冬の日の石(詩)−田舎に住む存在感
0ne united stone
その場に
石と石
その場を得て
乱されず動かじ
冬の日に
人は老いて
その場に安らぐ
時に一つの石の
そこより取りさられると
その不在を感じる
そのなくなりし石を意識する
またその石のもどると
石と石は
その場に
一つとなるを知る
On the place
the stone and the stone
Get the place
Undisturbed and stillness
One winter day
People are old
On the place
Deeply rest
Sometimes one stone
If taken off from there
Feel the absence
Be aware of the lost stone
When the stone returns
The and the stone
On the place
Know that you will be one
In silence
何か知人が5カ月くらい入院して家が空家になっていた
その人は妻が10年前くらいに死んだ、だから大きな家に一人で住んでいた
庭も立派な家である
それが5か月もいないからその家を気にしていた
でも昨日をスーパーで見た、やっと帰って来たのである
そのことを昨日書いた
その続きとしてこの石の詩を書いた
自分の詩のテーマは主に石がある、昨日は何か冬らしくなかった、今日は結構寒いから冬らしい、それでこの詩ができた
前から「場の現象学」という本から場のことを語ってきた
田舎には一万くらいだと人間はその場を共有して生きているとなる
だから別にたいして親密でないにしろその人が5カ月も入院して不在にしていたということで空白ができた、それを感じたのは田舎だからだろう
都会だったら人が多すぎるから人はいなくなってもそんなことを感じない
まったく意識すらしないだろう
でも田舎だとそういう存在感がある、別にそれはどんな人でも変わりない
人がいるだけで存在感がある
一方でその存在感が悪い方に働くと嫌な人間の存在感も大きなものとなって消えないのである、それが目立つのである、都会だったら人が多いからそんな人も気にしないのであるただ群衆のようにマスとして流れてゆくだけである
記憶にも残らないのである
ただ場をもつというときもし農家だったらもっと存在感をもてたかもしれない
田舎だと農家の存在感が大きいからである、大地に根付いたようになるからである
ただそれは昔の農家であり今は違っている
農家のように見えても今は農家ではない、農家だ果樹とか花栽培とかはそれなりに金になるからやっていけるのかもしれない、他は本当の農家はまれになっている
都会と田舎の相違は収入とかばかりを見ている、他でも都会の華やかな面だけを見ているが実存的というか何か存在感というとき砂粒のようになっているのが都会である
ただそういうことを考慮する人はまれである
人間はただ今は金の価値観しかないからだ
田舎に住みたいというとき金とかだけから見たら誰も住みたくない
しかし何か存在感を持ちたかったら田舎がいいとなる
ただそういうことを考慮する人はほとんどいない
田舎に住んでいてもそういうことがわかるのは老人になってからなのである
老人になると一つの場をもってそこに石のように落ち着きたいとなるからである
だから原発避難者は故郷に帰りたいとなるのである
若い世代は田舎で暮らしていてもあまりそういうことを思わないのである
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