春の夜に死んだ人を思ふ短歌十首
(忘れられるのは人の世の常)
隣なる女(ひと)の思ほえず死ににけり忘れ難くもただずみてあり
死ぬ人の心に残るそは何やなお見つめあれ我が庭の花
隣なる人も老いにき病なり妻も死にしを誰かいたわる
ただしばし逢いにし女のあわれかな嵐に花の散らさる夜かな
亡き人の面影浮かびあわれかな嵐に打たれ花は散らさる
年老いて死ぬ人多しかの人のなお生きにしや春の夜思ふ
友見えぬ何かと思ふ春の夜近くにありて心にかかる
人死してなほ残りしは家なりき思いの深く我は継ぎ住む
この家の五〇年はすぐ春の夜や嵐に打たれ痛み建ちにき
この土地に乳と姉住み母の住み我は受け継ぎ春の夜ふけぬ
去る人の日々に疎しと新たにそ来る人ここになじみけるかな
亡き人の遠くなりゆく十年は一昔かなたちまち過ぎぬ
それぞれの家にそ深き思いあれ人住まずして荒るるは悲し
人はみな忘れられしも悲しかも常なき世かな人は変わりぬ
昨日は嵐であり今日は風が強い、桜も散り始める、何か近くの死んだ老人が言っていたことを思い出す、次々に死んだ人が夢に現れて消えたという
これは何を語っているのか?
おそらくそれだけ近しい人が親しい人が死んだからそうなる、最近経験した一番不思議なことは隣の女性が突然死んでいなくなったことである
その女性とは別に親しくもない、ただ庭に来て花を見て話したことがあったというだけである、ただそれも何回かであり何の親しいということもなかった
でもなぜその女性が死んでしまったことで感じるものが生まれる
それは親しいとかではなく隣に住んでいて隣だから否応なく接することがあってそうなった、ただ隣に住んでいたというだけで死んだ時その人がやはり隣に立っている感じになった、そして自分を見つめている感じにもなったのである
人間はやはり今住んでいて人間的感情をもつのは近しい人である
遠くなったらだんだん去る人は日々に疎しとなる、これはさけられない
ただ隣にいるというだけでそれが最後に身近な人として死んでも思うようになる
遠い人はもう思い浮かべることもできないからだ
だから別に親しくなくても近くに住んで日々顔合わせていればその人の方が大事にもなる
特に晩年はそうなってゆく、なぜならそこが死ぬ場所になってしまうからである
最後に逢っているのは近しい人ともなるからだ
ただ本当にこの年になると死ぬ人が増えて来る、家族もみんな死んだ
それも姉の場合でも10年とかすぎてしまっている、これも早いなとつくづく思う
すると何かその記憶もあいまいなものになってゆく
去る者は日々に疎しとなるのが人間である
いくら親しくしてもそうなる、今現実にここにいる人間が親しいものとなる
そして死んだ人は忘れられてゆくのが人間である
死んだ人は忘れられるが家は残っている、家というのは何かその人の思いの残ったものしてかえって存在感があることになる
人間は死んだら骨となり灰となり塵となり消えるからだ
でも何か残した物は何千年も残ったりする
それでその物を通じて昔を偲ぶとなるのである
とにかく家にはそうして何か故人の思いが残った場所なのである
その土地でもそうである、何か思いが残った場所だとなる
その家にはそれぞれの歴史が必ずあるからである
それで原発事故の避難区域は廃屋となり幽霊屋敷のようになった
それがなんとも淋しいのである、それは人が住んでいたから余計にそうなったのである
春の嵐の夜にこんなことを感じて短歌を作った
今日も風が荒れて桜に吹いているから何か今年はコロナウィルスもあり荒れ模様である
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