地理の不思議
(平面的ではなく立体であるから地図にできない―南相馬市の位置)
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南相馬市の位置
南相馬市の丘から冬晴れの日に
牡鹿半島と金華山が見えた
すると心はそっちに向き
心は海に向かって開ける
でも太平洋は広く荒い
いつも波が荒く打ちよせる
そして津波の記憶がまだ生々しい
多くの命が無情に奪われた
心はまた海に開けても
心は閉ざされる
阿武隈高原に視界が閉ざされる
福島市の方は見えず
心はそっちの方に向かない
心は常に海の方に向く
伊達政宗が太平洋を渡るべく
メキシコを経由してはるか
ヨ−ロッパに視界を広げた
それは東北ではありえぬ快挙なり
常に海に向かう土地がそうさせたのか
ただ太平洋は荒々しく
冬の海に鴎が一羽とんでゆく
そして東北の海は閉ざされている
人間はその人の住んでいる位置が大事である、そこをベースとして起点として世界を見るからである、だから同じ地域でも山側から見るのと海側に住んでいる人とはかなり感覚が違ってくる、その地理からアイディンティティが作られてゆく
人間はまず初対面ならどこに住んでいるかを聞く、どこの出身かを聞く、そこからその人のことを推察する、私の場合は日本だと全国を旅したからだいたいどんなところか推察できる、外国になるとまだまだわからないが一応主な所を回った
外国にうとかったがそこで見聞を広めることが50からでもできたので良かった
まず自分の住んでいる所はどうしても一番影響しているのが阿武隈山脈というより高原となっている、ここで中通りと福島市とさえぎられている、視界に入らない
すると福島県は横に広く地理的一体感を感じないのである
詩にしたようにむしろ仙台の方に視界が開けているし交通でも常磐線があり仙台に通じている
そして津波でわかったように石巻辺りが震源地になっていた
その石巻の牡鹿半島と金華山が片倉のフラワーランドから見えたのは意外だった
新地から見えていたがあそこから見えるとは思わなかったからである
そこまで見えるということは地理的一体感を福島県より宮城県に感じることになる
そして宮城県に津浪伝説があり津浪が来ると警告していた市井の学者がいたことでもわかる、海に面していて地理として一体感があったのは宮城県の方だったのである
でも行政区分としては宮城県と福島県は歴史的に相馬藩と伊達藩に分かれて争っていて継続して相馬藩は福島県に属した
ただそれはあくまでも廃藩置県で無理やりに分けたから不自然なのである
地理的な自然境界がありそういうものを考慮していなかったからである
宮城県だと本当に海に面している面積が大きい、そしてそこは海産物が豊富であり縄文人が前期には多く住んでいたことが理解できる、海の方が住みやすかったとなるからだ
ただそこは津波などが来る場所だったのである
いづれにしろいつも海を見ている人と山に囲まれて毎日過ごしている人では相当に感覚的に違ってくる、海は何か心を解放する気分になるが山だとどうしても閉ざされた感覚になる、だから阿武隈高原によって浜通りは閉ざされるのである
おそらく双葉や大熊辺りに原発が建っていても見えないし無関心だったのかもしれない
全く見えないし阿武隈高原に閉ざされているから見えないし危機感を感じなかった
これは別に浜通りでも30キロ離れた私の住んでいる場所でも危機感がなかった
そういうふうに何でも地理が影響するのが人間なのである
ただ一方で太平洋は荒々しいから何かここを渡って行けるその向こうに国があるとなど思えない
だから伊達政宗がヨ−ロッパまで船を作って送り出したのは快挙だった
そんな視界を普通はもていない、海もまたこの辺では閉ざす世界である
津浪でもわかったように海は本当に恐ろしいものだったからである
太平洋は心を閉ざす海なのである、日本海は比較的冬以外は穏やかだから青森の方まで縄文時代でも行き来があったことでもわかる、太平洋だととてもありえない海であり閉ざされていたのである
そして地理で不思議なのは地理が平面ではない、立体だということである
だからどんなにしてもこの立体感覚は地図では経験できない
なぜなら土地の高低を実感できないからである
だから自転車で狭い地域を回る時、一つの球体を上ったり下りたりして回っている感じになる
それは原町でも鹿島でも相馬市でもそこが一つの球体に感じるミクロコスモスに感じる
それはとても地図を見てもわからないのである
地理はまずこの高低とか隈なくその土地を行き来しないと実感できない、体得できないのである、だから未だに故郷でも狭くてもわからない所がある
そして車だと乗っていないからわからないが土地の高低など坂を上る感覚もなくなるからわからなくなる
鉄道でも坂の感覚がわからないのである
結局学問というときなぜ面白くないのか、それは学校だと記号の勉強でありただ地理でも紙の上でしか見れないからである、あとは受験勉強になる
現実世界から隔離された記号だけの世界で学ぶから興味がなくなる
まず地域でも回っていたら地理に興味をもつ
第一今になってやっと片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたことを発見したからである
それだけ地元に住んでいても地理のことがわからないのである
丸森の絶景ポイントも最近発見した
そこからは大平洋を一望にできるし蔵王を見えたのである
阿武隈川も流れているから丸森は景観が一番いい場所である
地理がわからないというとき世界が理解できないのはまず広すぎて地理がわからない
中国なども理解できないのは地理がまずわからない
それであるゆる世界のことでも基本がわからないから理解しにくい
それでなぜ香港であのような激しいデモが起きたのか?
その説明で面白かったのはそもそも中国は南と北では違った国であり北は軍事力の騎馬民族が支配して南はその北京などの騎馬民族に支配されて搾取されつづけてきたという
また言葉も違っていて別な世界を形成していたという
それを読んでなるほどなと思った
南船北馬というのは聞いていたけど北は馬であり騎馬民族が支配した国だとなる
そういうことが根底にあり中国は対立しているのかとなる
そして北に黄河あるとしてもそこは不毛の地だという、ヤオトンとか洞窟の中に住んでいるとか貧しいのである、第一木もない黄土高原を見たらとても豊かになれないと見る
でも南は揚子江はそれとは別な世界である
それで世界でもtake place(起きる)は場所が大事なのである
いづれにしろ地理を知るには机上の学問では不可能である
旅しない限り実感して知ることはできないのである
だから世界旅行は必ずしないと何もわからないままで終わる
ただ一回くらいしてもまた地理はわからない、それだけ地理を理解することはむずかしいのである
それがわかるのは狭い地元すらわからなかった、それが如実に示しているのである
原町でも鹿島でも相馬市でもそこは一つの別々の球体という感じになる
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