鎌倉時代に東国の武士の時代になる(1)
(鎌倉と隠岐島の後鳥羽院上皇の短歌十首)
遠き世のすめらぎあわれ歌残し波の音ひびく隠岐の島かな
荒れ狂う波のひびきて上皇の都に帰れず島に死すかも
宍戸湖に秋の柳や常夜塔隠岐は遠しも旅人去りぬ
浪荒れぬ誰か別れとたたずむや常夜灯古り秋の日入りぬ
世は移るその時争う鎌倉や武士の歌心にひびきぬ
武士(もののふ)の世にうつりける華やかな都はなしも五山の寺かな
禅寺の門の重くも古りにけり落葉を踏みて五山をしのびぬ
庭の石苔むしあわれ五輪塔戦いに敗れ冬の日さしぬ
武士の契りのかたし鎌倉に大仏まして冬の浪音
韓国の旅路を終えて鎌倉に伊豆の島々秋の海かな
浪音に実朝の無念こもりしや鎌倉暮れぬ冬の海かな
無念かな宋へわたるとその船の砕けて沈むかなわざるかも
NHKの番組で後鳥羽上皇と藤原定家のことをドラマ風に放送していた
百人一首とかのなりたち、新古今和歌集とか鎌倉の実朝などがかかわる時代だった
ただ実朝は写生として正岡子規とかが称賛していた
でも藤原定家とかなると古今集以後は作りすぎて評価していない
万葉集は写実主義であり平安時代になると何かイメージで詩のように作る
だから技巧になり真実が表現されていないとして評価ししていない
私はもともとアララギ派であり俳句も写生から出発した
この時代は平安時代から東国の武士の時代へ鎌倉時代に移る変わり目であった
それでしょうきゅうの乱があり後鳥羽上皇は隠岐島に流された
そしてそこで死んだのである
その時実朝生きていて定家が歌の師匠となっていた
でもその歌風は定家とは違っていた
定家は平安貴族の延長にあり武士とは違う、でも時代の変わり目にあって歌風も変わる
それを一番良く示したのが実朝だったのである
その定家の時代に後鳥羽上皇も実朝も死んだのである、それは同時代の人だったとなる
ここでは短歌の評価だが古今和歌集でも新古今和歌集でも評価できない
それは正岡子規の評価と同じである
ただ実朝の歌は評価できるのである
いづれにしろ何か海が関係している、鎌倉にも海に面して波がよせてくるし港もあった
一時中国から禅宗を伝えた僧が中国に渡る船を作るとか実朝がもくろんだ
それも挫折した、そして実朝の兄弟とかも権力争いで死んだ
ここで源氏の系統は切れて北条氏が支配する世となった
おほ海の磯もとどろによする浪 われてくだけてさけてちるかも 実朝
鎌倉時代というとき、みちのくと関係が深い、現実に私の住んでいる所にも鎌倉に住んでいた岩松氏が来て最初に支配した
東北では関東から最初は鎌倉から所領を与えられ先祖となった武士が多いのである
平泉の藤原氏を亡ぼされたがその頼朝がいてその後も鎌倉から関東から所領を与えられ武士が移り住んだ、相馬氏は千葉県とかから出た一族である
でも岩松氏は家臣に殺されて滅びた、それで相馬市内に岩松氏という姓が残っていないのである
これも厳粛な歴史の事実なのである、だから姓をたどる歴史も重要なのである
隠岐島には行かなかった、それは秋の日だった、宍道湖の岸辺に立っていてそこに常夜灯があった、柳がしだれて風に吹かれていた
その時、宍道湖が海に通じていると見ていたのである
だからここから隠岐島に行ったと思った、ただ宍道湖はもともと海に通じている潟湖だった、それがさえぎられて淡水湖になりシジミがとれるようになったのである
承久3(1221)年、後鳥羽上皇の船は出雲国大浜湊(現在の美保関)を順風で出発し、隠岐国海士郡苅田の郷に向かいましたが、隠岐の島近くになると波風が荒くなり、大時化(おおしけ)となりました。その時化も次第におさまり、船をすすめていくと、一点の灯りが見え、その灯りをたよりにたどり着いた場所が崎だと言われています。
宍道湖と中海とは通じていてやはり海に通じていた、ただ方向が間違っていた
後鳥羽上皇が隠岐に渡ったのは美保関である
浪間よりおきの湊に入る舟の我ぞこがるる絶えぬ思ひに
この湊に入る舟への思いは今では考えられないだろう、都も陸地も遠いとなる
だからこそその舟に乗れば帰れるのに帰れないとなったらその気持ちは計れないとなる
何か離れ孤島に波の音ばかりを聞いていたのかとなる
浪の音崖にひびきて上皇の都の思いたちきれぬかな
何かこんな感覚になったかもしれない、ただイメージして歌を作るといいものはできない現実その身になることができないからである
印象的だったのは韓国の旅をして吸収の宮崎から船で伊豆七島に来た時だった、それは秋だったのである
秋の海に伊豆七島が船から見えたのである
とにかく旅の記憶も消えてゆく、それでホームページに書いたものが貴重だった
そこに全国を旅して詩にしたものが未完成のまま残っていた
その時春だと思っていた、茶町とあるときそこは花街であり遊女の町だったとなる
それで春だと思ったが読み返したら秋だったのである
ただあそこが港となって隠岐島に渡ったのかと思って去ったのである
秋の松江
芒なびく日本海浪荒れて
松江に我は着きにき
街を歩みて茶町とあわれ
昔の賑わい思うかな
宍道湖に強風や波立ちて
大きなる常夜灯一つ古りて
柳しだれてそよぎけり
京橋に江戸町と偲ぶ都や
船のここに寄りて栄えし昔
今日は秋祭りや太鼓ひびきぬ
この時宍道湖でも湖でも風が強く波が荒かったのである、ここに船は寄らないが船は寄る所だった
ともかくあの辺は情緒ある場所だったが思い出としては記憶が薄れてしまった
でもは日本の場合また行けるからその場所に立った時記憶が蘇るのである
またインタ−ネットとかでも写真を見たりして記憶が甦ってくるからこうして書けるのである、外国だと記憶は本当に消えてしまいどこにいたのかも定かでなくなっているのだ
松江と常夜灯
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