野馬追の野馬の起源
(「馬」が動かした日本史ー蒲池明弘を読む)
平成29年 相馬野馬追ー野馬懸(かけ)ビューローfacebookアルバム
●馬と日本の歴史
この本は馬から日本史を見ることで興味深かった、というのは相馬藩は野馬追いの祭りで有名だからである
その野馬とういうのは何なのかここで説明している
そして日本の歴史をみるとき縄文時代があるとしてその後がどうなっているのかとか
歴史の継続性が明確ではない、縄文時代が一万年つづいたとして日本の歴史はその縄文時代の末裔としてあるとしても明確さに欠ける
連続性がどうなっていんるのか不明である、日本語にしてもそうだろう
それが未だにどこに由来しているのかわからないから様々な説が生まれる
これはイスラエルの言葉と関係しているとかシュメール語だとインドのドラビダ族は共通しているとかポリネシア語だとか説がいろいろあっても解明できない
そもそも縄文語があったとして今の日本語の起源なのかというとそれも不明なのである
はっきりしていることは縄文時代には魏志倭人伝に書かれたように日本には馬とか羊とかいないと書かれている、つまり野生の馬もいなかったのである
馬は外国から入ってきたものであった
魏志倭人伝に鉄の矢じりと骨の矢じりがあったのは日本では鉄が不足しているからだとしている、日本は技術的に大陸からすると遅れていた
馬は牧の中で放し飼いにされ、水飲み場のほかには餌を与えられずほとんど野生の馬だったことから(野馬)と呼ばれてました
千葉県の幕府直轄の牧の痕跡(野馬土手)が数多く発見された
その説明がこの文である
そして今でも残されている野馬がある、御崎馬とか寒立馬とかが今も生きていてそれは野生の馬なのである、代われた馬ではないのである
馬は軍事目的に使われることが多かった、日本の草原の国であり野生の馬が生きられるとしている
ただ日本は湿地帯であり森の国だから馬が野生で生きられる土地は少ないようにも見えるでも山の台地とかは適していたのかとなる
花巻とかあれば鼻とは突き出した台地でありそういう地形があり馬が生育するのに向いた土地だったとなる、長野県に牧が多かったのはそのためである
モンゴルの様などこまでも平原がつづくとはならない、第一野馬というとき野は斜面のことだからである
日本は植物が豊富な土地であり野生の馬の餌になる草があったという
それで野馬が生きられる条件があった、また火山からできる黒ボク地が草原を作り馬が生きるのにふさわしい場所としている
常陸国風土記に霞ケ浦の行方郡について山には猿、猪がいて野に馬がいること
天武天皇の時、地元の人が野馬を捕獲して朝廷に献上したと記されている
それは行方(なめかた)の馬であると記されている
行方郡とは相馬地域の古代のことである、その行方郡の人たちがこの地域に移住して来たからその名がついたのである、相馬氏がこの地域を支配したから相馬郡となり相馬藩となり相馬市となったのである
もともとは千葉氏が基となっていた、千葉氏から相馬氏が出てこの地を支配した
●野馬追いの野馬の意味
野馬追いの野馬という言葉が何を意味しているのか?
野にいる馬を追うということである、そのこと自体不思議なのは日本の野に原野に野生の馬がいたということである
モンゴルの様な平原ならわかるが日本にも野生の馬がいた、その野生の馬はかえって気が荒く戦(いくさ)で使うのには適していたのである
武士用の馬の牧場で野馬飼いのような粗放な飼育が採用されたのだろうか
家康の遺訓にあるように長期間の戦陣の中でも気力、体力の衰えないタフなう馬が求められた
幕府牧場といっても見回りしたり牧野手入れしたりするのは近隣の住民だったから
将軍様の馬ということで過保護に傾き良い餌を与えたり病気になれば自分の家に連れて帰り回復するまでめんどうみることもあったようだ
将軍吉宗はそれを良くないと言っている
元より野馬にひとしくあつかうべし
厳しい自然環境にさらし自然淘汰にゆだね、強い個体を残すこと、野馬飼いの目的の一端がわかる
日本の馬は小型の馬が多かった、モンゴル馬とにていた、モンゴル馬は自分も乗ったが小型であり地に足がつくくらいだった、だからこそ乗れたとなる
自分が馬にのったのははじめてでも乗れたのである
馬が大きいと足がつかないから危険になる
自転車でも足がつかないと緊急の時止められないから危険になる
ただこの小型の馬も江戸時代から何か大型になっているように見える
おそらく江戸時代になると農耕馬などがふえてきたからかもしれない
戦闘に使う馬は小型でも強いとなる、また遠征に耐えられるのは耐久力がある小型馬でありロバともにている
もともとは小型の馬だったのである
●南相馬市の雲雀が原近くの羽山古墳の馬の絵
甲冑と兜を身にまとった武人である
鉄を生産する技術があり兜も身につける
野馬追いの武者と変わりないのである
双葉の清戸迫横穴古墳
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この装飾古墳は今の神旗争奪戦が行われる雲雀が原の近くなのである
もともとは江戸時代は野馬土手で囲まれていた一帯である
ここで江戸時代から野馬追い、野馬を捕える場所としてあった
その広さは桜井古墳まで広がっていたのである
そしてこの古墳とも馬が関係していたと説明されるときぴったりだとなる
野馬牧場があり桜井古墳まで広がっていたからである
関東には大きな古墳が密集していてそれは馬と関係していた
蝦夷とは何ものかという時、馬をあやつり弓矢を射ることにたけていて勇猛だったというときそうである、この馬は縄文時代にはないのである
この馬は渡来人がもたらしたのである、その馬を操作する術とか鐙とかももたらした
鉄の生産とか鉄の武器ももたらした、その渡来人が実は蝦夷だったのである
ツノガノアラシトが伽耶王国の王子でありその伝説が伝わっていてそれに由来する地名もある
そしてそれは相当に古く縄文人とか原住民と連合を組んでいた、それが蝦夷だったから強敵になったのである、馬を操り弓矢の術にすぐれ鉄の武器をもっていたとなれば手ごわいものとなったのである
それができたのは渡来人が早い時期に東北の地域に土着していたからである
そして古墳に鉄製品とか大陸風の鉄の馬具が収められているののもそのためである
馬とともに先進の文化や技術が入ってきていたのである
だから何か横穴古墳とかいうとそんな先進文化と関係ないように見ていた
縄文人が原始的生活していたように見ていた
でもよく見ればそこに馬が描かれて兜をつけて刀をつけた武人が描かれていた
それは騎馬民族の末裔でもあったのだ、縄文人とはまるで違った人たちだったのである
馬を使いこなす騎馬民族の末裔だったとなる
縄文人は馬は使っていない、するとそういう馬を使いこなす人たちが入ってくればそういう人たちはその土地を支配する、第一相馬氏が千葉氏の分流であり馬を使うに巧みな武士団であったからだ
それがた野馬追いの祭りとして相馬藩で受け継がれたのである
だから羽山横穴古墳とか野馬追いが行われる雲雀が原は野馬土手があり広く野馬がいたとなる、その野馬を捕えていたのである、それは小高神社の野馬掛け祭りでその様子が再現されるのである
とにかく歴史を勉強するとき必ず時代の前後とかわからなくなる
横穴古墳の装飾古墳が原始時代の遅れたものとして見ていたりする
でもそれは先進文化を象徴したものだった、なぜなら馬が中心に描かれその馬をあやつる武人の絵だからである、その武人は鉄の兜をつけ刀をさしている
それは戦国時代の武将と同じだったのである
そういう先進的なものとして見ていない、そこにも常に時代の錯覚がある
広き野に野馬を追う
兜をつけ刀をさした
渡来人の武人?
渦巻きの太陽は輝き
その姿は誇らしく
広々として原に野馬を追う
草原を賭ける野馬よ
その躍動する馬に魅了される
横穴古墳はこれは明らかに古墳時代の後期であり新しいのである
では桜井古墳とは何なのか、誰が作ったのか、誰を祭っているのか?
二人の棺があり埋められていたすとるとこの辺に二つの勢力があった
一一人は縄文人以来の原住民の主であり一人は渡来人を治めた人だったのかとなる
ともかくこの本は興味深い、馬という視点から歴史を見るということでわかりやすいということはある
相馬野馬追いがあるから馬に興味がででくる、今は競馬している人が馬に興味をもつ
馬自体は日常生活では見れなくなったからである
でも馬が絵がれた装飾古墳は生き生きとしている
そこには広い野が広がっていた、ごちゃごちゃした街はなかったのである
原町はそうした広い場所があった、鹿島とかなると寺内小池の高台がそういう場所だっただから古墳の町としてある、でも原町の雲雀が原は古代から戦国時代へ相馬氏の支配する場所として継続していたのである
双葉の清戸迫横穴の装飾古墳もそうである、そこにも広い野が広がり馬を操る野馬を追う武人がいたのである
茨城県の行方市(なめかた)の古墳にある馬の冠
ここでは確かに野馬がいて放牧されていてそれは野馬であり野生であり
それを捕えて軍馬にしていたのである
馬の配置でも野馬のように自由であり放牧されていたまたは野生の馬の姿を
冠にしたと思える
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