津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写真
松林夕日のさして冬の草ここに長くも松のありしも
これも季節がわからないのだ
でも蔵が二つあり松が一本あり記録されていた
ここを通っていつも右田の松原に行っていたからだ
白壁に松影写す冬の家
十数年前の私のホームページを見ていたらこの写真がでてきた
そこは右田の松原の河口にある松林だった
そこはキャンプ場になっていて河口がありいい場所だった
それはすべてなくなった、川は残っているけどその他はすべてなくなった
するとこの写真は貴重だと思った、他にも貴重な写真が残っていた
なぜ貴重なのかというときもう右田の松原は見れなくなったからである
だからもっと写真が他の人でもとっていれば貴重になる
ただその時やっとデジタルカメラが出て来た時でありそんなに写真をとっていないだろう普通のカメラだと現像とかあり写真が気軽にとれなかったからだ
何か冬の草として俳句も残していた
それを短歌に変えた
俳句も季語がありその時々の記録なのである
もし写真だけみてもこれが冬だということがわからないことがあるからだ
だから本当は記録がふりかえるとつくづく大事だったなと思う
旅に行っても何十年も過ぎる忘れるから思い出せなくなるからだ
写真をみると思い出すからである
現代はとにかく写真で記録する時代である
ただ写真だけでもたりない、やはり文字でも記録しておくと後から回想できる
この辺は余りにも変わりすぎたのである
その変化が信じられないものだった
でもこうしてその時々のことを書いていると記録しているとそれが後で役にたつことがある
それは私が死んでもこうしてプログでもホームページでも記録として残ると当時のことがわかるということがある
ただ写真だけからはわかりにくいことがある
でも明治維新の西郷とか名だたる人が写した写真は貴重である
それはイメージとは全然違っている、西郷隆盛でもいかつい怖い顔である
鬼気迫る顔をみんなしていた
だからみんなその時命がけで生きていたからあのような顔になった
だから過去はイメージしてしいるものと違うのである
ともかく津波から原発事故から9年過ぎた、そうなるとだんだん忘れられてゆく
まず右田の松原を全く知らない人がすでに子供でも多数になる
だからこんな松原あったのかとイメージしようもなくなったのである
松を植えても成長したとしても前の松原とは全く違ったものになるからである
このインタ−ネット通信の怖いのは一瞬にして記録でも消えることである
そういうことを経験しているから怖い、だからバックアップが必要なのだがこれもめんどうなのである
でもさくらのレンタルサーバーでは一回だけプログが消えたがあとはない
他でぱ消えたと報告されている、さくらのレンタルサーバーではバックアップしていたから回復した
つまりバックアップがインタ−ネット利用するには不可欠なのである
ここが不備だと本当に危険になる
さくらのサーバーは北海道に記録する建物がありそれで安全なのかと思う
とにかく記録が残っていたのでそれをプログに今回出した
【地震津波水害関係の最新記事】
- 北泉の津波の犠牲者の石碑を見る (..
- 地震と地盤と家の修復 (様々な要素..
- 人間は急激に起きることに対処できない ..
- 都会の見えない津波 (人間は見えな..
- 今回の地震は被害が少なかったので安心? ..
- 怖かった地震ー東日本震災と同等だった
- 津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなっ..
- 十年一昔 (津波も原発事故も忘れら..
- 震災後、宮城県亘理町の干潟「鳥の海」「名..
- 東日本震災から10年にもなり大きな地震の..
- 水害で塗炭の苦しみにある中国南部 中国メ..
- 右田の松原の写真を一枚加える
- 磯部村の寄木神社の謎(津波の伝説を調べる..
- 海上保安庁で津波の遺体捜索 (南相..
- 郷土史研究で失敗したこと (広域的..
- 神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海..
- 平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に
- 海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり..
- 相馬藩の慶長津波の証拠 (津波の前..
- 以前として解き明かされない津波の謎 ..