2020年01月23日

資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し


資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し

(多様化多極化ー思想、哲学、学問、ローカル、価値変換の時代)

「銀行業のあり方」大西つねきの週刊動画コラムvol.85


youtubeでいろいろ主張する人が増えてきた、この人も年配である
この人の主張も現代の矛盾、資本主義の限界現象を語っている
金がすべての価値から新しい価値観の社会を提唱している
それを具体的に令和新選組の政党で主張している
いろいろい語っているが触りだけ見た

この人は鉄道でも銀行でも国営化すべきであり銀行は国営化して利益を追及すべきではないとしている
それは銀行とかかわったからそういうこともあると見た
一方で国営化はタテ社会を推進させるものだからすべて民営化すべきだいう意見もある
なぜなら国営化はどうしても税金主体となり縦社会の維持につながり既得権者の利益になるだけだとなるからだ
国営化は大きな政府であり小さな政府がいいとしたとき民営化がいいのである

ただそもそも今なぜ社会はゆきづまり資本主義はもう成り立たないというのは誰しも実感しているのだ
その象徴が銀行なのである、銀行に金が余っていても貸す相手がいない
そのことから銀行は歪んだものになり社会を歪めていることは確かなのである
銀行は何か外国に投資して株でも変な危険な金融に金をつぎこんでいる
それで農林中金が6兆円とかつぎこんでカモにされているとか言う
農林中金はそうしたアメリカの金融機関に金を盗まれるとなる

それだけ銀行に金が余っていてもそれで増やすことができない、利益をあげることができない、これだけはわかりやすい現実なのである
今銀行に金をあずけるともう利子はつかない、これからは利子をとられるし投資信託とか何かわからないものに金を使わさられる
そして手数料がとられる
そして銀行は前のように金を貸すと返してもらいたいとなるからその貸す相手を吟味するしかし債権だとそれを他に売ればいいからそれもない
貸す相手を見ないというのもこれも人間としてまずい
なぜなら金を貸す相手はやはりどういう人物なのかとか何をしするために金を使うのかということを知って貸すからである

ここで知っておくべきは銀行業と証券会社は別物であった

これは大事なのことだった、この役割は別物であり銀行では株式とか証券関係とか投資信託でも売ることができなかったのである
それができるようになりそれがもともとあった銀行の役割をなくした
特に地銀となると地域を良くする地域の経済を良くすることにあったからである
その役割も喪失した、これは日本だけではない、世界的にも銀行が返すこともできないのにくサブプライムローンで金を貸してその貸した金が返せないのでリーマンショックになったからである
銀行の金の使い方が誤ると世界恐慌になるのである
銀行は資本主義社会の要のような役割を担っていることでそうなったのである

だから銀行がただ他の私企業と同じく利益優先主義になるのは疑問であり国営化すべきだというのも経験からわかる
それは社会の公器だからというのもわかる、それが土地バブルのときおかしくなった
土地自体に価値がない、右から左に土地を転売しているだけであり土地自体には価値がない、日本は土地にあまりにも価値をおきすぎたのである

現実農業をやればわかる、土地よりそのノウハウとか道具を買うとか毎日草刈りとか肥料をやるとか天候の影響はある、鳥に食われるとかネズミに食われるとか虫に食われるとかそうした害虫の被害も大きいし天候に左右される
それでその話を聞いただけでやる気もなくなった
それだけ土地にではなくその労働の方が大変だから耕作放棄地が膨大になっているのである、土地自体にはそれほど価値がないのである
だから地主だけに金が入っていたというのはおかしなことだったのである

いづれにしろ今銀行が大きな問題になっているのはやはり資本主義の根幹がゆらいでいる金を株式で右から左に流して巨万の富を得ている人たちがいる
こんなことをどうみても許されない、それは世界の人たちの労働があって富になっているとき盗んでいるのである、大盗賊なのである
だからそういう人たちから奪いという闘争が起きている
下手すると反乱が起きてそういう人たちが殺されるかもしれない時代になった

本当に資本主義は行き詰まっている、金があまっていても投資先がないのである
それはモノも余っているようにな時代にそぐわないものとなった
だから金は変な所に投資先に流れて外資に流れてただ奪われているだけだという主張もわかる、アメリカの金融機関に金が流れて日本の金が奪われている

そしてもう銀行でもそうだが利益をあげることができない、金があっても利子はつかない利益をあげることができない、会社にも留保する金が膨大でもそれが労働者にまわってこない、金は株主に資本家にすいとられるだけである
だからなんらかで社会主義的方向にも人々の心は向いている
社会主義と分配を重視するからである、分配が金融資本家とかに偏って流れ過ぎているからである

今金の投資先がないからだろう、なぜコインに一つの古いコインに一千万とかの値段がついているのか?これも貧乏人にはわからないことである
たかがそんなコインにそんな値段がつくのか理解できないからだ
それも金余りになり金だ、銀だとか安全資産を求めているからそうなる
チャーリップバブルと同じである

だからもう利益はあげられない

利益があがらなくても社会に役立つものに金を分配すべきだ

こんな思想になってくるのはそういう現実が生まれているからである

そして何か何のために生きているのかとか何のために金を使うのかとか何のために働くのかとか問われる時代になった
それは結局モノ余りであり金余りの時代になったからである
するとどうしても宗教とか哲学とか思想とか学問とか芸術の時代になってゆく
もはや金余りになれば物余りにもなれば価値になるものはとそういうものだからである
だからそういう時代の変わり目であり価値観の変わる時代だからそこを見なければならない
今までのように利益をあげる金が金を産む時代ではなくなっている
それができない時代になった、するとどうするのか?
金にならなくても価値があるのは宗教とか哲学とか学問とか思想とか芸術の分野になるのである
内面性の追求とかの時代になる、ある意味でそれは中世に返るともなる
何か閉塞した時代だともなるがこれから日本は江戸時代的国風文化の再生になる
何か江戸時代というのを否定的に見ていたが良く江戸時代がわからなくなっていたのである

それは明治維新で西洋文明を取り入れたときそうだった
でも明治が偉大なのは江戸時代があり新しい西洋文明が入ってきて両方があったからこそ偉大な時代になったのである
武士道もありそれで内村鑑三のような人が出たりした
明治維新が成功したものは侍がいたからこそであった、幕臣が明治維新を推進したからである
現代の問題はその過去を捨ててしまった、戦前の価値観を捨ててしまった
アメリカ一辺倒になってしまった、それは明治でも起きていた
でもその時まだ江戸時代の価値観とか侍の武士道精神とか残っていたのである
そこで二つの時代を生きたからこそ明治が偉大だったのである

とにかく資本主義はもう成りたたない時代になった、何でもそうだけど一時は資本主義は世界にとって有効に働いていた、でもそれが行き詰まるというとき時代がそうしている
そこで新たな時代を作る模索がはじまっているのだ
それは政治でも経済でも宗教でも哲学でも思想でもあらゆる分野でそうなる
数だけを集めて権力を操作しようとするカルト宗教団体もそれも通用しなくなる
何か数の時代も終わる、またと既得権の上に胡坐をかいていたマスコミでも官僚でも力を失う、そういう時代の変わり目に来ている
youtube自体がもうテレビを凌駕する時代はそこまで来ているからだ
その一角も確実に崩壊しつつあるからだ
多様な情報世界と多様な個々人の場が生まれている、地域から発信するとその地域地域の場が注目される、私の相馬郷土史でもそうである
郷土学でもそうである、地域地域から新しいものを見出して発信する時代になったのである、マスコミのような巨大な一極集中時代は終わったのである


posted by 老鶯 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187071367
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック