2019年12月07日

グロ−バル化広域社会化で失われた絆と連帯 (原発事故が家族や地域の分断をもたらした訳ー真宗移民と比べて)


グロ−バル化広域社会化で失われた絆と連帯

(原発事故が家族や地域の分断をもたらした訳ー真宗移民と比べて)

現在の居住地が 5 年前の居住地と異なる人は 24.7% であり,
居住地が,出生時からずっと同じ人の割合は約 1 割にしか過ぎない(国立社会保障・人口問題研究所 2013).

風雪帯びた樹々の連帯

大地に根付く樹々は
風雪を帯びて定着する
そのためには長い時間がかかる
木の生長が50年とかかかるように
一代でその実りを見ることはできない
そして人々が連帯するということは
風雪を帯びた樹々のように
大地に深く根を張り
その土地に連帯を深める
そこに一つの連帯の殿堂が生まれる
それがその土地の歴史である

盛んに震災以後絆のことが言われた、その絆とは何であったのか?
それは外部がそういって外部との絆が生まれたのである
なぜなら実際に復興させたのは外部から来た人だったからである
そこにはいろんな職業の人たちがいた
その時内部の人は何をしていたかというと何もしない
ただ仮設に住んでギャンブルに興じていただけである
だから奇妙なのは外部との絆が生まれても内部ではかえって分断したのである

その分断は市町村内部でもそうだが家族だと若い世代が流出して親子とかでも分断されたのである

外部とは絆が生まれる

内部は分断した

それは地区によって状況が違っている、ただ原発事故は放射能汚染は人を住めなくさせるから分断される
それと多額な補償金をもらったことでも深刻な分断が起きたのである
それは飯館村などは牛を飼っていると軽く億の金をもらったとされている
大熊では牧場経営者が5億円もらったとか噂が飛んだのである

そして南相馬市だと鹿島地区と小高地区は分断された
鹿島の仮設に小高の人たちが住んだとき補償金を小高の人は多くもらっているとして分断された、小高の人たちはそういうことは避難したのだから当然だと思っていたから
なぜ苦しんでいる時そんなことを言うのかと分断されたのである
そして毎日のように仮設には外部から応援に来る人がいたのである
つまり外部との絆は生まれたのである
外部の人にとってまず仮設に住んでいる人が援助の対象になったがその他の人は関係ないからである

でも連帯とか絆を考える時それがどうして生まれるのだろうか?
農業社会だったら村中心の自給自足経済だからそこで自ずと助け合うとなるしそうしなければ生きていけない事情あったろう
でもグロ−バル経済広域社会になるとその経済交流の範囲は地球全体になる
その差がまた大きかったのである
だから南相馬市で一番問題だったのは外部から放射能汚染を怖がり物が運ばれなくなったことだったのである
つまり外部からの流通が断たれるともう生きていけなくなるのが現代である
それで三陸なのか裏山の清水を汲んで薪を用意して米を炊いてしのいだ部落があった
それは交通が遮断されたからそうなったのである
そこでまだ水があり裏山から木材をとり燃やして燃料にできたから生き延びた
でも都会だとそういうことはできないからお手上げになるということがある
グロ−バル社会が広域社会がいい悪いという前に今はみんなそうした中で生活しているのである、だから流通を断たれると生きていけなくなる
そういう社会だから外部との絆の方がここで生まれたというのはそういう社会だったからである

一方で絆とか連帯はどうして生まれるのだろうか?
内部的にはとうしても樹々のように大地に根を張りそこで風雪に耐えて成長するとき連帯がありうる、それで浪江の奥山の津島に開墾に入った人はともに苦労したので連帯が絆があったということになる
しかし今の社会は移動が自由だし農業社会ではないからそうした絆とか連帯は希薄化している
つまりコミニュティはつながりは希薄である
第一家を建てるにしても地元の大工はもう関係ない、大手のハウス会社にみんな頼む
それで大手のハウスは部品を組み立てるように一二週刊で家を建てるのである
すると地元の人に世話になったという感覚もないのである
そして人は別にどこに住んでも金さえあればできる
故郷でもこだわる必要はないとなる、結果的にそうして若い世代は流出したとなる

ただ人間の絆とか連帯は簡単に生まれない、それで農民は三代つづかないと仲間になれないというのもわかる
農業は共同作業なのである、それで限界集落に入った都会の人はうまく協同できずに去って行ったのはそのためである、そうした狭い世界の村社会に耐えられなかったのである
でも相馬地域だと天明の飢饉からさらにその後でも飢饉があり三分の一が流出したのである、その後の欠け地に越中の真宗移民などが入ってきて開墾して住んだ
なぜそんな厳しい場所に来たのかというと土地をもらえるからだった
越中などではもう生活が成り立たなくなっていたためでもある

ただどうしてそこで相馬地域に根付くことができたのか?
それは地元の農家に指導を仰ぎそこで耐えて土着するようになった
それは苦しいものであり加賀泣きということが伝わっているからだ
つまり地元の人たちに泣かされたとういことである
でも都会から限界集落に来た人はそういういじめにもあってすぐにやめて都会に去ったのである
でもそうした移民は帰る場がないから必死でこの土地に生きようとして土着したのであるそういう移民は大熊とかにもいたという
広範囲に相馬地域に土着した、三分の一はその人たちの子孫なのである
これは他の土地とは違うこの相馬地域の特殊な成り立ちであり歴史である

shinshuuimin11.jpg

移民はここでは地元の人に指導されて従った


これと比べると現代は移動社会であり条件のいいところに住めばいいとなる
それは中国でも起きている、移動が楽になると人は住みよい場所に住む
海南島などはいつもあたたかいから北方の寒い所に住んでいる人は移り住んでいるというそれは日本だんたら沖縄に移り住むとにている

ただ人間は本質的に絆とか連帯はただ楽をしたいかとして楽しみたいからと連帯が生まれるだろうか?
樹々が風雪がありそこで大地に強く根を張る、そういうことがないと連帯は育まれない
それは家族だってそうである、家族は共に助け合うからこそ連帯が生まれているからである、そうでなければ家族ではないとなるからだ
だから移動が自由でありどこに住んでもいいとしてもそれで連帯をかえってつくりにくいコミニュティを作りにくいからこそ孤立人間が増えているとなる
人間が家族でもばらばらになっているとか地域社会もないとかなる
つまりグロ−バル社会の負の面が増大してきたのである

そして金といかのも人間を分断してばらばらにする、遺産相続のように兄弟でも醜い争いになる、それと同じようなことが原発事故の補償金で起きたのである
金に目がくらみ他のことは見えなくなる、もう絆も連帯もない
ただ金さえもらえばいいしかなくなっていたのである
そうして若い人は親世代を置いて流出した、若い世代は故郷に戻ってこないのである
何かそこにグロ−バル社会の広域社会の資本主義の矛盾が露骨に現れたともなる
街すら仮りの街だったのかとも思えるほどあっけなく人がいなくなり回復しなくなった
それは今でも避難区域ではつづいているのである 

話は変わるが中村哲氏がなぜあれほど貢献したのに殺されたのか?
それはニュース解説では灌漑事業で何もとれない砂漠に作物がとれるようになって
そこで利益を生んだので争いが起きたと解説している
何かこれもわかりにくいがこの辺で起きたことと似ている面があると思った
何もない砂漠で作物がとれた、利益を生んだ、それで何かその利益をめぐって土地の人が争いになった
ここでも補償金でももめたのとにている、何か善だと思ってもそれが必ずしもその土地の人にとって全面的に受け入れられないのである

つまりその土地のことは外部の人にわかりにくいということである
だからそういうことに手をつっこむと意外なことが起きてくる
ここでもなぜ原発避難者の仮設に住んでいる人ばかりに注目して援助したのかとなる
外部から見ればそういうことは全面的に受け入れられると思ってそうしていたのである
でも地元にすると複雑なものがあった、それが無視されたのである
NHKでもそういうことで私は批判した
マスコミでも地元の事情がわからずに介入してくることは一面危険なのである
見方が一方的になっていた、原発避難者側に完全になっていたからである
利害争いがあるとやはりそこで公平に見れないのである
その是非をマスコミが判断してしまうことが危険なのである
なぜならそのためにそれが全国で放送されて正しいとなるからである
今はその反論をネットでなんとかできるがマスコミの影響が強すぎるからそうなっていたのである
マスコミによって格付けされたり価値づけされる、それが一方的になる
なぜならそれを何百万人とか千万人でも見るからである
ネットだと百万見るようなyoutubeはほとんどゼロだからである

nakamuratetu1.JPG

ともかくその土地土地にはこうして歴史がありそれがその土地から離れればその歴史が失われる
私の家は真宗移民でありこの土地に苦労して根付いた暮らしてきた
そういう先祖をもっている、でもその土地を離れたらそういう歴史は消失する
この土地に生きてこそその歴史が意味をもつからである
先祖が苦しくても頑張ったからここに根付いて暮らすことができたということがなくなるつまり歴史を失うということはそういうことである
その根となるものを失うことである
ただなぜこんなにもいくら原発事故であり放射能被害があるにしても崩壊したのかは解せないことがある

言えることはいろいろな社会の変化でそういうことになりやすかったとは言える
でもそんなに簡単に町や村から人がいなくなるということが意外だったのである
それは金の唯一の力となった社会だからこそともなる
つまり人々の結びつき希薄化している、だから何か事があったら今回のように連帯することもなくばらばらになり市町村でも消失してゆくという不安も他でも感じるだろう
内部での絆がむしろなくなっている
いくら外部の絆が生まれたとしてもそれは一過性である、長くは継続しないからである
現代は孤立社会孤絶社会無縁社会ににもなっているのはとそのためなのである








posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186891468
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック