2019年12月07日

中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた (マスコミの一方的報道も危険)


中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた

(マスコミの一方的報道も危険)

この事件を見ても人間に起きることがいかに複雑なのかわかる
例えば毎日起きている事件でもニュースでも本当は複雑怪奇になる
その事情に通じることは事件が起きたらとしてもわかりえようがないのだ
だからマスコミでもただ事実を報道することはいいとして
何かわかったような解説はしない方がいいともなる

何かマスコミは必ず裁判官のように価値づけして格付けして事の善悪を判断する
それが何百万とか一千万単位で見ていたらそれをそのまま脳裏に刻まれる
何も考えないとそのままマスコミに誘導されてそのまま受け取るのである

マスコミの危険性はそうして一方的に報道することである
何をどのように報道するかをまず決めて報道する
そこでNHKの幹部が決める

原発避難者側にまずつくということでこの辺でも放送した
原発避難者様としてあつかった、ある意味で原発避難者に逆らうことは非人間だとまで言われた、そうしむけたのはマスコミである、NHKでもそうである
でもそこには複雑な事情があった
津浪の被害者も同じ場所に仮設に入っていたけど補償金がもらえなかった
そこで補償金を高くもらった津波避難者とは口をきかなかったとも言っていた

でもNHKではまず方針を決めていたのである
それで飯館村の人がトマト農家に採用してくれというとき断った
その時、NHKの放送を見ている人は全国の人でもどう思ったのか?
なんという冷たい農家だと見たのである
でも別に冷たくも何もなかった
津波の被害者は補償金ももらえないから苦しかったから当然だったのである
でもそこでNHKによってそのテレビを見る人は頭にすりこまれたのである
それがもしネットのように何も津波の被害者が優先するのは当然ではないですか
そういうコメントもあったらまた別だがマスコミは一方的なのである
その価値判断を優劣とか善悪をマスコミが決めているのである
ここにマスコミの危険があった、それは一千万との人間見ているからそれによって
その見ている人もそのように見るからである

だからなぜ中村哲氏があれほど命がけで貢献したのにアフガニスタンで殺されたのか?
それは中村氏本人を狙って銃撃していたのである
その解説がここでしていた
nakamuratetu1.JPG


不毛の砂漠で灌漑事業して作物がとれるようになった
そこでその利益配分をなのかで土地のものが争うようになったという
それがこの辺の事情と似ていたのである
中村哲氏が外部の者でありそれも外国人である
その人が善意でしたことは受け入れられると思った
だから実際に地元の人に英雄のように讃えられていた

ではなぜ狙われて殺されたのか?

これが本当に外部からするとわかりにくくなるのである
そこにボランティアでもそうだが複雑なものが地元の事情があった
ただこれは本当に外部からでは理解できないものである
ただ作物が取れるようになりそれでかえって争いになったというのも何かそこにアフガニスタン特有の貧困からそんなふうになった
それだけ貧乏だとなると少しの利益でも争うことになる
それは遺産相続でもわずかでも争っている時代になっているのとにている

とにかく人間の世界は善意がそのまま何でも受け入れられることはない
かえって反発する人も内部の事情でそうなる
だから外部の人がいくら善意でもかかわることは慎重さが要求される
マスコミにはそういう慎重さが欠けているのである
その影響力が大きすぎたのである

マスコミは価値づけとか格付けとか善悪とかを判断するべきではない

事実を報道するのはいいとして何かそれを意図的に操作している
だから番組を作る前に方針を事前に幹部で決めているのである
ただそれがわからないように巧妙にしている場合がある
つまりマスコミは何らか必ずマスコミの報道方針を決めていて報道しているのである

今回の事件は果たしてそんな危険な複雑な場所に善意であれ援助するということが正しかったのか?
それが判断しにくい、それはなぜこんな目に合わねばならなかったのかということであるそれは自分自身が駅でボランティアしていて怪しいとして警察に通報されて人前で職務質問されたことである
それであいつは怪しいとなりそこで駅にいることもできなくなったこととにている
自分のしていることはそんなものであったし中村哲氏の命がけの貢献とはまるで違っていた
ただ善意がすべて受け入れられるとは限らないことである
それが人間の世界なのである
だからなぜキリストが十字架になったのかもそういうことがある
愛を実行してもそれは受け入れられないことがあるし何でもいいことが受け入れられる
訳ではないのである

家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました
ごん狐ー新美南吉  

善意でししていたことだったが殺されてしまった
そういう悲劇を中村哲氏の事件で感じた
善意は必ずしも通らないしその逆にもなる、それが悲劇となる
何かそういうことがここにもあった、地元の複雑な知りえない事情があった
それほどもしかしたら深刻な貧困があり争いがあり荒れ果てた世界がアフガニスタンなのかとなる
絶望的地獄になっているのかもしれない、ただ日本では安逸に暮らしている時そうした
深刻な事情を察することができないのである
本当になぜそんなことをとこれは簡単に理解できないからである

今回の問題もいろいろ考えさせられる事件だった
それはこういうことを地元で経験したから外国でも同じようなことが起きるのかと思った
ただまずアフガニスタンとかシリアとかのことを理解することは不可能である
そこは奇奇怪怪な世界であり理解不可能になってしまうのである
だからそういうところに安易に入り何かをしようとすることは善意でもできない
善意が善意として通るような世界ではない
そのために敵に味方したとか殺されることもある
それだけ人間社会は複雑なのである
善意が善意としてそのまま通るような世界ではないのである
だからといって中村哲氏を批判するというのではない
そういうことを批判はできない

ただなぜ地元の人に殺されねばならなかったのか・・・・

これが本当に理解できない、そのことがやはりここがどれだけ複雑で深刻な事情をかかえているかわかる
そういうことを示した事件ではなかったか?
お前らは俺たちの本当の窮状を知っているのか?
そういうことを示した事件だったのかもはしれない、そんなことをとてもアフガニスタンの内部から起きるとは思えなかったからである
それは謎であるが自分の経験と照らし合わせてもそういうことが推理できるのである



 今回の件に関してはアフガン当局も日本政府も事前に“襲撃計画”を把握しており、
それを本人に伝達して注意喚起をしている訳だからね。
紛争地域で偶然に出会して襲撃を受けるのとでは、全く意味が違うんだよ。
だから、犬死とは言わないが… って書いたんだよ。
謂わば、周りが身の危険を案じ、忠告をしてくれている訳だから
理解をしていれば、死ななくて済んだ。

とあるイスラム学者が言ってたけどアラブの争いは基本的に水なんだと

この人がお花畑の9条信者じゃなくてもう少しリアリストだったら、

周囲にいたボディガードも死ななくて良かったかもな。
いくら仕事とはいえアフガン側の犠牲者の家族とかマジでかわいそうだよな。

こういう見方もあるのはわかる
水の利権争いは砂漠では一番深刻になる

そしてここで中村哲氏の死を大々的に日本では報道しているが
そこで巻き添えをくって死んだ5人とかはどうなるのか?
無謀な行動で六人を死に追いやった
ということは中村哲氏は軍隊なら上官だった
その部下のことをきづかな分ければならない
もし襲われたら部下も死ぬからである

自分自身だけではない、その人たちの命もあづかっていたとなる
そこで独りよがりな行動はつつしむべきだったとなるのか

だから独りよがりの行動が周りにも犠牲者を出した
もし一人だけで死んだらそうは言われなかった
ただ危険の中で行動して来たのだからそれに慣れていたのかもしれない
でもやっぱり慎重さを欠いていたのか?

俺はアフガン人にはアフガンでぱ襲われない

そういう自身が今までの活動で生まれていたのか?

そういう奢りが油断がまねいた事件だったのか?

これはいろいろと議論をになる事件だった






posted by 老鶯 at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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