2020年04月26日

なぜ新潟県が江戸時代から明治へと人口が多かったのか? (コレラでも北前船とかの交流があり会津の方に広がったー) コロナウィルスと人口問題)

なぜ新潟県が江戸時代から明治へと人口が多かったのか?

(コレラでも北前船とかの交流があり会津の方に広がったー)
コロナウィルスと人口問題)



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福島県が宮城県より多く島根県でも上位になっている、秋田県でもそうである

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新潟県がこれほど人口が常に多かった
江戸時代の継続としてあれば日本全体では人口は均等に分散されていたとなる
今はかたよりすぎているのだ
戦後で東京が400万になり一千万都市と成長した
東京も400万くらいだったら住みやすい場所だったのである

昭和30年県内総生産 単位:百万円
東京都 1,529,161(125,800円)
神奈川 *,319,290(*88,100円)
新潟県 *,203,771(*77,800円)
埼玉県 *,155,338(*75,500円)
福島県 *,152,646(*62,200円)
千葉県 *,152,093(*71,200円)
茨城県 *,148,911(*63,500円)
長野県 *,139,021(*73,900円)
栃木県 *,138,685(*69,000円)
宮城県 *,134,946(*67,100円)
群馬県 *,118,779(*66,800円)
秋田県 *,109,016(*70,300円)
富山県 *,*98,789(*80,800円)
岩手県 *,*94,061(*54,500円)
山形県 *,*92,047(*63,300円)
青森県 *,*91,267(*59,600円)
石川県 *,*88,360(*77,000円)
福井県 *,*69,410(*73,600円)
山梨県 *,*52,542(*56,900円)

()内はひとりあたり

新潟県と福島県が上位にある、農業中心だとこうなっていた
東北の生産量は高かった

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会津で感染者が出ていない

南相馬市は多いのはなぜなのか?


江戸期から家康の力で繁栄した、愛知県が日本一(1873年)

なぜ愛知が栄えたか。それは江戸・大阪につぐ城下町として地元出身の徳川家康が「6万人の街を丸ごと移転させる」など、過剰ともいえるほどの情熱を持って城下町づくりを行い、木曽の山林(御用林)も特別に与えたから。これにより財政が安定し、現在まで続く繁栄の基盤になりました。

19世紀までは経済の中心は第一次産業であったため、作物の王様である「米」を育てるのに適した環境であった日本海側が賑わいました。

 加えて、明治の途中で陸路が発達するまで、運送の主役は長らく「海運」でした。その中でも代表的な「北前船」という運送手段が活躍したのも日本海側です。

 1880年を例に取ると、今の鳥取県を含めた島根県が103.7万人(全国12位)、対して東京府が95.9万人(同17位)と、東京を凌駕していたのです。

 
 なぜ新潟県が人口が多かったのか?明治でも東京より新潟県が多い
それが今理解できないのは交通と関係していた
つまり江戸時代から北前船がありそれで日本海側は栄えていた
新潟県でた神社の数が日本で一番多いという時、様々な神様が新潟県に人ともに移動したとなる

そして福島県は宮城県より人口が多かった、東北では一番人口が多かった
つまり今の時点で見る風景と明治に見る風景は違っていた
明治は江戸時代の連続としてあり依然として日本は農業国家でありすると米の生産に向いた新潟県に人口が集中したとなる
その新潟県から阿賀野川を通じて会津までの交通がありコレラが江戸時代に流行した時の感染経路が新潟県から会津若松市へまた陸路では白河街道を通じて会津若松市へ人の流れがあり感染したとなく
でも田島の方は逆に会津若松市から感染が広がったのである 

このウィルスは港から侵入してきていた、港で水際作戦する必要があるのはそのためである、日本だったら特にそうである、回りが海でも港から外国人でも物でも入ってくるからコレラも入ってきた、passportというととまさにport(港)を通過するためのものだった今は飛行機で入るから違っている
日本海の港からコレラも伝染して会津若松市まで伝染したのである

歴史でも地理でも人口から見るとわかりやすくなる
人口が多ければそれだけ経済的に繁栄していたとみるしそれだけの人口を養う基盤があったとパるからである
東京が100万にもなっていなかった、ということは江戸が百万都市とはならない、明治に百万になっていないことはもっと江戸時代だったら少ないとなるからだ
何か歴史が変わるとイメージが変わる、日本海側は裏日本とか言われるようになり日本海に夕日が沈むようにその風景の感覚からなにかもの淋しい土地にみる
越後獅子とかありそれも新潟県が貧乏国だからそんな物語が生まれたのかとなる
でも実際は新潟県はもともと栄えた県だった
地理的には裏日本でも実際は表日本になっていた
それでコレラが流行したとき会津若松市に新潟県から感染したということでもわかる
ウィルスは交通と密接に関係しているからだ
交通の盛んな所から拡散してゆくのである

今回のコロナウィルスは東京から拡散してゆく、一千万の都市から拡散してゆく
そして今回不思議なのは福島県だと東北本線が新幹線が走る中通りと浜通りに感染者がでている
昨日は南相馬市でクラスターが生まれたから注意とかアナウンスがあった
でも会津で感染したとニュースでは報告されていない
東京と通じている会津鉄道もある、ただ東京から不便な地域にはなっている
でも会津とか岩手県に感染者が出ないのは不思議である
岩手県には出ているとみている、ただ検査数が少ないので出ないのである
福島県でも南相馬市の人が東京のライブハウスに行って感染した
だから仙台から一関とか盛岡は50分圏内だから感染者が出ないことはありえないのである

江戸時代でも明治維新でも会津があれだけ活躍したというとき大藩だったからである
すると経済力もあった、30万石というと伊達藩に次ぐ大きさである
だから京都守護職にもなりそれで長州や薩摩に恨まれたとかある
それだけ大きな藩であり江戸幕府を支える藩だったからそうなった
福島県は歴史的に会津県のようになっていた、なぜなら万葉集時代に国(くに)として認識されていたのは会津だけだからである

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳(東歌) 『万葉集』 巻14-3426 相聞歌

この歌で国として意識されたのが会津だったかでらある

コロナウィルスは東京とかから止めようがなく拡散する
異常に人口密集地帯になった日本の風土を歪めたからこそコロナウィルスには弱かった
そこがウィルスに脆弱であり拡散させたのである
名古屋市からとか大阪市でも福岡市でもそうである、大都市から拡散する
それが現代では交通が発達して止めようがないのである
北海道は中国人観光客がおしかけて感染した、これもまた中国の観光客を呼び込んだの裏目となった
飯館村では1980で8000人いて6000人に減った、その変化も大きい、戦後は戦争の引揚者などが開墾に入った人たちが人口を増やした
戦後は地方に人が多かった、それが都会に集中するようになった
東北では震災以後、原発事故でも仙台市に移り住む人が多くなった
だから逆にコロナウィルスではそうして人口密集してくる都会が感染する度合いが高くなる
仙台市から東北に拡散されてゆくのである 
    

ただ福島県と新潟県を行き来しないように警告を出した、ただ江戸時代は交流が活発でも今は福島市でも郡山市でも東京からでも感染者が移動して感染する
仙台市でもそうである、でも今のところ会津には感染者が出ていないのである
岩手県にも出ていない、それはなぞなのだが会津は浜通りとか中通りからすると交通が不便だからともなる
つまりコロナウィルスは交通と密接に関係している、また人口密集地帯から都会から伝染しやすいのである
だから東京を封鎖しなければ拡散が止められないというのはそのためなのである

錆びついた中央集権社会から、生き生きとした地方分権社会へと移行することができれば、大きな起爆剤となるだろう。中央集権を目指した明治維新とは逆方向であるが、「一新」することにより、同じような強い力を発揮できるのではないか。

 「中央集権型の工業社会」から「地方分権型の生命社会」へのパラダイムシフト。かすかにではあるが、そんな気運が見えてきたような気がする。

コロナ禍はパラダイムシフトの契機か 「中央集権型の工業社会」から「地方分権型の生命社会」へ

4/25(土) 9:00配信

これには共感する、なぜなら私のプログを読めば(相馬郷土史研究)とか(相馬学)とかは地域に根ざした有機的ミクロコスモスのアイディンティティを追求してきたからである「地方分権型の生命社会」というのはそれは東京のような自然と乖離した世界ではない
自然に根ざしたアイディンティティをベースにした世界である
このコロナウィルスの不思議はそうした今までの世界の社会の在り方を変える
過度なグロ−バル社会も批判して来た、これもやはり地域から分離して世界へ結びつくということでいいようでも地域の地元の力を活かさないものとして地域を衰退させたのである

これからは東京とか大都市圏中心の社会から人口が流動化して地方にその生活の根拠を移すことになる変化が起きるかもしれない
それが大規模になれば社会自体が変わり地方が再び活性化する
とにかく土地とか家でも安価に手に入る、足りないのがそこに住む人なのである
原発事故で避難区域になった所は人が住んでいない、ただ膨大な土地が使用されないままに残されている、だから移住するにはいいとなる
放射線が問題にしてもそれよりそれだけの土地をどう活かすのかを考えるべきだとなる

そもそも東京のエネルギーをまかなうために東京電力が福島に原発を作った
ここからして方向が間違っていた、東京のエネルギーは東京でまかなうべきだったとなるし労働力でも地方から中央に集めて来て東京が異常に巨大化したのも国土のバランスからして不自然だったのである
ただそういうことはいくら言われても首都移転もできずに終わった
でもコロナウィルスとかで東京は危険であるとなれば本当に住民の移動が起きるかもしれない、それは国策として国土の利用をどうするか真剣に考えるようになる
だからコロナウィルスがすべてマイナスのものとして働くとは限らないのである

posted by 天華 at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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