人間を作るのは経験である
(本読んでもわからない)
つくづく人間は経験しないとわからないのだ、それで一番わかるのが外国に住んだ人と住まない人の差が大きいことである
留学した人としない人の差が大きい、この差は埋められない
だから知識人となる人はたいがい外国に住んだ経験がありまたさらに上をゆくと外国で仕事をした人である
そうきう経験した人は深いところで外国を理解している
それは日常的に日本との差を意識するからである
そういう経験の積み重ねで外国を理解して日本を理解するからである
これは旅行したくらいではわからないからだ
だから留学というのは相当に価値があることになる
例えばその他地理でもそうである、これは地図を見てもわからない、実際に旅行して実地にその場に立たない限りわからないのである
特に驚くのは太陽が昇る方向が違ってくる
太平洋側だと海から必ず太陽が昇る、でも山側だと山から太陽が昇り山に沈むのである
この感覚は同じ日本がでもそこに住んでみない限りわからない
それで会津は山があれだけあり高い、同じ福島県でもまるで違った世界となる
人生というのも実際は経験しない限りわからない、本を読んでもわからない
それで就職のとき一番重んじられるのはキャリアである
どういう経験したかでその人が判断される
その時資格でも学歴でも採用されない、どういうキャリアを積んだかで判断される
それはどういう経験をしたかということである
だから学生でも一流大学でも実際に社会に出ると成功するとは限らない
つまり経験して見ない限り人間の力量はわからていからだ
学問はだめでも力を発揮する人はいるからだ
例えは戦争の時とかなればそこで力を発揮する人がでてくる
そういう特殊な場では本当に命をかけて試されるからである
経験とは何かを試されることなのである
ともかく人間はなんらか必ずどんな人でも経験を積んでいる
奇妙だけどニートでも引きこもりでも経験なのである
それは会社に勤めない、働かない、人と接しない、・・・こういうことは普通の社会人になれば経験できないことなのである
それと逆に一般的には会社に勤めて社会人となり経験を積む、それで社会のことを理解するのである
それを経験しないことは大きな欠落を生むことになる
例えば結婚でも経験でありこれを経験しないものとするものにも大きな差が生まれる
ただ経験と言っても人間の経験することが極限られている
だから何でも相手を知ることがむずかしいのである
仕事だって今は無数にありそれも経験しないとわからないからである
私は車を乗らないから車のことがわからない、となると車社会では脱落者となってしまうのである、一方で自転車のことを車ばかり乗っている人はわからなくなるのだ
そしてなぜ江戸時代のことがわからないのか?
その根本は歩いて生活していたということ街道でも一日40キロ歩いて旅していたということが経験しないからわからないのである
そのことからあらゆることが理解できなくなるのだ
経験が人間を作るというときあらゆることがそうである
なぜなら仕事するにしても何かに熟達するにしても経験だからである
こうしてみたがうまくいかなかった、だからこうしたらいいとか実験して経験してゆくことで身につく、農業だって本当に一から始めたら実験である
こうして失敗したこうしてうまくいったとか肥料を与えるにしても何でもそうである
それで農業は親の跡を継ぐのが有利になる、そこで蓄積したノウハウを教えられるからである、その土地のこともそこに生活して教えられるからである
すでに農家に生まれるということは農業を経験しているとなるからだ
とにかく自分には相当に経験が欠けていた、社会的に知らないことが多すぎた
それは社会経験がなかったことによる、もし会社勤めしていればこうはならなかった
それで親が死んでからいろいろなことを経験した、それも遅きに失した
家をやりくたすることはこれ自体が基本的生活の経験だった
家事でも経験であり一人切り盛りすることが大変である
それで常に家事に追われるようになったのである
そしてお手伝いさんなどを雇うことになったがこれも経験だった
日本人は外国で必ず家政婦を雇うようになる、それが強いられる
でも日本人はそうして家政婦を雇う経験がないからうまくいかないというとき
そういう文化がないからである、だからうまく使えないのである
これだって経験なのである、あらゆることが経験なのである
会社の経営でも人を雇うことでありそれで失敗してもやはり経験を積んだとなる
まず裏切られたとか普通にあり人を雇い人と共同することがいかにむずかしいか知る
それで一人で一反の畑で農業していても共同しないというときもそうである
その人の経験したものが人生になる、もちろん本を読むことも必要である
雑学でも意外と後で役に立つ、知識も蓄えることが必要である
でも基本的には経験しないかぎり知識もみにつかない
外国のことをいくら本を読んでもわからない、それで50以降海外旅行したのか良かった
その経験は貴重だった、その前は全く本を読んでも外国のことがわからなかったからである、中国に三回行ったから中国をある程度理解したのである
宗教とかも本を読んでも座禅を組んでも人に教えられてもわからない、もちろんカルト教団に入ってもわからない、結局経験から知るのである
聖書で一番大事なのことは奇跡であり何か事が成ることである
哲学とか思想でない、事実として起きて成ることである
だから奇跡が現実にあり奇跡なくして信仰もありえないのである
奇跡を信じない限りありえないのである、だから聖書に記された奇跡は全部真実であり作り話ではない、もしそうだったら信仰自体成り立たなくなるからだ
これも結局自らの経験で知るほかないのである
その人に必ず奇跡が起きて理解できるからである
信仰でもだからいくら聖書をくまなく読んでもあらゆる本を読んでもわからない
奇跡の経験がないかぎりわからないのである
そてし人生は経験した方が勝ちだった、自分は何か不器用でうまくいかなかった、失敗が多かった、海外旅行では大失敗したがそれでも思いきって行って良かった
なぜなら60になると介護であり何もできなくなったからである
それがつくづく幸運だったとなる、それはすべて親に恵まれたからである
だからやりたいことをやらせてくれた親に感謝して懸命に介護したのである
つまり今や何も経験することちができなくなったとなるからだ
もう老人になれば経験をできない、経験したことを語ることになる
それで金持ちの老人がワインのことをやたら詳しくなったけど無駄だったという
それも経験である、何々したがこうだったとか語るようになる
日刊現代
会社に勤めたが退職して何が残ったかわかる
でもその経験が人生だったとなる、だから退職した人は会社勤めしていた時をなつかしくふりかえる、その仲間のことでもふりかえる、なぜなら時間が貴重であり
その時間をともにしたことが実は人生をともにしたともなるからだ
それで会社のことが忘れられない愛着がそこに生まれていたのである
というのは人生というのは一回しかないからである
一回しか経験できないからふりかえると時間を費やしたこと経験したことが貴重なものとなるのである
そしてその時間がかえってこないのである、となると余計に貴重なものとして自覚するようになる
カルト教団に入ったこともそれすら経験だった、あらゆるものが経験でありそれが人生を作る、そして老人になるとその経験を語るようになるのである
若者はまだ経験を積んでいない、これから経験を積んでゆくものである
でもどういう経験をすべきかが問題になる、毎日ギャンブルなどしているだけでは何にも残らない、そこで常に時間は浪費されて後年何も残らないとなるのだ
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