2019年12月13日

また忘れた母の命日 (死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)


また忘れた母の命日

(死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)

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母の命日(三周忌)
http://musubu2.sblo.jp/article/185201304.html                                    

motherdeath11.jpg

白い清楚な花は隠れるように
つつましく咲いていた
今は亡き女となり 
なお家にいて静に
やはりこちらを見ている?



報いあれ我が家に生きて冬紅葉

冬の菊母は支えぬ我が家かな  


忘れけり母の命日昨日かな満月光り4周忌かな 

明るくも冬の満月照らしけり母は彼岸に我を見るかな 

しみじみとこの家にあれな冬の日や母は長くもここにありせば


昨日が母の四周忌だった、15日だと思っていた、それがどうしてか先入観年になっていた、前の年も忘れていた、こういう勘違いがある

母は目立たぬ女性だった、性格がそういう目立たない女性だった
ただ家事にせわしく子供の時店でご飯を食べる間もなく忙しかった
そして実家の父親が事業に失敗した時、後妻が入ってきて継母でありいじめられたのである
こういう生い立ちは悲惨である、何か愛情をかけられなかったのである
その継母だった人も最後は悪かったなとと言って何かおかしくなり母に頼って最後は死んだ、そして実家の墓にその継母の骨は入った
ただ一人めい子が残ったがその人が異常人格者になったので今は墓参りしていない
何か不和分裂の家系でありそういうことは生前あると死後もつづく
一緒に墓参りできないのである

それにしても我が家にいたのは長かった、百歳まで生きて70年くらいいたとなる
これも長いと思った、だから人間は死んだらどこにいるのかとなるとやはり依然として家にいかるのかもしれない、女性と家は切り離せない、だから嫁なのである

なんか不思議なのは今は私は二階家であっても下にいつもいる、すると母親もその部屋にいて介護したから母もいる感じになる
何か自分を庭からでも見ている感じになる
時々幽霊のように現れる感じにもなる

母は生い立ちとか不幸だったけど経済的には戦後の一時期は苦労してもしなかった
経済的に苦労したという時戦前はみんなそうであり戦後の一時期はみんなそうだったからである、だからそれは苦労したとは言えない、でも自分の家で良い待遇だったとは言えなかった
ただ忍耐の女性でありじっと耐えて暮らしていたとなる
それは自分の性分ともにている
いい家に生まれたらやはり何か文学の才能があったみたいだから短歌など書いたかもしれない、ただそういう余裕が全くなく働きづめで終わったのである
短歌とか俳句でも何か暇があったり余裕がないとできない
そういう余裕が与えられなかったのである

今は遺影に向かい母と姉に語っている、返事はない、なんか認知症になった女性が壁に向かって一人で語っているという時、それは死んだ人と語っていたのである
つまり老人にとって死んだ人の方が生きて入る人より親しいのである
老人になると親しい関係を作ることはむずかしいからである
そして老人にとって家が安住する場なのである、だから家で死ぬのが理想だとなる
ただ母は一か月前に入院して病院で死んだ
でもそれまで家にいたのだから家で死んだ感じになっていたのだ
ちょっと目を離した時に死んでいたのである
おそらく苦痛はほとんどなかった、眠るように死にたいと言っていたがそのことだけはかなえられたのである
やはり苦痛なく死にたいというのがやはり死の理想でもある
百歳まで生きればたいがい老衰ではあり苦しむことはないだろう
だからやはり老衰で死ぬのが理想だともなる 

とにかく死者の報いとは何なのだろうか?
何かそれだけ苦労して尽くしたり働いたのだから報いがあってもいいとなる
でも死んだらその報いは何になるのか?
供養してそれを喜び報いとなるのか?
何か報いが欲しいとなる、でも死んだのだから何かを死者に与えられるのか?
死者に与えるものは何になるのか?

それは物でもないし金でもないし死者が欲するものは何になるのだろうか?

ただ少なくとも墓参りしり遺影に手を合わせたり語りかけたりして死者と交通する
何かそういうことは必要である
でも死者が得る報いとは何なのか?死者には与えるものがない
生きていれば体にふれたり声をかけたりして愛することはある
でも死者にはできないのである
キケルゴールは死者を愛せという論文を書いているけどそれもわかりにくい
死者をどうしたら愛することができるのか?
どうしても歳月が過ぎてその存在が希薄化してあいまいなものになってしまうからであるつくづく人間はここでも忘れやすいのである
60年も一緒にいてもそのことすら記憶が希薄化してゆく
まだ一緒に暮らした家が残っているからそれで記憶するということがある
家がなくなったら施設に入ったりしたらもう記憶がさらに消えてゆく
それだけ何でも家族すら記憶するのがむずかしく消えてゆく無常があった





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