2019年12月05日

店が見せる(魅せる)になっている (常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店が見せる(魅せる)になっている

(常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店というのは見せるからきている、売る物をまず集めて並べる、そしてまず見てもらうことが売ることに通じている
だから店(みせ)がもともと見せるから来ていたのである
棚というときはそこに在庫があるということである

でも最近ただ店で買うのではなく見るということが多くなったのだろうか?
原町のスポーツ関連の商品を売っていた大きなチェーン店がようやく原発事故から8年も過ぎて開店した、それにニトリの家具店だった
だからそこでまず商品を見る、店に入って見る、買うとういのではなくまず見る
ここから商売がはじまる、だからこそ店は見せるだったのである

そして街全体を考えるとそうして大きな店が廃墟になっているようなことが何か街がさびれた感じであの前を通ると嫌だったのである
それが8年もつづいたかからである、でも新しい店ができてそういう感じはなくなったから良かったと思い入って見たのである
でも買ったものは意外と高かった、あそこは高いと思った

ダイユーとかの方が安いし品物も同じでありかえって買った短い絨毯はいいものではなかった、それが長いと思って買ったが失敗だった
ふりかえれば通販だったらそこで寸法が出ているから自分の家で長さがわかったのであるすると通販の方がいいとなる
とにかく通販が多くなった、特に私が通販になるのは車がないからである
原町の店で運送費がとられるから損なのである
この辺も変だなと思って量販店でそのことを言ったら無料で配達してくれた

ただ初めてできたから最初はものめずらしくて入る、買う人もいる、何か多少高くても買っている人はいるだろう
それは悪いことではない、どうも通販だけだと街自体がさびれてしまう
シャッター通りになってしまうのが嫌なのである
原町も駅前通りはそうなっている、だから店はあった方がいい、街自体が活気が出てくるからだ

ただ問題は

店が本当に見せるだけになったこと

売る側にしたらただ見せるだけでは商売にならないのだ
買ってもらわなければ店を維持できないのである
書店にしても今はただ見るだけである、専門書は置いていないからである
本というのは天文学的量があることに驚いた
こんな本があるのととても読み切れない買い切れないのである
ただ安いものを古本化したものを買っている、それで十分だともなる
要するに本でもただ見るために店に入っているとなる

その店で見るにしてもその量が通販と比べると比べようがなく少なすぎる
だからとても通販にはかなわない
そして本当に東京辺りで店が見せるだけになり後は通販で買ってもらうようになった店がある、これまでの店というのがデジタル化で通販と結びついたのである
一応それで商売が成り立つ、そこで買ってもらわなくても通販と結びついて買ってもらうとなる

まさに店は本当に見せるだけで魅せられて買う場となった

ウィンドウショッピングとかあったからそうなったともなる
店は見せるであり街はそうして商品を見せることだともなってしまう
見せることは現物を見るのと通販のように写真で見るのとは違う
手触りとか何か大きさとか現物にふれる魅力がある
だから現物を見るということはそれなりの価値を提供している
つまり通販だけではすべての価値は提供できないのである

とにかく価値は様々なものがあり多様化したのである
だから今までの小さな商店でも勝機はある、街の電気店でも高い値段でもその操作とかアフターサービスを充実した結果成り立っているとかある
何か老人になると簡単なことでも操作できないのである
その操作することを教えてくれるのは助かるからそのサービスに対して金を払うのであるそれも大きな価値なのである
価値というのは本当に多様でありあらゆる価値を提供はできない
いくら通販でも提供できない、だから小さな商店でも勝機がでてくる
それを島倉とかのyoutubeでしきりに訴えている、あれも説得力がある
そもそもyoutubeは新たな価値を提供するツールとなっているからそれ自体新しい価値を提供している、それはテレビとかマスコミではできないものの価値を提供して金をもらっているのである

レストランでも食堂でもそこに料理だけの価値ではない、その食堂であれレストランでも何か店によって雰囲気がある
そこに仲間が集う場になって価値があるとか内装がいいとか広いとかある
私の気に入っているのは原町の高見ホテルの高見食堂である
それはホテル内にある、そこは広々して広いという価値がある、そこでは広いからゆったりできるのである
料理としてはいまいちだというとき何か決まりきっているからである
ても味噌汁はいつも同じではない、魚のアラとかアサリ貝とか蟹とかの味噌汁を大鍋で提供している
自分が一番気にいっているのは広いから気持ちいいとういことである
その広さが私が一番価値を認めているのである
ただ料理は決まっていてイマイチである、ただサシミ料理などはお得な感じがする
ただ料理は決まっているのであきるのである、それで日替わりでカレーを出している所が繁盛しているのもわかる
あきるから毎日変わるものを出すことが価値を提供していたのである
ただそうなるとそれだけのものを毎日提供するとなると大変な労力が必要になる
でもそれが新しい価値を提供することなのである

まず価値は無数にあり価値はいくらでもあり見出されていないのである
故郷にしても田舎にしてもその価値と魅力をそこに住んでいる人すら知らないのである
最近秘密の小径を発見した、それは地元の人もほとんど通らない場所でそこは魅力ある場所だった、しかしその価値を発見して見出している人はいない
それを私は詩にしたりしている
美的な詩的な芸術的価値も無数にあり近くの平凡な場にもある
しかし地元の人すら発見していないしその価値を認めていないのである

いづれにしろIT化して多様な価値がまた発見される、でも旧来の価値もまた活きてくる
それは店が見せるからきて魅せるになることでもわかる
その言葉の成り立ちをみれば昔に帰ったともなるからだ
つまり見せるということ店はそれなりに価値を持っているのである
でもただ見せるだけでは商売にならない、そこでデジタル化した通販と結びついたのである

ただあまりにも商品の種類が増えすぎた、とても店だけでは展示できない
そうなると通販はどうしても有利になる、でもまだ小さい店でも勝機はあるとなる
第一チェーン店でも商品を展示するには限られる、ニトリでもそうである
そこでは通販もしている、通販でも買えるとなる
通販だと大量の商品から選べるとなる、どうしても通販なしでは成り立たなくったのである
でも旧来のものがすべてだめかというとそうではない、何かそこに勝機がかえって逆に出て来る


この人の説明は説得力がある


starcicle111122.jpg

鹿島駅前の星自転車屋は他店で買った自転車でも修理を受け付けている
そういう表示を店前にしている
今日は休みで写真がとれなかった
必ず病院に行くとき休みなのである

原町の自転車屋では自分だけではないそこで買わないと修理を受け付けないのである
だから自転車屋は困る、また近くにないと困るのである
今は鹿島には一軒しか自転車屋がないからなくなると困るのである
でもいづれはなくなる、なぜなら跡継ぎがいないからである
何かこうして高齢化と少子化で跡継ぎがいなくなり中小企業でも大量に廃業化してゆくのもまた耕作放棄地とかと同じように問題なのである

ここはヤマハの販売店でありヤマハだと買いやすい
そしておすすめが老人向きでもあるYPJ-XCなのである
ただ高いから買うとなるとむずかしい、でも同級生がすすめたから買ったのである
そして喜んでいた、なぜなら脳卒中になり一命をとりとめて運動のために自転車にのるようになったからである
つまり走した人でも乗り安い自転車だったのである







posted by 老鶯 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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