2020年04月29日

東京との関係は戦前から深かった (福島原発もその延長上に作られた―地理が歴史を作る)


東京との関係は戦前から深かった

(福島原発もその延長上に作られた―地理が歴史を作る) 

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浪江葛尾村森林鉄道

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歴史をみるときいろいろな視点がある、人間の活動は多様だからである
グローバルな視点でみれば世界史を見なければわからない、これも容易ではない
でも現代をみるとき欠かせない、自分の国を見るには他国と比較しないとわからないからだ
では世界史をどう理解するかとなると難題になる
ただ項目的に一つの視点から見ることがわかりやすい

●交通の発達、移動の視点

交通の発達という時、常にそれが世界を変えたということである
それは交通するのが徒歩から牛から馬から馬車から鉄道から車から飛行機へと変わったことでわかりやすい、つまり徒歩社会から馬社会から鉄道社会から車社会へと変化したということになる、つまり交通の手段が発達が社会を変えたということである

江戸時代は確かに馬が利用されていても実質は徒歩社会である
歩いて異動しているのが主だった、だから今でも理解できないのはどうして歩いて荷物を運んでいたのかとなる、天秤棒で担いで歩いていたとなるが長距離でそんなことができるのか?
何か近くの人が川俣まで鰻売りに天秤棒担いで行ったという
川俣は絹織物で有名で金持ちがいたとなる
でも今でも八木沢峠をみればわかる、あの峠を天秤棒担いで越えられるのかとなる
そこからして移動すること自体がいかに難儀なものか知る
だから今になるとイメージするのがむずかしくなっているのだ

ただ近くの人が鹿島の横手辺りから相馬市まで梨売りにリヤカーで行ったというのを聞いた、それだって15キロくらいあるとして大変な労働となっていた
馬車があったからそれも利用していたことは確かである
それにしても馬車だって相当に時間を労力がかかるのである
つまり明治時代でも移動して運ぶことはいかに容易なことではなかったかを示している

移動できないことから何か起きていたか?飯館村とか何か不便な地域だとどうなったのか医者に行くにも距離があり行けない、そこで何か危急の病気にかかれば救急車も呼べないだから死ぬほかなかったということである
何か北海道の雄冬という地域で赤ん坊が病気になり医者に行こうとしておんぶして運んでいる途中に死んだとかあった
それはその時用意に移動できないからである

移動するということから社会をみれば社会が歴史が見える
福島県でも意外と東京との関係が深いのである、それは戦前からそうである
それは鉄道が深く関係していたのである
常磐炭田の石炭は最初船で東京に運ばれていた、その港が小名浜だった
次に鉄道ができて平駅が機関区となり石炭が東京に運ばれた
それから木材とか石材も運ばれた、鉄道は人間を客を運ぶために使われたのではない
最初は物資を運ぶためである、それで森林鉄道が日本に隈なく発達した

驚くのは浪江の高瀬川とかの岩盤を掘って線路が作られていた、葛尾村まで森林鉄道ができていた、森林鉄道は日本を毛細血管のように網の目のように作られてたいのであるそれは木材を運ぶためだったのである
だから山村というとき今は活気がないが昔はあった
昔は山持ちが金持ちになっていた、木材資源をもつことは金持ちになることだった
それで大倉のばあさんが私は相馬の女学校に行っていた、それは鹿島の親戚の家から鉄道で相馬市へ前の中村市へ通っていた
相馬女学校というという本当に極わずかの金持ちの家しか入れなかったのである
それで私の姉は頭が良かったので女学校に入れないことを悔しがっていたのである
つまり相馬女学校に入れたというだけで女性では別格になっていたのである

ただ不思議なのは戦前でも東京との行き来が結構あった、私の姉は看護婦の免許をとるために新宿辺りに一時行っていた、つまり東京まで行かないと免許がとれないとなっていた看護婦になるにもその当時は近くでなれないともなっていた
それから私の母の実家の姉は家が破産して東京に横浜に出て行った
それから私の母も東京に出て女中になり東京の人と結婚したのである
それから近くの人に聞いた話では私は東条英機を見たことがある、車に乗ったのを見たという人がいた、その人も東京の工場で働いていた
つまり戦前というと東京まででも蒸気機関車であり東京まで8時間とかかかった時代がある、そうなると東京に行くということは一大事になる
遠い世界に行くことになっていた、でも東京とのかかわりその当時でも深かったのである家族でも明治生まれの父だけが葛尾村から双葉町の新山で酒屋の丁稚になり東京とは関係していないだけである

その後も戦後も東京との関係が深い、なぜなら全国的にも出稼ぎ時代があり東京に出稼ぎに出る人が多かったからだ、また中卒の集団就職時代であり東京に労働力が吸収されたのである
だから私の家族では父親しか東京と関係していないだけだった
私自身も東京の大学に行ったのだから東京と関係していた、兄は集団就職で東京ではないが静岡の方に行ったからだ
出稼ぎというとき双葉とか大熊は原町市とか相馬市から離れている
そこで働く場所がなく出稼ぎ地帯だった、それで地元で働きたいとして東電の原発を積極的に誘致したのである、それか事故で裏目になった
原町機関区はそもそも東京に物資を運ぶためのものであった、木材とか石材を運ぶものとして作られた、平駅は石炭であるが全国的には木材を運ぶものだった
北海道の鉄道は小樽があるとしてそれも石炭を運ぶものでありほとんど石炭を運ぶものとして北海道の鉄道が作られたのである
日本の燃料はその時石炭が主だったからである、第一鉄道自体が蒸気機関車だからその燃料は石炭だったからである

要するになぜこの歴史をふりかえるかというと原発がどうして双葉とか大熊地域に作れたのか?
それは東京と福島県が特に浜通りでもその関係が実は戦前からも鉄道で物資を運ぶことで関係が深かったのである
またいろいろな面で東京がやはり中心で福島県はそれほど遠いともならないから意外と密接な関係があった                              

だから歴史をふりかえるとなぜ原発ができたのか?

それが東京都と遠からず近からずという地理にあったのである
人間はいかに地理に左右されるかである,地の利に左右されるのである
それは宿命までになる、だから歴史は地歴になる、地理と歴史になるのである
身近な所から歴史を見てもそうなるのである
だから家族の歴史は一番身近でありそれが歴史のベースになる
何か家族が死んでからいろいろかえってふりかえる、その残した物を深く考えるようになった
だから今の時代をなかなか家族でも生きているときは家族のことでも理解しにくい
死んでからいろいろふりかえりその残した物の意味を深く理解するのである

コロナウィルスにしても東京のライブハウスに行った人が感染したのである
それもすぐ近くの人だった、その人はただ遊びに行ったのだから昔とは違う
昔は切実な生活に強いられて行ったのであり遊びで行くなどないからである
第一鉄道で観光できた人はわずかである、家族から聞いた話で鉄道を利用したとしても
運賃が高いから意外と利用していない、それは贅沢だったのである
それで姉が親戚の葛尾村まで行ったことを何回もしたのである
何か途中に森林鉄道があったことを行っていたことでもわかる
いたるところに森林鉄道があったのである

いづれにしろ自分自身が人生を旅にを費やされたという時、交通に興味をもつ、地理に興味をもつ、その地理が実は学問の基礎になり地理がわからないとあらゆるものが理解できないのである
原発がなぜ誘致されたかとなるとやはり地理が関係していた
東京から遠からず近からずという距離にあったことなのである
それだけ東京の影響は関係ないようで戦前から関係が深かったのである
それは自分の家族からの歴史でもわかる、それは自分だけではない他の家族でも同じようなことがある


原発事故の原因も東京と地方の問題 (戦後の東京一極集中などの国土のアンバランスによる)


浜通りは東京の影響が大きかった (戦後の歴史をふりかえる原町-津島から葛尾村まで)
posted by 老鶯 at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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