団塊の世代の話に共感する
(食べ物もないのになぜ子だくさんだったのかの不思議)
加治将一氏のyoutubeの話に共感する、やっぱり同世代は経験したことが共通しているから共感する、女性でもそうだった、同じことを経験しているから話が通じるのである
下の世代になると話が通じなくなるのだ
それで50以上の人が話を聞いているのはそのためである、若い人は1割くらいしか聞いていないのである
でも実際は今若い人は若い人の話を聞いて共感している
でも話に共感しても何か人生を生きるための教訓は得られない
第一同レベル人からは何か学ぶものが習うものがないからである
少子化が日本が狭いしいいいじゃないかというとき私もそう思っていた
日本は人口が増えすぎたのである、江戸時代だったら3000万くらいしかいなかったのである
明治になって倍増してきたのは異常だった、大正時代でも東京は百万くらいだったのである、それで東京を称賛する詩人がいたというときそれは今のような大都会とも違っていたからである
団塊の世代で一番不思議なのは子供の時生活だったのである
戦後焼野原になったら何もない、食べ物がないのである
燃料は材木屋の木材の切れ端のバターであった、飲み水は井戸だった、まるでそれは原始的な江戸時代の継続だったのである
私は何か子供の時一番働かされていたのである
風呂焚きから水汲みから店をはじめたときは卵買いとかに行かされたししょっちゅう配達させられたり丁稚のうよに働かされたのである
その頃農家でもみんな子供良く働かせられていたのである
今でも後進国になると子供は労働力として生んでいた
だから男の子が生まれると喜んでいたのである
働き手になるからである、そして子供は親のために働くこと尽くすことが強いられていたのである
そしてなぜあんなに食べるものがないのに子供がわんさと生まれて育てられていたのか?これが本当に今と比較すると考えられないことなのである
私の父親は牛乳をもらうために並んでいた、その頃牛乳もなかったのである
あらゆるものがない、食べ物自体がないのである
今ならいくら貧乏でも食べ物が牛乳などあまっているしいくらでも子供に飲ませられるだろう、それなにのなぜあんなに子供が育てられたのか?
そして今は食べ物はあふれているしいくら貧乏でも牛乳くらい飲ませられる
第一貧乏人の子だくさんは世界で共通している
それでなぜ少子化になっているのか?
それが理解できないというのはわかる、それが団塊の世代からするとそうなる
もちろん生活のレベルが高くなっているから比べることはできないということがある
でも不思議なのは貧乏でも子だくさんでありそれは時代でも世界でも変わらないのである貧乏な国はかえって子供が増えすぎて困っているのである
とにかく団塊の世代の子供の時の生活経験は貴重だった、その時本当に家にはなにもない自分の家には本一冊もなかった、鉄腕アトムとか漫画を読んでいただけである
その後も何か本自体にふれる機会がなかった
田舎では20年前なのかその辺でもまだアマゾンなどないから古本でも何でも本自体手に入らないのである
田舎の書店などしょぼい、今の世界とは比べようがない
それで「冠婚葬祭」の本が百万部売れていた
要するにまともに本は売っていなかったのである、硬い専門書はないし読む本が非常に限られていたのである
だからこれがベストセラーだとしておいたのは本自体がないからだったのである
それでやっと仙台まで行って専門書とか硬い本を買っていたのである
そういう点で今は恵まれている、こんなに本がありいつでもいくらでも必要なら買えるからである、古本がいくらでもあり安く買えるからである
今は東京に憧れるものが本当はなっている
返って田舎に憧れ田舎で空家とか借りて広い庭がありゆうゆうと暮らしたいというのが若い人たちが憧れている、それが時代の差である
そして大きく変わったのは家事だった、洗濯を洗濯板でごしごし洗っていたらもう時間がかかりすぎる、だから私の母は店もしていたから休む暇もなく働いていた
御飯をゆっくり食べる暇もなかったのである、それは異常な生活だった
何の楽しみも余裕もない生活だったのである
それで戦前になると家事の労働が負担であり東京の中産階級でも女中を二人雇っていたということがあった
私の母は女中として東京で働いたからである
本当に時代が変わるとこんなに変わるのかと驚く、それより戦前から戦後を生きた人たちはもっとその時代の変化を受けていた
だから団塊の世代になるとなぜ少子化なのか理解できないとなる
子供を生んで餓死させるようなことはありえないと思うからである
食べ物すらない時代でも子だくさんで育てていたからである
とにかくその時代からこれまでの時代から比べると人間はみんな贅沢になりすぎたのである、まるで王侯貴族のような生活にみんななった
食べ物ではそうである、最底辺でもサシミを食べない人はいないのである
知っている人でも自分よりも一番新鮮なサシミを売る魚屋で食べているのである
でも私の父親は最後にサシミ食えるようになったが食えたくないと言って死んだのであるそれは病気になったためである、結局一生貧乏で死んだのである
バナナも仙台から買って食べさせた、その頃バナナすら売っていなかったのである
こういう時代があったことそして今を考えることが何か理解するのには大事である
それが歴史を知ることだとなる
そして外国生活した人は言うことが違ってくる
それは日本に住んでいいただけでは外国のことがわからないのだ
いくらニュースに接してもわからないのである
旅行しても深いところがわからないのである、だから外国生活をした人は人によって違うにしろ日本が良く見えるからある人は常に日本をこきおろすのである
ただ人によっては日本の良さを言う人もいる、だから日本がすべて外国と比べて悪いとはならないがどうしても日本だけしか知らない人は偏るのである
自分自体が外国で暮らしたことがないから日本の見方が偏るのである
何か理解するにも経験である、本からだけでは外国のことなど基本的に理解できないからだ
ともかくインタ−ネットでも40代以下が主流でありまたyoutubeになると高校生以下小学生が視聴者であり何百万も見ているのである
団塊の世代とか60以上でも本当に少ない、一パーセントくらいしかいないかもしれない
youtubeになると動画だから特にそうである、編集することがめんどうになるからだ
私もワードプレスを試みたがめんどうだとかなる、SSLにするのもめんどうだとかなる、技術的な面でついていけなくなっているからである
でも若い人同士つるんでいては何か人生のためになるものが聞けないことがある
一番人生で世代間で身に染みて差がつくのがいかに人生が短いかということである
時間が一番消失しやすい
時間は金のよう意識できない
馬鹿話とかテレビとかその他常に貴重な時間は奪われている
そしてその時間がとりもどせない
何か若いと生きる時間が無限になるように思えるのである
老人からみると最後は一瞬だったともなる
そして一番大事なのものは時間だったということにみんな気づく
なぜならいくら金あっても時間はもどってこない、時間は買うことができない
だから金がなくても時間を有効に使った人は老人になってから価値あること発表できる
どんな人も時間を無駄にしているからである
あとであんなことして時間の無駄だったと謂うになるからだ
自分もそうであり誰でもそうなのである、でも時遅しでありその時間がとりもどせない
それがみんな年取って一番感じていることなのである

加治将一チャンネル
【明治維新-明治以降の最新記事】
- 水道がない時代の井戸の話
- 昭和30年頃の暮らし (テレビの影..
- 家と土地の歴史が郷土史の基本 (家..
- 万年風呂‐レンガの風呂を作った職人の話 ..
- 生糸取り(製糸工場)の戦前の仕事 ..
- 失われた歴史(鹿島区栃窪の上萱―写真) ..
- 人間は育った家の影響が大きい (農..
- 昔の暮らしを俳句から偲ぶー明治の貧困を今..
- 出稼ぎの歴史 (戦後の焼け野原から..
- 鹿島から集団就職ではないが中卒で東京の工..
- 田舎でも農民の生活が主なものではない ..
- 集団就職の時代 (時代の変化は常に..
- NHK「戦火のホトトギス」 ▽17文字に..
- グロ−バル化を交通の歴史からふりかえる ..
- 私の母の実家の近くは相馬農業学校がある ..
- 廃墟の街-双葉町の不思議 (父がそ..
- 見逃せない戦後の引揚者の歴史 (大..
- 戦後の焼野原からの日本の復興 (私..
- 日露戦争の勝利の原因 (日露戦争の..
- 烏崎村の津波被害にあった人と話する ..