冬の俳句十句(家に生きる-家の重み)
ここのバス停があってもほとんどバスに乗る人がいない
一日二回か三回カラのバスが通るだけであり生活から離れている
冬菜があれば生活の匂いがするがバスに乗る人がいないのである
ひなたぼこ家猫平和争わず
隠れ咲く枯菊ひそか隣かな
大石に冬日のさして隣かな
玄関の曇りガラスに冬紅葉
我が家や長くも棲みて冬紅葉
我が家に母もなきしも冬紅葉
我が家や冬紅葉も散りにけり
枯蔦や我が一人残り家守る
我が庭に数枚散りぬ枯葉かな
大石に山の枯蔦太しかな
我が家を守りて一人冬の暮
広き家南天飾り幸のあれ
なまこ壁蔵ある家や冬の暮
我が家に刻みし時の長きかな今年も暮れむ家をめぐりぬ
家というのも何か人間と一体化する、アイディンティティ化する
ただ家を深く意識するようになったのは家族がみんな死んでからである
死んでから親のことなど深く思うようになり家もまた思うようになる
家というのはただの人が寝起きしたり食べるだけのものではない
そこに人間一人の一生が刻まれて一代だけではない、何代も続く場合があり
そこで重みをもつ、だから蔵のある家は重みがある
私の家だってすでに築50年過ぎた、古くなっている
何か私の家は大きい、だから二階の八畳間に寝ていると気分がいい
家の広さは人間の心に相当に影響する、狭い家にいると圧迫されるのである
これまでは狭い部屋に寝起きしていたから圧迫されていたのである
まず田舎だと家とか土地とか恒産がないと住みにくい、市営住宅のような狭い所に住んでいると心まで圧迫されて狭くなる、いつもとなりの人のことが嫌だと言う人がいるからだ何か変な人がいてもがまんするほかない、でも離れていればそれは関係ないのである
そして家というのは長く住むとまた重みがもつようになる
農家がなぜ重みをもつのかとなると土地と一体化して何代も住んでいるからそうなる
農家は三代住まないと仲間になれないというのもそうである
でも私の家は外から来たから二代目とか三代目なのである
街に住んでいる人は比較的新しいのである
隣の家をのぞいたら枯菊が咲いていた、それを今日見つけたのである
なにかひっそりとしている、最近は隣の女性と話もしない
その女性もおとなしいのである
そしてまた左の隣のおくさんも顔すら見たことがない、同級生がおとなしい女性だったというからそうである
その庭には大石がある、ところがその家は貸家である、でも庭が広いのである
そういう家を田舎でぱ安く借りられるのである
もうすでに30年くらい住んでいるとそれは貸家ではない感じになる
何か老人になると家が大事になる、なぜならあまり遠くに行くのも億劫になるからであるすると家にいる時間が長くなる、それで家が広かったり住み心地良くないと嫌になる
また家は周りの環境も影響する、何か田舎でも車社会だから車の騒音に悩まされる
だから立地が悪いと騒音が都会のようにある
ここでも前は道路が近くで車の音がうるさかった
でもそこに家が建ったので音がさえぎられたのと下にいるようになったから車の音は聞こえないのである、だからこの家に満足している
ただ広い家だと掃除するだけで手間なのである
家事に時間をとられるのである
なんか猫が家の前でひなたぼっこている
それが平和だった、ところが野良猫がいつもいる、隣で餌をやっている
その野良猫が自分の家の中に入ってくる、それも問題なのである
地域猫として飼うとういのでもない、ただなんらか餌やる人がいてこの地域にいるのかとなる
地域猫でもネズミ駆除にはいいのかもしれない、というのは田んぼの近くの市営住宅の人は小さなカヤネズミが入ってきて米を汚されたとか言っているからだ
ここでは住宅整備地域にして改造したから堀もなくなった
一時震災後にどぶねずみなどが入ってきたが今はネズミは見ない
飼い猫は餌が与えられるので平和である、でも野良猫は平和ではない
餌が与えられないからである、平和という時これは人間でも同じである
やはり餌が与えられないと治安が悪くなる
貧乏化すると安定しないから治安が悪くなる
日本は今貧困化して犯罪が増えてくる
それは自分自身が被害者だったからである
銀行まで窮地に追い込まれて貯金してもそれが奪われるとまでなっているからである
とにかく田舎は家があり土地がありある程度の金の余裕がないと住みにくい
恒産があれば田舎の方が住みやすいのである、そしてそこで文化的なものをつちかわれるのである
だから公務員とか農協とか銀行は生活的に安定していたのである
それは田舎でぱエリートだったのである
今は貧困化するとそういう安定した職業がなくなる、そこで田舎でも犯罪が増えたり住みにくくなるのである
いづれにしろなぜ老人ホームに入った老人が家に帰りたいというとき家が一生を過ごした場所でありそこに深い思いがあり家は単なる箱ではないからである
だから原発避難者でも故郷に帰りたいというのは老人なのである
それを奪ったのだからそれが罪深いものだったとなる
人生の最後は家で死にたいとか故郷で死にたいとか田舎で死にたいとなるのはそれだけ
そこに深い思いがあるからそうなるのである
家というのはだから嫁にもなる、女と家は一体なのである
そして意外と大工さんというのが家にかかわるから大事だとなる、でも建売とかなるとあまりかかわらない
庭作りでも家でも大工さんの手作りだと家とかかわるだけではない
その家の人とも家族でも深くかかわることがある、ただ今はそういうことは少なくなった
また茅葺の家のときは地区の人がみんなかかわったのである
だから家はその村とかと一体化していのである
それが建売だと地域とは関係ない、ただ金で家を買うという感じなり重みがなくなった
ただこの辺で一つの新しい街ができるほど家が建ったがみんな建売であり一週間くらいで組み立てて建てたものである
昔の家は普請は大仕事であり地域の人がみんなかかわってできた
だから何か昔の家には重みがあるが今の家には重みを感じられないのである
また家の重みは長く住むことによって重みが生れて来る
それはその家族がその家と一体してただ物質ではないものになるからである
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