2019年11月25日

地理と風土が国を作る (日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)


地理と風土が国を作る

(日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)

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日本全体で見ても大阪平野と濃尾平野と関東平野が三大平野であり
ここに大きな権力が生まれたのも地理だったとなる
東北だと仙台平野が広いから米も多くとれてそれを商品として石巻から船で江戸に送ったのである
だから地理が歴史でも作っているのである


山で分断され
海で閉ざされ
川は人を結ばない

何か日本の風土とか地理とかが日本人を作った、これは間違えない、日本人の耕作する土地は平坦な土地が少ない、それはヨ−ロッパとか大陸国家と比べると少ない
それなりに領土が広くても耕作できる土地が少ないのである
ドイツでもフランスでも平坦な土地が多いのである
日本の可住地が27パーセントでありイギリスは島国でも85パーセントもある、フランスは73パーセントでありドイツは67パーセントである、イギリスは山というより丘でありそこはゴルフが生まれのもその風土から生まれた地理から生まれた
イギリス全体がゴルフ場に適した地勢だったのである、だから島国でも居住できる範囲が広いのである
日本のように急峻な山がないのである,その差も大きいのである
ただイタリアは意外と高い山があり山国という感じもする、そこからローマ帝国が生まれたというのもどういうことなのか?
ギリシャも山が多いのである、ただ大陸国家は平坦な土地がつづくのが普通である
だからこそエジプト王国でもペルシャ帝国でも中華帝国でも強大な権力国家が生まれたのである
統一しやすいから中央集権的大国家生まれた、そこにファラオが王が絶対的なものとして君臨する
それは大陸国家ではにているのである


そして海で閉ざされているという時、四方を海で囲まれている、だから海によって閉ざされている
それでヨ−ロッパではイギリスが島国でもドーバー海峡は30キロとかであり日本の玄界灘とは違う、それは常に渡れる距離であり日本人が泳いで渡ったとかもある
でも玄界灘はそうではない、簡単には渡れない、モンゴルの船が渡れなかったのもその距離とか海流とか台風とか日本の気候条件にはばられて渡れなかったのである
そして海で閉ざされるという時、ヨ−ロッパだったら地中海での交流が古代から始まりその歴史は古い、地中海は交易の海であり船で行き来できる内海である
そこで船を操作する技術が発達した
そこからコロンブスが大西洋に乗り出したのである
でも日本だと太平洋でありそれはあまりにも広く島国としてペリーが来るまで閉ざされていたのである、だからこそ300年の鎖国もありえて特殊な国なのである

そして大陸の川は中国でもヨ−ロッパでもインドでもどこでもスケールが違う
それは日本のような激流とかにならない、自然の運河になっていて物が運ばれ人が交流する河である、だから四大文明が川から生まれたという時まさにそのことを語っている
川は物が運ばれ人と人を結ぶ川なのである
日本では川は側(がわ)としてしか意識していない、向こう側に渡るのが川なのである
ということは狭い範囲で生活していて向かい側しか意識していなともなる

ヨ−ロッパでも中国でも川は道路のようなものであり常に交通がある
だからヨ−ロッパでは川を通じて都市が結びつきハンザ同盟とか商人の同盟組織が生まれた、それは国を越えた組織でありえたのは川で結ばれていたからである
また川はリバーはライバルが語源であり川を通じて敵対していた
また川はライン川のように境にもなる、それが川が長く大きいからそうなる
川で遮られるからである、大陸には常に大きな川がありその川が歴史と文化を作って来た父なる川がラインでありガンジス河はインドの文化と歴史の源である
中国でもそうである、大陸は広大でも川で結ばれていたのである

川上とこの川下や月の友 芭蕉

この句にしても風流的に川を見ている、現実に船が行き来して生活の場になる川ではないのである、日本の川は常に変化する川である、それは今回の台風でも証明された
流れが絶えず変わる川なのである、だから古川という地名が多いのである
それは流れが変わって古川になり地名として残ったのである

とにかく日本でも外国でも旅行したから地理に興味をもった
日本は本当に山で分断された国である、それで常に感じているのが阿武隈高原とういう山で私の住んでいる相馬地域は同じ福島県でも分断されている
それは福島市の方面が見えないからである、そこで何か地理的一体感がもてないのであるでも原町の片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたというとき地理的一体感を感じた、新地から見えていたが原町から見えると思わなかったからである
つまり視界に入れば地理的一体感をもつのである
日本は常に山で遮られ隣り合っても地理的一体感をもてない国である

それで峠というときこれは国字であり日本人が発明した漢字だということもわかる
だから峠を越えると新しい視界が開かれる、そういう峠の国だということが日本だとなる
その国の歴史でも文化でも地理と風土から作られる、これは逃れようがないのである
日本人の故郷がアイディンティティになる場所が海ともならないで「国のまほろば」というとき奈良でありそれは山に囲まれた盆地だということでもわかる
東北の地理を見てもそうである、山に囲まれていて平地がありそこは盆地であり平地があり都市が生まれている、でもその平地が少ないのである
そして青森だと山で津軽藩と南部藩の延長として二つが分断されているのもわかる
それは山が分断して言葉も違っているとなる

つくづく日本人は地理的に海でも山にでも分断されて生活してきたのである
まず大陸の歴史とは違ったものとなるのも当然なのである、大陸だと広い視野が視界が得られる、でも日本では常に山で遮られて広い視界が得られないのである
だから広い視野で視界でものを考えることもできないし防衛とかもできない
大陸でぱ中国でもヨ−ロッパでも塔が発達するのは平原とかで遠くをウオッチする見張る塔なのである、遠くから平坦な平原でも敵が攻めてくるのを見張るためである
だから塔に人間の強い意志が感じられる、それは中国でもその塔は何か日本の優美な塔とは違う、堅固であり強固な人間の意志を感じる塔なのである

日本人はどうしても視野が狭くなる、それが山が多すぎることなのである
山で視界がさえぎられ狭い地域に閉ざされてしまう
何か小さな村で閉塞されたようになる、いい面としてはそこで互いに濃密な人間関係を作って協同することである、でも村という狭い範囲が一つの世界となってしまい広い世界の協同関係は結べないのである
だから明治維新から世界に国を開いた時その世界に適応できない、それが太平洋戦争の失敗だったともなる、世界的にそんな大きな戦争などしたことがないからである
日本の戦争は関ケ原を除いて小競り合いの戦争だったともなる
大規模な戦争はなかったのが日本なのである
大陸の戦争だとものすごい数の兵士が大平原に集まり戦争になる
そういうことを何回も繰り返してきたのである
だから戦争にたけてくる、日本は戦術にこまかいことには気をくばるがそうして大局的戦略的に対処するのが苦手なのである

いづれにしろその国の文化はそれぞれの国土によって作られることは確かである
それは逃れようがない運命なのである、大陸国家だと中国でもそうだが巨大な権力が生まれる、始皇帝であれそれは地下にも都を宮殿を作って生き続けようとしている
日本ではそういうことはありえないのである、巨大な権力が生まれない、それで話し合いで決めるというとき小さな村が生活の政治でも経済でも単位になっていたのである
「話せばわかる」という狭い範囲での生活だったのである
だから法律も必要がない、話せばわかるとなるからだ
狭い範囲での意志疎通が中心であり異民族とかの意志疎通は必要ないからである
同じ民族でも日本が広いとしても村という狭い範囲での精神形成になっていたのである
そうなるとこれだけグロ−バル化したとき適応できないとなる
   
日本人は実際は世界で一番冷たい民族だという時、狭い範囲の村が共同体だからそのウチでは強いつながりをもつ、協同する、でもそこから離れた外になると冷たいとなる、よそ者を歓迎しないのである
外国では対立があっても争いがあってもそこでなんとか折り合うとする文化が生まれる、日本では異民族を受け入れることがむずかしいのはそういう歴史がないためである
日本が外交下手だというとき当然なのである、そういう歴史がないからである
狭い村という範囲でみんな仲良く争わないで協同する生活だった
そこにはよそ者は入れないという世界である
だから限界集落でもよそ者を入れない、入れても追い出すとかなりもう限界集落は後継ぐものもなく消滅してゆく、そういう国柄は簡単に変えられないのである

要するに日本がいいとか悪いとかではなく日本を客観的に見るには外国の理解が必要になる、その対比のなかでわかってくる、それはまた時代的にも江戸時代と比較すると今の時代が見えて来る、つまり日本だけでは日本のことはわからない、また今の時代だけを見ても今が見えてこない
それでたいがい日本に深い見方をするのは外国で暮らした人である
留学した人とか外国暮らしをした人とか外国人と共同で仕事した人とかになる
それは否応なく対象的に日本が見えてくるからである
ただ今の時代になると海外旅行している人が多くなったから戦前のような偏狭なものにはならない、情報でもそうである、太平洋戦争では日本人はアメリカのことなどほとんど知らなかったからである
テレビもなにもないし何も知らないのである、それでアメリカを甘くみていたのである
今でも日本はそういう地理でしり外国の理解ができない、それで失敗するとなる 

一番の問題が日本で山が多くて視界がさえぎられることである、そうなると見えないのだから見えない所を考慮しなくなる
例えば身近なことでも常に家事で台所仕事で失敗しているのが目の前に電気の卓上焼き機でもスイッチを見えない方向にしていたらスイッチを消し忘れているとかまた料理する場所が離れていて見えないと何度もIHヒーターの電気を消しわすれとかある
それで前はガスでそうだったから時間を決めて使えるものにしても電気をつけたままだという失敗がある
その原因が自分の視界内にないからである、見えないから失敗している
そういうことはあらゆるところである、原発事故だって迷路のように網の目のように配管がある
その一部分を常に見ている人はその一部分には詳しいのである、だから配管のことをその現場で働いていた人は知っていたのである
上の人は知らないということがある、要するに原発の全体を知るものは誰もいなかったし知り得ないのである
こういうことはどこでもそうである、こんな複雑な巨大な社会になると一部分を見ていても全体を見通せる人などいないのである
そこが盲点となって事故につながる

地理でも常に住んでいる小地域は見えてもその周りの全体は見えない、特に日本では山に遮られて見えない、するとどうしても見えないからその場所を理解できないのである、日本だと山が多い、するとその山の中に隠れたように田んぼがあったりする
その田んぼが見えないのである、だから隠田というのが普通にあっても不思議ではない
こんな所に田があるのかということを旅してもわかる、山の中に入って開けた地がありそれが意外だったのである
平原のような所だった一望に見える世界である、見えるからこそその広大な平野で戦略がたてられる
軍隊をどう配置するかなど戦略がたてられる、日本ではそういう戦略をたてられない
義経のひよどり越えでも信長の桶狭間でもそうである、敵が山の下に休んでいる時急な坂を一気に駆けおりて勝った
まるで滝のように襲い勝ったとなる、相手から山の陰であり見えない、ところが敵は上から見えていたのである
だから見えるか見えないかの差が大きいのである
日本の地理と風土は大陸国家がユニバーサルとして普遍があるとして日本は特殊なのである
その特殊性を日本人自身が理解していないのである


                                             
参考にした本

国土が日本の謎を解くー大石久和

国土交通省に勤めていた人の本である、日本の国土を知ることがやはり第一にある、日本の国土は外国と相当に異質だからである


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