2020年02月08日

冬柳ー田母神の社(百歳死んだ母が夢に現れ死者は家に生き続ける)


冬柳ー田母神の社(百歳死んだ母が夢に現れ死者は家に生き続ける)

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百歳を生きにし母や冬柳

日も暮れぬ水無川に冬柳 

近くあれ古社の一つや冬柳

路地の奥知られざる家冬柳
なお生きる99歳知るや冬柳
70年嫁ぎて長き冬柳
ここに生き長きものかも冬柳 

蝋梅の実をついばむヒヨドリや田舎に養ふ糧のありしも

田母神の社残りて北風の松に吹きにつ鳶の飛ぶかな 

今日誰か善徳橋を渡るかな冬の柳のここに暮れにき

亡き母の姿の見ゆる冬深む60余年を我が家にあれば    


冬柳と枯柳も違う、枯芒と冬芒の相違とにている
水無川の善徳橋のわたる手前にある柳は大きいから見ものである
この冬柳は何か幽霊のように見える
私の母は百歳生きた、その年になると幽鬼のようになって生きているともなる
だからこの冬柳でも幽霊のように見える
それで昨夜母が家にいる夢を見たのだ
やはりいつものように家にいたのである
何か死者というのは本当に不思議である、死んだら本当に何にもなくなるのか?
私の母は私の家に嫁いで70年近くいたのである
その歳月の長さの故になかなか死んでも消えないものとしてある
本当に依然として変わりなくいるような気がするときがある
それで時々夢を見たりする、するとやはりいるのだと思うのである
死者がいる場所は女性の場合は家だと思う
なぜなら嫁は女と家だから密接に結びついているのである

心が通じ合う。魂が結ばれる。
出典万葉集 三二七六
「たまあはば君来(き)ますやと我(わ)が嘆く八尺(やさか)の嘆き」
[訳] 心が通じ合えばあなたはいらっしゃるだろうかと私がつく長いため息を。

その「こい=乞い=恋」が時代を下って、万葉集の時代には、「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと、また、そのこころ」を意味するようになりました。

恋は乞うでありもともと死者を思うこと乞うことだったのである
だからそれが切実となる、なぜなら死者とはもう二度と会うことができないからである
万葉集の中に恋の歌が多いのは死者を思うということがあり切実だったとなる
魂合うというのも不思議である
何か魂が合うということそれは確かにあると思う
生者と死者の魂が合う、それは説明できない不思議な現象だとなる
夢を見ることがそれに通じている
昨夜母の夢を見たのは魂合うだったのかもしれない、肉体は消失しても魂はなお生きているとなる

ダイユーエイトの田母神の由来は


「田母神」の名前は福島県に縁のある名前です。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区があり、同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれています。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかあります。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれています

三春と相馬藩は関係していた姻戚関係にもあった、だからこれは三春から移って来た人が祭ったのかもしれない、田村という姓が鹿島区にありそれは古いものかもしれない。
田母という地名が三春にある

ヒヨドリが庭に来て何を啄んでいるのかと思ったから?梅の実だった
何か実があり冬でも鳥は生きている、主に虫を食べていることは確かである
冬は実がなくなるからだ、でも自然だと烏でも雀でもななんでもその土地のものを食べている、何かしら食べるものがあるから生きている
それも不思議なのである、人間は地元のものだけではない、グロ−バルに世界から食料を入らなければもう生きていけないからだ
だから人間は何か常に自然に反する生き方をしている
科学技術でも原発事故があったりウィルスでも生物兵器がもれたのだとか反自然的なことをして大災害をもたらすのである
それは自然からの一つの警告でありそして実際に自然から罰せられるのである


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