩だった、何か食べるために盲人でも仕事しなければならない
それで鹿島駅には浜吉田から按摩するために仕事で定期的に通っている人がいる

でも慰安するにしても何かかえって援助がないとできないともなる
その人は大阪と神戸の人だった、大阪の人は本当に良く来る
名取で乗り換えて仙台空港から大阪に帰る
だから鉄道は空港へのアクセスのために不可欠だとなる
鉄道と空港が結びつけば鉄道も活きてくるとなる

そこで何かおみやげがないかと言われたがここでは売っていないと言った
何か仙台でずんだもちを買いたいとかしきりに言っていた
空港で買えるだろうと言った

今日は風が吹いていたので遅れたていないかと見に行ったのである
実際原町行は10分とか遅れていた
だから仙台行きも途中で遅れるとういことがありうる
風がこれから吹くと新地辺りで止まるからだ
原町行が遅れると次に仙台行きが遅れる
それで困るのが飛行機は時間に遅れると乗れなくなるし後の便もなくなる
それが一番怖いのである
外国に行くときそれで本当に怖い目にあったからだ
乗り遅れたら大損になる、そして成田空港だと一時間以上とか時間がかかりすぎていたのである、羽田空港だと楽なのである

いづれにしろまだ復興団地に慰問に来ているのも意外だった
もう9年とかにもなる、そんな時は過ぎたようにも思うからだ
ただどういうわけで来たのか良くわからない
もしかしたら仕事として来たのかもしれない、音楽興業だったのかもしれない
ただ盲人は音に敏感になるから音楽に向いている
盲人のピアニストが脚光をあびたのもそのためである

最近は駅に昼間は寄っていたが案内はしていない、今日は風が吹いたので様子を見に行ったのである
自転車で風の中を原町まで行った帰りに寄ってみたのである
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