式年遷宮の祭りの意味
(日本は生(き)の木の文化)
真新し柱を建てて遷宮の祭りのつづく日本なるかな
真新し宮の柱や緑映えいつかしの森の木々の古りしも
新しき宮の柱と選ばれてとうとし神に祈り切るかな
縄文時代は鬱蒼とした森が日本をおおっていた、森の国だった
今でも森林が日本でぱ多い、日本の神は鎮守の杜とか三輪山が御神体のように山自体が神になったり木でも石でも神になる
木を伐りだすとき山口祭が行われる、この山口とは神聖な場所だったのである
山の入り口でありそこが結界ともなっていたからである
日本が木の文化だというときこれだけ森が多ければ当然そうなる
でもヨ−ロッパでもうっそうとした森に覆われていた、ドイツだと樅の木に覆われていたそれは黒い森として知られている
そしてその深い森があってそこは容易に入れない場所となり侵入できない場所であり
そこでロビンフットは森に逃れて時の権力者とか対抗できた
森が隠れ家になったのである、また森は国境にもなった
例えば日本でも相馬藩内の双葉とか大熊や富岡地帯は森で覆われていたし野でもあった
だから広野とか大野とかの名がついている
そして夜の森というとき相馬藩の殿様が余の森といってその土地が相馬藩の殿様の所領だと宣言した場所だったのである
明治になってその辺は新しく野とか森が開拓されて人が多く住むようになったのである
ここでも森は国の境になるように森が境界として閉ざされた場所だったのである
鬱蒼とした暗い森をぬけることが容易ではない、その森をぬけたときほっとするのである歩いてしか行けないとしたその森からなかなかぬけられないということになる
日本が生(き)の文化というとき木は呼吸しているし生きている、木材となっても生きているというのが石と違っている
だから大工は木をみて木材をいろいろな用途に使うのである
それで20年に一回の式年遷宮は宮大工の技を継承するためだともしている
生ものをサシミでも魚でも食べるのは日本の文化である、漁師は二日三日過ぎた魚を食べないという、日本でぱ魚でも生きのいいうちに食べなければならないのだ
だから生きたままのイカを食べたりする、活きづくりである、それも残酷だがそれが日本の文化なのである、日本でぱ新鮮なものに価値がある
それでこの辺でぱ海の魚を放射能で食べなかった
でも松川浦とかでとれたカレイを汁も売っていたので煮魚として食べた
それがうまかったのは新鮮だったからである、これが古くなるとまずくなるのである
それで幸福な時を味わった
この辺では石鰈は贅沢品でありそれの新鮮なものを食べることは贅沢だったのである
それが放射能汚染でできなくなっていたのである
ただ日本人は家でも新築のものもを好む、外国だとヨ−ロッパだと古いものにも価値があり好む
その違いもやはり日本が生(き)の文化だからだとなる
ただ漁業は現実にそれだけでは生活できないと漁業権を東電に売り渡して補償金をもらっていた、そこが原発事故で明るみに出たのである
放射能という時これが残酷だったのは空気から土から森でも木材でもそうした生活の基本となるものが汚されたことが深刻だったのである
もしそういうことがなければいかにこの土地の恵みは海の産物である
その生きのいいものを食べることでそれが最高の贅沢だったのである
それで会津のみしらず柿をもらって石鰈を送ったとき会津の人は喜んだ
会津の人はそうした新鮮な魚を食べられないからである
とにかく日本の文化というとき確かに木の文化だとなるが縄文時代は木の文化ではない
土器の縄文土器の文化である、森に覆われていて森を意識しない
つまりありふれたものであり意識しないということがある
木の文化ということを木を利用するようになって意識した
森が豊富な日本に「木の文化」は育たない?
木がありすぎるときは木の文化が育たない、木が希少価値になってくるといかに木を丁寧に利用するかと工夫するというのも一理ある
いづれにしろ日本の風土は森とか木を離れてはありえない文化である
ただ今は外材を使うから何か森林の木材が無駄になっている
近くの森でも深い森があった、その道は木材を切りだしていた道だった
でも今は放置されているからもったないと見る
自分の家でも姉がいつも自慢していた、橲原の木を切って柱にしたと自慢していた
その頃家を建てることは一大事業だった、三か月くらい家を建てるのにかかった
今は建売住宅で二週間くらいで組み立てて作る、そこに家の重みが感じられないのである人が住む箱のように見えてしまうのである
今はその土地土地から作られる産物が少ない、外から買うだけであり外から買うだけだとその土地独特のものは作れないし残されないのである
確かにグロ−バル化で外国からいろいろな物が入ってきても日本の文化が形成されるわけではないのである、むしろ文化から見れば失われてきたのである
地域創成ということが盛んに言われるようになったけど一旦失うと伝統的なものを回復するのはむずかしくなる
だから式年遷宮とはそうした宮大工の技の継承とかでも意味がある
大工でも十何代とかつづく人がいたりするが今は本当にそうした継続がなくなっているからである
我が家の柱によればふるさとの木にしあればありがたきかな
こんなふうになるのだけど今は外材だからこんなふうにならないのである
それがグロ−バル化で何でも外国から入ってきても便利でも何か充実しないのである
だから日本の森が活かされない、木材が活かされないのは淋しいとなるし大損失である
なぜなら依然として日本は森の国だからである
何か日本が貧乏になるというとき外国からばかり木材でも仕入れたりすることがつづけられるのか?それで豊かになれるのかということである
第二話:式年遷宮の千三百年 〜式年遷宮の歴史と今〜(フジテレビ)
これを録画できなかった、ここには伊勢神宮の歴史が興味深く語られていた
一応見たのだが録画していなから再考できないのである
伊勢神宮の式年遷宮とは?「20年ごとに行われる真の理由」
http://urx.red/oMVS(url短縮)
ここが詳しい、要点がわかる
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