2020年05月02日

多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


782校で私立大学は603校です

河合塾が出しているBF大学だけ見ても500校以上。日東駒専の偏差値以下と定義していますので520校ぐらいは行くのではないでしょうか?

私立大学には助成金が支払われます。平成30年では支払われたのでしょうか?

答えは平成30年度で約2727億円です*2。大学によって支払われるお金は違いますが平均して約45億円貰っています。有名大学のことを考慮しても1000億はFランク大学に支払われているのではないでしょうか?

1000億だとして、このお金でどれだけの本当に学びたい学生に投資できるのでしょうか?Fランク大学で遊び呆けている大学生より有意義に使うと思いますし、優秀になると思いますよ?

では、私立大学が何のために助成金を使っているか想像できますか?

学びたい学生や教授の研究設備の増強ですか?遊びたい学生用の設備の増強ですか?それとも、経営者の私腹の為ですか?

多分、Fランク大学になるほど後者だと思うんですけどね。実際、官僚等の役人の天下り先に私立大学がありますし

以上のことからFランク大学はこれからの日本にとっても邪魔でしかならないと考えています

大学というときどうしても理系と文系との差が大きすぎることである
理系のFランでも文系の上位の慶応とか早稲田とか国立でも何か優秀に思える
この差は数学ができるかできないかで最初に生まれている
要するに数学の能力というのが実は能力のバロメーターになっていると思う
だいたい学習能力は数学でつまづいている、数学嫌いか好きかで別れる
だからFランの理系だと最低の数学の素養がないとそもそも授業にもついていけないだろう
たから文系の自分は文系自体がみんな同じように見える
ただもしかしたら経済学があるとしてそこに統計分析がありそこで数学を使う、微分積分などを使うとするとそこに理系の知識が必要になりそれができるとなれば文系であっても理系の知識をこなせるとなれば違ったものとなる
つまり理系の知識があってこそ評価されるとなる

自衛隊とかでも理系が多い、有名な髭の隊長の国会議員は化学部隊だから理系だったのである、自衛隊は様々な機械を使うし技術系だから理系なのである
だからコロナウィルスでも専門家として発言している
社会に出たとき社会を構成しているのは理系と文系がある
原発事故でわかったことは東電の専門家集団は理系である、放射線とか原子力のこと核を知っているのは理系である
だから事故が起きたとき理系の専門家がまず発言する
ただ御用学者は低放射線は体にいいも発言して顰蹙をかった

そして文系となると政治家であり官僚でありマスコミとかなる
こういう人たちは文系であり科学的知識に欠けている、それはコロナウィルスでも同じだったのである
まずコロナウィルスでも感染学の専門家が意見を言う、それに政治家が従うという構図は原発事故とにていたのである
専門家会議が開かれてその意見を聞く、ただ判断して決めるのは政治家なのである
だから専門知識がない文系の人が判断するということで疑問になる

でも専門家が科学技術者がすべてを判断できるのか?

それができない、科学が技術がすべてを決することはできない、そこに社会があり生身の人間が生きているからだ
経済でもそこに生身の人間が生きている、物として経済的単位として数字としてすべて扱うわけにはいない

だから30キロ内で区切りゴーストタウンにしたのか?

そのことが疑問になる、そこに何か科学的根拠があったのかとなると定かではない
ただ便宜的に30キロ内は補償する、後は政府ではしないとして決めた
それで30キロ内は10年過ぎても医療費が無料なのである
でも30キロをはずれたら鹿島区は同じ南相馬市でも

半年で医療費無料は打ち切られた!

これは別に放射線量とかで科学的判断したのではない、政府では便宜的に30キロで線引きして後は補償しないためにそうしただけなのである
これは理不尽なのだけど南相馬市の市政では何の対策もしていなかった
なぜなら原町区と小高区で30キロ内で補償金をもらえばいいとなったからである
ただまた20キロでも区切られていたし伊達市とか他でも放射線量で補償金の差がありもめたのである

それは科学的根拠とは関係なかった、政治的判断だった!

このようにすべてが科学で判断されないのである、それでも地球は回っているという
ガリレオの言はカトリックの司祭が権力をもっていた、宗教と政治が一体化して権力をもっていたから科学的真理であっても否定されたのである

つまりこうして宗教的でも政治でもその判断は文系がしているとなる
第一大学というときそれは仏教なら僧侶集団から生まれたしキリスト教団からイスラムでも神学が基本として生まれた、だからもともと文系から始まったのが大学なのである
そこに医学が組み入れられた、医学というのは仏教でも最初は医学がその中にあった
なぜならそもそも人間は感染病でも病気に悩まされてきたからである
それが深刻だから当然宗教でも医学が起きる、ただ祈るだけではだめだと薬草とかを飲ませるようになるからである
会津でなぜあれだけ古代から仏教が盛んになったかというと病気を治すために寺が建立されたのである、つまりもともと様々な病気と宗教は結びついていた
病気になったら祈るほかないとになっていたからだ
それで腰が痛いとか耳が悪いとか目が悪いとか何か体が悪くなるとその悪い病気に効く地蔵に祈っていたのである

ともかく大学というとき文系大学がいらないというとき科学社会になったからである
科学技術の効用があうまりにも大きくなったためである
すべてが科学技術で計られるから科学者が技術者が神官となりかつての宗教者の威光は仏教でもキリスト教でも失ったのである
第一イタリアでは牧師でもコロナウィルスに感染して死んでいるからだ
神に祈っていたらそんなことにならないともなるからだ
するともしコロナウィルスのワクチンを作り直すとなるとその人がそんな牧師とか僧侶より神の如く崇められるのである、現実になぜ医者がこれほど尊敬されているのかをみればわかる、病気を治してくれるからそれだけ尊敬されるのである
何か牧師とか僧侶は役立たずの無駄飯喰らいのようにしか今は見られないのである
ただ何か訳の分からないお経を唱えているだけだとなる
でももしそのお経を唱えて病気を直せば今の医者のように崇められるのである

いづれにしろ理系と文系の問題はコロナウィルスでも起きている
専門家からすればもっと警戒して自粛する、経済活動を止めているべきだとなる
ただ一方でこのままではもたない、倒産する会社も増えて失業してそのために自殺する人が増える、そうなるとコロナウィルスで死ぬ人と自殺とか経済的活動をきめたために苦しむ人を計りにかけたら経済活動を再開すべきだとなる
それは外国ですでに起きている、つまり専門家の意見があっても政治家が経済活動を再開するように踏み切るべきだとなる
それは政治家の判断であり専門家の判断ではないのである
だから何でも科学技術社会でも理系の論理がすべて決めることではない

最終的判断をするのは誰なのか?

専門家なのか、政治家なのか?

結局政治家だとなる、その政治家は文系なのである、阿部首相は成蹊大学だからである
そして民主党の時、菅首相は東工大であり理系であり原発事故の時陣頭指揮をとったが
それが成功したとはならなかった、現場を混乱させたとかとも言われる
まだ鳩山由紀夫は東大の理系であり宇宙人として揶揄されて何か政治家として評価されなかった、でも民主党のときトップが理系だったのである
だから必ずしもトップが指導者にふさわしいともならない
経営者でも理系でも必ずしも指導力が発揮できていないのである

結局理系でも原子核とか細胞の一つを仔細に探求するのと社会そのものを見るのとは相当に違っている、だから必ずしも原子核がわかっていてもコロナウィルスがわかるとしても社会の問題として解決することはまた違っていてそれは文系の分野だともなる
ただこれは理系文系に別れる問題ではなく総合的な問題としてある
でもどう判断するかはむずかしい

人命を優先すべきだ⇒コロナウィルスに感染しないことを第一とする

         ⇒経済活動を再開して自殺者を出さない
         
どっちも人命を優先することに変わりないのである、コロナウィルス対策で自粛をつづける、
経済活動を停止させているとそのために死ぬ人もでてくるからだ
その判断をどうするのか?それは理系だけではなできない、それは原発事故でも起きた
放射線の被害をあまりにも恐れるためにゴーストタウンにしてもう回復しないようしたからである、それは科学者が専門家がそうさせたのである
ただそこには根拠があるから従わざる得なかった
しかし自治体の村の歴史とかアイディンティティの場を失った被害も余りにも大きかったのであるそれはコロナウィルスでもその判断が迫られている

どっちを優先するのか?

ゴーストタウンにするよりは経済活動を止めて大量の失業者を出して社会が混乱して
治安も悪くなりその被害の方が大きくなることの方が問題ともなる
だからもう一か月が限度でありそれ以上をつづけたら経済でも死んで社会自体が維持できなくなりコロナウィルスで死ぬより経済の死で死ぬ人でも社会自体がゴーストタウンになる恐怖の方が怖いのである

第一原発事故のように手厚い補償はできないから路頭に迷う人も出てくるからだ
原発事故では本当に手厚い補償金が出たから何とか収めることができたからだ
今回はそうはいかない、国全体が混乱して犠牲者が出て外国のように暴動でも起きる
失業者が行き場をなくして犯罪者になってアナキーのような状態になる
戦争状態のようになるかもしれない、その時安定している上級国民にも及んでくる
米騒動のように襲われるようにもなるから怖いのである
ただこういうふうに社会が混乱する時、下剋上のようになり下のものが這い上がり上の者の富を奪って成り上がったりする

ペストではかえって下級階層が上流階級が死んだのでその富を労せずして得たのである
それて豪華な貴族の衣服を着たりしていたという、土地だって無料で手に入ったということである何かそういう逆転が起きてくるかもしれない
時代が大きく変化するとき上下が逆転したりするからである
不要不急というけどコロナウィルスで力をもつようになるのは戦後の焼野原と同じように農家だいうのもそうである、食料が一番大事になるからである
そういう逆転が大きな変化がコロナウィルスで起きるのか、それで新しい社会がまた生まれるのか、それだけの影響がコロナウィルスにあったとしたら驚きだったとなる

何かいろいろな問題が噴出している、大学をアルバイトの収入がなくなりつづけられずやめるとか言う学生もででいる、2割くらいでている、それだけ大学でも数が多いからである、そもそもFラン級の大学に奨学金で借金して入ること自体おかしなことである
国立の理系ならわかるがそんな価値がFラン級大学にあるのかとなるからだ
コロナウィルスの不思議は何か無駄なものが淘汰してゆく、飲食点とか風俗とか歓楽街とかは密になる場だから避けられるしつぶれた方がいいというのもそうである
そんなものなくてなっても社会は維持できるとかなる
社会にとって不可欠なものは何かをコロナウィルスによって決められる、無駄なものはこの際、淘汰すべきだとなる、それがFランとかあまりに増えた文系の私立大学なのである
自分もそうだったからあまり言いたくないがそういう者でも社会に効用があるとは思うがやはり余りにも増えすぎたということである

自分の時はFラン大学はなかった、日東駒専が最低クラスだったろう
それに自分も入っていたのである、でも自分の時代は第一大学に入る人が中学だとクラスだと50人いて5名くらだから少なかった、後は中卒で集団就職の時代だったのである
その後大学が300くらいから800までに増えて半分が大学に入る時代になったのである
その差も大きいのである、だから小学校の学力もない学生もいるとかなる
ただ自分も高校でも卒業できないような学力だったからきついことは言えないのである
自分の場合は大学を出てから相当に勉強した、もともと自分は自ら考える傾向があった
それで暗記だけの教育にはなじめなかった

学ぶとは何なのか?

考える力を身につけることである

これは思考脳とかyoutubeで言う人がいたがまさにそれである
自ら考えることのために学問がある、自ら考えない人間は理系でも文系でもその人は誰かの支配者でも奴隷になるのである
宗教でもカルト団体でも奴隷にされるのである、オウムでは理系の優秀な人が道を誤ったのはなぜなのか?

自ら考える力がなかったからである

そのことが人生を無駄にして死刑になりあえなくその才能も活かされず死んだのである
そのことは肝に銘ずべきだとなる

posted by 老鶯 at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187441261
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック