flower arregement 2020(生け花の心)
定位置に石の動かず冬深む
一壺におさまりきれぬ様々の花のともにし映えにけるかな
我が手にそ挿しにし花やいとしみぬ花を活かして心いやさる
幸あれと千両万両我が家に飾りけるかな新年迎えぬ
我が家に大輪の菊十分に見てかえる悔いのなきかも
生け花とかも日本の文化である、茶道でもそうであり庭でもそうである
それは京都中心に生まれた文化である
奈良時代の平城宮にはまだそうした文化は生まれていない、万葉集は自然と直結した
素朴な時代であり京都になると文化の時代になったのである
そこで平安時代にかなが生まれたのもそのたとめである
生け花というと花嫁修業とかにしていた、生け花でわかったことは生けであり生きた花を活かすことなのである
だから花を自らの手でさして花をいとしむということが必要になる
ただ生け花というと女性がするものになっている、花はやはり女性にあっているからだろう
私のテーマは一つは花であり石である、花はだからずいぶん旅行しても山でも見たのである、生け花はまた家で飾って見るから違っている
それはいつも花をまじかに見るからである
それで毎日じきまえで大輪の菊を見ていた、それで十分に見たからまた変える
つまり花は十分に見られることでその美を認められた、だからまた次の花をさして見るとなる
生け花はこうしてまじかで日々見られることで花と一体化するのである
ただ花を知るには本当はその心が大事なのである
花でも心が汚れると見えなくなる、他でも美が見えなくなる
そうなるとこの世に生きることは何なのだろうとなる
美をみないとするとこの世は本当に地獄にならないか?
栄誉栄華があっても美が見えないとしたら暗黒しかなくなる
この世が救われているのはこの世に自然の中に美があるからなのだ
だから東京とかにはそうした美がないから索漠としている
そういう場所に住みたくないとなる
ただ科学技術とかビジネスの世界では東京がいいとなる
石も私のテーマである、人間はやはり定点が定位置が必要である
人間はみんなその定位置から場所から世界観を形成するからだ
定位置があってその場からアイディンティティかされる自然や世界がある
「場所の現象学」という本でではそのことを明確に述べられている
そのことを書いてきた、人間は場をもたなくなったから自然からも世界からも疎外される
アイディンティティ化されてないのである
グロ−バル化してもその場のことが実際にその場に立たないとわかならいからである
だから例え世界のニュースをみても表面的なことしかわからていのである
ゴーンが逃亡したレバノンとは何なのだろうとなるとこれも場について歴史的にも地理的にもわからない
なぜレバノンという国があるのだろうからしてわからないから理解できないとなる
いづれにしろ俳句短歌は日本の文化であるが俳句は短すぎてもう表現しきれない
短歌はまだ長いからそれなりに命脈を保つともなる
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