2019年12月09日

冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)


冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)    

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尚英中学校の脇の墓地

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百六歳は大正二年生まれなのか、私の母は百歳で死んだ
今生きて入れば百四歳になにる
これから百歳以上の年齢で死ぬ人が多くなる
それが令和の時代の特徴ごとなる
でも百六歳は長いと思う
これが110歳とかなってゆくのか・?


かそけくも現れ消えぬ冬の蝶

顔見せぬ隣の女(ひと)や冬の蝶

朝望む蔵王に雪や初冬かな

蔵王見ゆ険しき嶺に雪覆う

新地にそ葱の匂いや家まばら  

冬の海新地の墓地や静まりぬ

名もしれぬ墓のあわれも冬の草

木の根っこ墓に残りて冬の暮


水戸の姓墓地に多しや伊達藩に謂れのあれや冬の日くれぬ

宝暦と記せし墓や我がたずね落葉を踏みて帰りけるかな

人死ねば騒がぬものや昼の月落葉をふみて我が帰るかな

墓あまた落葉にうもれ宝暦の年号見ゆや新地の墓地かな

たずぬれば倒れし墓や冬のくれ遺すものなく何を語らむ  

106歳と令和に死ぬや冬の暮その生思えば長くもあるかな

墓とても後継ぎなくば捨てられる参る人なく冬のくれかな 


今日は風もないので新地まで行った、冬の蝶を一羽八沢浦で見つけた
これはめずらしいかった、隣の女性は本当におとなしい人である
同級生の人がそういう人だったと言っている
ほとんど顔も見たこともないのである
すでに30年以上か40年いてもまともに顔を見たことがないのである
これも何か不思議である

蔵王が磯部から大きく見えた、結構険しい嶺が見えた
あんなふうに全容が見えたのは記憶しない、というより自然は山でもその時々で違ったように見えるのである、その印象が違ったものとなるのだ
蔵王は本当は厳しい山なのである

新地の駅前に行ったら葱が強く匂った、葱畑があった、どうしても新地だと田畑が目立つからそうなる、葱があんなに匂うとは思わなかった
私は鼻が蓄膿症で悪い匂いを感じないのである、でも今回は葱の匂いを感じたのである
葱(ねぎ)がこんなに匂うとは思わなかった

葱白く洗ひたてたる寒さ哉芭蕉 「韻塞」
葱買うて枯木の中を帰りけり蕪村 「蕪村句集」
うら町に葱うる声や宵の月蕪村 「蕪村句集」

葱は冬の季語なのである

それから尚英中学校の裏の墓地をたずねた
そこからは海が見えた、前にも来たことがあったが詳しく見なかった
今回注目したのはこの墓地は結構古い、なぜなら宝暦の墓があったからだ
一か所に墓が集められていた、それは塚というか粗末な石である
そこに宝暦とあった、隣はわからない、ただ宝暦だと古い

   1763年宝歴13年癸未  
  1771年明和8年辛卯  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛   
  
天明の20年前になっている、天明は飢饉の年である
宝暦は日立木の薬師堂にもあった

それから感心したのは短歌が真新しい墓に刻まれていた   

吾子逝きてななとせ過ぎし朧月時めぐりきて君を偲ばむ 七回忌

これは秀作である、このような秀作だと墓に刻んでも価値がある
朧月というのが良かった、何か死んでから七年くらいすぎると記憶が朧になるからだ
この吾子とはどのくらいの年だったのか若くて死んだのだろう
短歌を墓に刻むのも一つの記念になる
墓は何か無味乾燥だからである
この墓は平成29年とかに作られた、だからこれだけ新しいし立派である

ただ問題はこういうのは許可がないと出しにくい、姓は佐藤とあった
場所はわかっているし誰なのか地元の人だとわかる
貶めるわけではない、ほめているのだから許可されるかもしれない
後で文句言われるときはやはりその人が不満だったり名誉を傷つけられたときである
でもネットだとわからない場合がある、それも問題なのである
例えばこれを新聞に出したら目立つから勝手には出せないとなる
インターネットは本当に気軽に書いたり発表できるのである
そして自由にいくらでも書けるし写真でも出せる、まずマスコミだったらそんなこと絶対にできないからである

普通の町とか村でも見る物がない時、墓地をたずねるのがいい、今回は詳しく見た
水戸という姓がその墓には多かった
それで伊達藩と水戸家との関係からなのかとも見た
つまり墓地から郷土史が探れるのである
墓誌にその家の由来を記してあったりもする、それは古い家である

墓という時、それが何代も残っていればその家はやはり継続したものがあり家系としていいものを持っているとも言える
すべてではないにしろ必ずなんでも例外があるから数学の公式のようにはいかない
でもわかることは別に先祖でなくても両親のことをその息子でも娘でも語らない時
その両親のことを良く思っていない、だから語らないのである
そこにその家の問題があることは確かである
必ず両親のことを語るからである、そういう家は家系は残らないと思う

私の母の実家はめい子が墓を継ぐと頼まれて金をもらったが継がれないと思う
やがて無縁墓になるかもしれない、なぜなら何か不和分裂の家系だったのである
私は今はめい子と会うのも嫌だし墓参りもしなくなった
あの人は本当に異常である、あんなになることが信じられないとなる
人間はそれほど変わってしまうのかということである
ただ自分は子供の時しかあっていないからその後のことはわからないからなんともいえない
でもその変わり方は本当に異常である
とにかく何かそういう家系がありそういう墓は残らないともなる
ただ今は墓を受け継ぐ人がいないから一般的に墓を残していけなくなっている
だからこれからは墓が残る家はまれになってくるだろう

新地までは何回も行ける範囲である、何回も言うが今度乗っている電動自転車は楽だから行けるのである
でも暗くなるのが早いから冬は遠出ができないと思った
それでこの前ライトがなかったので側溝に転んだ
これは思った以上危険だった、側溝に落ちて死んだ人もいるからだ
側溝は意外と自転車にとって危険なのである
狭い道になるから暗いと見えないからである

この墓地については何かもっと詳しく知りたいともなる、そこで新地の歴史がわかると
新地について興味が深まるのである





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