東西文明の橋渡し役が日本だった-内村鑑三の言葉
(それは今も変わりない、だから米中の仲介役ともなる)
東西両洋の間に介して西を招き、東を弁じ,両者の暴を和らげ,後者の迷を解き二者の配合を計るは日本をおいて他に国民あるを知らず余輩は信ず、泰東の六億の生民は我ら日本人の蹶起活動にうながしつつありと
日本は亜細亜の正門を守の国なり
我らの一挙一動は我らの威厳に関すること多し(内村鑑三)
日本の明治時代はまさにそういう時代だった、西洋文明の挑戦を受けて日本文明が応戦した時代である
東を弁じる、両者の暴を和らげる・・・・とかなるのは何なのか?
そもそも東洋といってもそれが一体何なのか、アジアとは何なのか?
それ自体が大きすぎて不可解になる
ただ歴史を振り返れば日本文明とは何かとなればそこに縄文時代が一万年あったとされるそこでは争いがほとんどなかったとされる
それはなぜなのか?
それは老子のいうように小国寡民が実現されていたからである
小国寡民
什伯(じゅうはく)の器有れども用ゐざらしむ。
民をして死を重んじんて遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いへど)も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。
民をして復た縄を結びて之を用ゐ、其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民老死に至るまで、相往来せざらん。
住居跡などから割り出してみると、日本の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。ところが縄文時代も晩期に入ると、その人口が一気に減少する。それも26万人の人口が、8万人にまで落ちてしまう急激な減少だった。
その原因が自然災害とかあり食料不足などで急激に減ったのである
それにしてもそんな人口で住んでいたということ自体イメージできないのである
そこでの暮らしが本当に貧しかったのかどうかわからない
例えばそれをイメージすると私の家とか戦後何もない時代があった
その時私の父親はアユ釣りとか鰻釣りをしていてオカズにしていた
その時鰻でも鮎でも御馳走だったのである、それは天然の物でありうまかったのである
鰻釣りは不思議だった、田んぼの畦道の穴に餌をつけた棒をさしこんでとる
そんなとこに鰻がいたのかとなる、今は全くいないからである
今や鮎すらいなくなった、津波以降全くいなくなった
鮎の稚魚は放流したのだが育っていない、ただこれは放射能の影響だけではない
鮎が各地でいなくなっているのである
縄文時代の生活になるとそれを具体的にイメージするのがむずかしくなる
だから謎になる、でも日本全国に20万人くらいしか住んでいなければかえって魚でも鹿でも採集する木の実でも豊富だったとなる
おそらく狩猟採集生活だと移動もしやすい、未開の地がまだまだあったからそこで食料を得られる
人間一番の問題は食料を確保することである、それができれば人間はそんなに争わないとなる
そうして縄文時代が一万年とかつづいたのは争いがなかった
それは自然の理の中に治まっていてそうなったとなる
老子の小国寡民の世界が実現していたのである
もちろんそれが理想社会でもない、ただそんなに長く戦争がなかったということが特筆すべきだとなっていたのである、ただ意外と自然災害に弱いから半分以下に人口が減ったのである
人間が弥生時代になり稲作をはじめたとき争いが始まった
稲作とは土地が必要でありそこに定着する、そこで土地の奪いあいや土地をめぐって争いが起きる、アフガニスタンでは水をめぐって争いが起きて中村哲氏が殺害された
そういう争いが稲作では起きる
それが発展して土地を治める主君が殿様がいて封建時代がはじまったともみる
それは大陸だとなぜあれだけ絶えず戦争がくりかえされたのか?
それはまず食料の確保のためであった
モンゴルなど遊牧民は定期的に食料不足になり農耕民の中国を襲ってくるために万里の長城ができた
歴史を見る時、その生活形態の方が大事である、その生活形態が文化であり文明となる
狩猟採集と漁労と遊牧民(牧畜民)と農耕民がいてその生活形態が違うから対立が生まれた
それで聖書でもカインが野菜を神にささげてアベルは羊をささげた
でも神がよみしたのはアベルだったのである、その理由はともかくここに農耕民と牧畜民が分かれたことを示している
そして遊牧民はモンゴルのように馬を使って大陸を移動して征服する民族に自ずとなったのである
世界を見れば必ず牧畜民がいる、遊牧民がいる、ヨ−ロッパにも今でも羊を飼っている
ヨ−ロッパは最初は狩猟採集民族でも牧畜民、遊牧民が先祖だった
それでドイツ語には秋という言葉がないというとき農耕民だったら収穫するということで秋があるのにない、それは狩猟採集遊牧民であったからだとなる
それを民族にするとアーリア人だとなるが遊牧牧畜民という生活形態をもった人たちのことなのである
なぜアーリア人が野蛮で攻撃的で戦闘を好むというけどモンゴルを見ればわかる
そういう生活形態が自ずと戦争に適したものとなっていたからそうなったのである
農耕民のような特定の村落共同体の帰属意識は小さかった
しかし家畜の群れを統率するリーダーが必要になった、見知らぬ人と出会い、異なる民族と接触する機会が多い牧畜民は不測の事態に守る武器を必要としていた
この遊牧民牧畜民はヨ−ロッパでもアメリカでもその末裔である
なぜなら握手を交わすという習慣があるところは見知らぬ人でも握手することで危険ではないとうことを示すからである
握手という行為は敵ではないですよは相手納得させる儀式でもあったのだ
いずれにしろ日本の文化は歴史は世界と比べると特殊なのである
その特殊性は日本という島国で他国から攻められないとかの地理的なものである
縄文時代一万年が争いがなく、また江戸時代300年も争いがないというとき海に囲まれて守られていたためなのである
だからこういうことは本当に世界では特殊なのである
必ず大陸だと民族が混交してくる、他国から攻めてくる、インドでも原住民のドラビダ族とイスラム系の民族がアーリア人なのか混交してできた
西洋的な顔つきを見ればわかるのである、何か東南アジアは西洋的な顔つきの人がいる
だから東南アジアではいろいろ民族が混交したのである
日本でも縄文時代とかでもいろいろな民族が移動して混交した
でも日本の場合はそうした民族の混交がわからなくなったほど一つの民族化した
すでに縄文時代に縄文人は一つの日本人となっていたのである
東を弁じ,両者の暴を和らげ,後者の迷を解き二者の配合を計るは日本をおいて他に国民あるを知らず
明治維新から今でもその課題は日本にあり日本の使命ともなっている
そして中国人がきて敵の死者まで祀っている、敵味方塚があるのはありえないとししている、中国でも墓を暴いても罰しているからである、攻め立てているからである
こういうことがあるのはまさに日本の歴史と文化なのである
それは日本人同士ならそうなっていたのである
ただ日本人は異民族と熾烈な争いを経験していなかったのである
だから異民族にどう対処していいかわからなかった
そしてなぜ大東亜戦争が起きて300百万人が死んだのか?
そのことが今でも大きな問いとなっている
西洋の暴に対して暴と対処したからなのか?
ガンジーは無暴力で独立を勝ち取った、それはまさに東洋的な平和志向で勝ったとなる
東洋というときインドの仏教とかに発している、ただ宗教というときそれはアジアがオリエントが起源だとなる、イスラエルもアジアだからである
だからキリスト教でもヨ−ロッパがキリスト教国家となったときそれはローマ帝国を経て政治的なものとししての支配体制として組み入れられた
だからその宗教はまた別物だともしている
東洋という時どうしてもインドの思想が基になり中国でも老子とかの思想が東洋的だとなる、それは侵略的暴力的思想ではない、平和志向があり暴で治めるのとは違う世界であるそれを実行したのがガンジーのような人だったのかとなる
大航海時代からヨ−ロッパの暴力的進攻により世界が支配された
その暴力に暴力で対抗したのが太平洋戦争の日本だったともなる
そこでは一億総玉砕の危機にあった
つまり民族殲滅の危機にあった、そういうこと世界史では大陸では起きている
民俗と民族の熾烈な争いが聖書に記されているからである
日本もその熾烈な民族の争いの中にまきこまれたとなる
いづれにしろ内村鑑三は日露戦争は経験している、これには反対していた
これも日本人全部が熱狂していたとき覚めて反対していたのである
その日露戦争の勝利が太平洋戦争にも結びついたとなる
日露戦争もそうだが太平洋戦争で本当に世界史の舞台に登場したのだがそれで民族殲滅の危機にさらされたのである
だから太平洋戦争は世界史として日本を見るべきであり日本がだけから見えないのである世界史的に日本の戦争はどうだったのか、その意義はなんだったのかと問うことになるし世界から問われるのである
日本の歴史文化の特殊性は平和を長く継続していたことにあった
それは島国という環境で育まれた一つの文化だったのである
でも欧米の挑戦を受けて日本は応戦して敗れたのである
ただ内村鑑三が言ったことは今でもそういう立場にあるのだ
なぜなら中国とアメリカが対立するとき日本に仲介を求めるいうのもそうである
日本とはそういう立場にある、アジアでそういう立場に最初から明治からなっていたのである、つまり米中の対立を和らげるのは日本だとなる
両方の暴を治めるのは日本だともなる、それが日本の位置でありさすれば日本は重要な要の位置にある
内村鑑三が言ったことは今は通用しているのである
いづれにしろ世界史は小国寡民の全く逆に進行したのである
それが極点に達したのが第二次世界大戦だったのである、グローバル化だったのである
グローバル化は奨励されいいとされるしそれがなくては世界から取り残されるとなって
日本でも明治維新が起きて西欧化に邁進したのである
でもグローバル化はかえって熾烈な世界戦争に発展したのか?
そして老子の言うような結果になった、2000年前にそれを予言していた驚きである
西欧文明に世界史が席巻されたのが20世紀である
その暴に世界が巻き込まれたのである、日本もその暴にまきこまれて第二次世界大戦に突入した、もしヨ−ロッパ列強がアジアに進出しなかったらこういうことはなかった
アジアは蹂躙されることはなかった、
実際にヨ−ロッパ列強がアジアよ進出しなかったらどうなっていたのか?
別にアジアはアジアで戦争は起こらなかった、現実に江戸時代は中国とも韓国とも友好関係にあったというより没交渉だったからである
それで平和が保たれていたからである
だから世界史的に明治維新でもアジアの歴史でも見直すことが必要になっている
グロ−バル経済とか自由市場とか貿易がいいようにみえてもそれが世界的格差となったり衝突が激化して最終的に戦争で解決するようになる
そして民主主義国家とか国民国家とかの弊害も歴史をふりかえり反省する時代になった
なぜ内村鑑三のような人物が輩出したのか?
それは江戸時代300年で培われた日本の文化がありそれは西欧の挑戦を受けてキリスト教を受け入れた、その基に侍というエリート階級がいて成されたともなる
内村鑑三は幕臣であり明治維新というとき薩摩長州ばかり注目されるけど幕臣も明治維新を推進した人たちだったのである
要するに明治維新から国の指導者に侍はいなくなったというとき何かそれが太平洋戦争で敗北した、またはその戦争自体へ突入することを誤ったとなる
だかか内村鑑三は絶えず薩長政府を批判していたのである
そして日露戦争でも非戦論者になっていたのである
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