春の日(飯館村が住民の別荘地になった?)
新しく建てられた家ュ(別荘)
人は住んでいない、こういう家が多い
廃屋
新しい遊戯館と公園(までい館の裏)
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蝶がこの木にとまっている
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キクザキイチゲと片栗
これは綿津見神社だろう
山津見神社と対になっているからだ
飯樋の丘の公園の樅の木にノスリ
樹々芽吹き流れのひびき不動岩
片栗や流れの清く一部落
松一本社の標春日暮る
(木戸木)
かたくりにキクザキイチゲ蕗の薹飯館村に我が入るかな
奥の山住みにし跡とあわれかな枝垂桜の名残と咲きぬ
森深く友呼ぶ声や鳥のなく春の山陰耳をすましぬ
くいこみて絡まる蔦の離れじやここを住処と死ぬ人のあり
我が町の梅は散りにき飯館の梅は盛りと今匂いけり
丘の上に樅の木一本見上げればノスリとまりて人の住まぬ村
人住まぬ村の淋しも古き碑も捨てられしごと春となりしも
人住まぬ村の淋しも鶯の夕べ啼きしももの悲しかも
栃窪村から真野川をさかのぼり大倉に行き坂を上って木戸木に行った
そこは十軒くらいあった戦後開拓に入った部落だった
そこに十軒も家があることを知らなかった、三四軒くらいしかないと思っていた
私が関心があったのは草野の方に行く流れが森の中に隠されてあったのだ
今はそこが道路になってない、そこは神秘的な場所だったのである
人は一日一人も通らないということがある、そこの木戸木の部落の人しか通らなかったろう、森の中で暗い道だったからである
なにしろ木戸木はその道ができる前は大倉に行くにしても相当に不便である
それより草野に行くとしても七曲の峠道を行くから本当に不便だった
戦後開墾に入ったのはそういう不便な土地にしか入れなかったからである
そこでの暮らしは本当に原始的な暮らしである
そこが不便なのは田畑にする場所がないことである
平坦な土地がない、ただ燃料は炭だった、戦後一〇年くらいは街でも炭だった
私の家でも街に住んでいても囲炉裏があったからだ
ただまだ私が住んでいたのは街だったがそこはもっと辺鄙でありどんな暮らしをしていたのか想像もできなくなった
山菜くらい食べても生きていけるきかともなるからだ
あの小川で岩魚かとれるとか言っていた人がいたけどこの辺では岩魚はいない、山女はいるが岩魚はいない、だから何を食べていたのかイメージできなくなった
そこでは一〇軒くらいあって二軒くらい住んでいる人がいた
飯館村で今回不思議だったのは家が新しくなっている、その家が平屋で小さいのである
そういう家が多いのとどうしてだろうと思った
補償金が入って新しく家を建てたたのかと見ていた
そこに住んでいると見ていた、でも人は住んでいなかったのだ
それでまでい館で案内している人に聞いた
そしたらそれは別荘だというのだ、人は住んでいないのである
そこに住んでいた人か畑で野菜を作ったりしているという、また帰ってくるために作ったでも人は住んでいないのである、それも奇妙だった
人が住んでいて家が壊され空地になった所もみかける、でも新しい家が建っているからここで生活しているのかと見ていた
ここに住んでいた人は他に移り住んでいる、他で家を建てて住んでいる人もいる
でもここに別荘として家を残して通っている
飯館村は別荘地となっていたのだ!
ともかく飯館村では例えば町長も村に住んでいない、その孫でも立派な学校に他から通っている、町長自体が住んでいない、そして他の場所から川俣とかから通っている
これも何か変だと見た、飯館村ではとにかく建物だけは立派になった
また一つ子供のための遊戯場とか公園がまでい館のじき側にできる
その建物も子供が喜ぶようなデザインの建物である
ただまでい館に寄ってそこで遊んで去ってゆく、肝心の人間が住んでいないのである
そんな村とか町がありうるのか?
それは何か仮の村であり通過するだけの村となってしまう
別に通過するだけならそれでいいとなる、デズニ―ランドのような遊び場で遊んで帰るというだけである
でもそういう村はもう村とは言えない、暮らしがないからだ
ただ一部ならそうしたレジャーランドとかキャンプ場のようなものはあってもいい
でも村全体レジャーランドになったらそれが村なのか?
人間が住んでこそ村でありえる
ともかく人間が住まない村とはな何のだろうとと思った
古い碑とか墓がある、それも何か捨てられた感じになる、住んでいればそれが眼につくから古い碑でも墓でも死んだ人でもその土地に一緒に生きているという感覚になる
人間が住んでいればその村の継続した生がありうるのだ
そういう生の継続が途切れた感じになる
小高だとすでに6割以上とか帰って住んでいるとなると何とか町が成立しているのかとなる、ただ老人が多いから老人の街が継続できるのかという問題がある
そこは姥捨て山になるのではないかという不安がある
今回飯館村に行って感じたことは死んだ村という感じである
例え立派な建物があっても肝心の人間が住んでいないからである
特に草野辺りはなんとか通過する人でも寄る人があるから活きている
でも飯樋とかは一軒か二軒しか住んでいない
そこは前は塩の道の塩を運ぶための相馬藩の役所があり60人も役人が住んでいたのである、それが死の町となっている
その丘の公園に上ったら一本の樅の木があり人の住んでいな町と人のいない学校が見えたそして樅の木の天辺にノスリかとまっていることにびっくりした
何か前もそうだったが人間がいなくなるとこうした野生の生物が生き生きとしてくる
だから荒地となった田畑には猿の軍団が出てくる
猿は人間を恐れなくなっているからだ
飯館村どうしても死んだ村に感じた、やはり人間が住み人間の暮らしがないと死んだものとなる、ただ田畑でも放置されたのは農業を前から継続することが限界にきていた
それはどこでも共通しているが飯館村だと特にそういうことがあったかもしれない
何か産業というものがなくなっていたからである
それで多額の補償金をもらったとき他に家を建てて移りすんだ
そしてまた前らか住んでいた所に別荘として家を残したとなる
それだけの金の余裕があってそうしたともなる
だからこれはなになのだろうとなる、奇妙な感じになったのである
ただ人が住まなければ何か社でも古いもの、昔から伝えられたものでも途絶えて死んでゆく感じがした、村を守るものとして社があったりするからである
その是非はともかく人が住まないとしたら神様も捨てられたとなるのだ
現実に石段を上って猿がお参りしているのかとも見たからである
廃村には廃墟の村ではないにしろ何か奇妙な感覚になる
前も家はあるから人が住んでいると見ていた、その時も人は住んでいなかったのである
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