2020年02月02日

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


福島県会津へのコレラの流行

(伝染病は交通と密接に結びついていた)

「日本の歴史災害ー菊池万雄]を読んで

江 戸 時代におけるコレラ病の流行
-寺院過去帳による実証 菊池万雄

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日本海から会津若松に伝染して一方白河街道からも伝染した
それが田島方面に南山通りに伝染した
白河街道と阿賀野川の方からの伝染が多いからそうなった
それより南山通りからは伝染していないとなれば
ここの道は行き来があまりなかったとなる

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山形、秋田、青森が多かったのは日本海航路があり北前船が通い交通が頻繁だった
宮城県15年に2361と増えたのはやはりか石巻とか港があったからだとなる
福島県とか岩手県が少ない、太平洋側は北前船のように交通が盛んでなかった
北前船は大阪とかから來るから遠くの影響を受けやすかったのである


この本を読んで伝染病がコレラの流行が密接交通と関係していた
交通が頻繁にある所は伝染病がコレラの被害が拡大したのである
それを福島県に会津に例をとった部分で解説する

なぜここに興味をもったかというと全国を隈なく旅しているからそれで交通に地理に興味をもつようになった
会津に何度も行っているがここほど地理が特に方角がわからない場所はない
海側だと海から太陽が昇るから東であり山側は西であり北とか意識する
つまり方角の目星がつくが会津とか山の中の盆地になると方角がわからなくなる
それで飯館村に行った時、方角がわからなくなり迷った
東に行こうとして西に行ったのである
その時太陽が西に沈むことでわかった
このように盆地になると方角がわからなくなるのだ

特に会津は広いし本当に方角がわからない、地理がわからないのだ
基本的には阿賀野川がありこの川を通じて日本海に新潟に通じている
ここに川運があり人との物流があり人との交流があった
そしてコレラでもこの阿賀野川を通じて会津にも入ってきたのである
日本海側には北前船が通い大阪とかから人も物も入ってくるからコレラも伝播して死んだ人が多い、その数千数人とかなっているのも驚く
それだけ当時は伝染病というのを防ぎようがなかったのである

その当時の交通は日本海を通じして北前船でありあと陸路は街道である
だから新潟県とか秋田県とか青森県にコレラで死んだ人が多い
福島県は内陸部だから死者はおさえられた
それでこれだけ死者があったということは当時の医療が遅れていたからである
伝染病というと黄熱病で猪苗代に生まれた野口英世が死んだというのも因縁である

とにかく本当に当時の交通とコレラの伝染が密接に結びついていたことはいかに交通が伝染病に影響していたかという事実である
だから今回のコロナウィル騒ぎで中国の辺鄙な村では村に入る道まで閉鎖した
日本がでも塞(さい)の神とか村の入口に大きな藁人形とかを置いてよそ者の侵入を恐れた、それは伝染病を疱瘡とかでも恐れたからである
だから同じようなことが人間社会にはカルマとして起きる
玉野村は伊達藩と相馬藩の境でありそこに若木神社があるのは疱瘡の神を祭っている
境とはそうして伝染病を入らないように閉ざした場所でもあった
それで桧枝岐は隔絶した場所だからコレラの死者が出ていない、それは隠れ里であり人とか物流がなかったからである
それで悪いものも入ってこない逆説があった

現代はグロ−バル化になり交通がこれだけ発達したらもう世界的にたちまち拡大する
それも防ぎようがないのである、それだけの人であれ物であれ流通しているからである
日本のコレラも江戸時代の末期から文久から明治時代にコレラが大流行した
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最初に中国の廈門(アモイ市)から長崎に入ってきた、そこから港から全国に伝染した

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

ここは華僑の出身地でもあり故郷である、ここはそれだけ外国人も入ってきていたから
伝染病でもコレラでも入り安いとなっていた

福島県でコレラが伝染したとき南山道ではなく別な方向からコレラが伝染して会津の中心地若松で増えてそれが南山道から逆流した
この意味が理解できなかったが白河街道方面とか阿賀野川からも入ってきてそれで会津に集積してコレラが田島方面へ伝染した
これも何か当時の交通がどうなっていたか、物流が人の流れがどうなっていたのかを証明している

安政 におけ る当地方 の コレラ病流行 の実態を
第5図 の如 く,コ レラ病死亡者埋葬寺院 の分布
の面 か ら考察す ると,石 巻 ・塩釜 を中心 に半径
50km内 に流行 した もの とみ られ,そ の状 態は
近 きよ り遠 きにお よぶ同心円状をな して ノーマ
ルで あるが,仙 台藩支藩の一関や,三 陸沿岸 の
気仙沼 で,わ ずか なが らも流行 の傾向があ らわ
れ るなど,幹 線交通路 としての北上川水運 と,
沿岸航路 の重要 さを物語 っている面 もある

石巻から北上川をさかのぼり一関にも患者が増えたというのもそうである
この道は古代では鉄の道だった、それで産鉄集団だった真野氏一族が北上川を通じて登米に上ってその跡を記したのである
つまり歴史をみるとき交通の面から見ることが不可欠なのである
地理があらゆる学問の基礎ともなっているからだ
それで私は全国を旅行したからそこがどういう場所かイメージできる
そして地理に興味をもったのである
地理が基礎だという時、地理は地形とかは二千年単位でも基本的に変わらない
どんなに時間をさかのぼっても地理は変わらないからである
イスラエルでもエジプトでも何千年前と同じ場所にあった、例え国がなくなってもその
土地はなくならないからである、だからこそ二千年過ぎてイスラエルという国が復興したともなる

歴史がなぜあらゆることで事件でも問題になるのか?
それは人間は必ず同じことの繰り返しなのである、カルマの繰り返しなのである
津浪だって相馬藩政記に二行だけ生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた
でもこの辺ではここは津波の来ない場所だと思い込んでいた
ても確実に災害をカルマであり繰り返し起こってくるのだ
ただ400年前になると誰も生々しく語るものがいないから忘れてしまうのである

コレラだってこんなに明治になっても死者があったのかと驚く、それも忘れているからである、人間ほど忘れやすいものはない、人間個人でも次々に事件でも問題が起きて前騒いでいたことを忘れるのである
ニュースだって次々に新しいことを追いかけて昨日あったことさえ忘れてゆくのである
ここがやはり人間の弱点でありそれで何回も津波でも警戒しなくなっていたのである

posted by 老鶯 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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