補償金で資本家となった原発避難者
(故郷の復興はない、取り残された老人)
近くの復興住宅には主に浪江の人が住んでいる、他に大熊とか双葉の人も住んでいるという、昼曽根とかの人が一人で住んでいるけど夜は電気をつけず水で節約しているという
でもそこでいつも会う人は5000万近く補償金をもらっている
その相違は何なのか?それは良くわからない
土地をもったり補償する財産があると高くなる、それはまた個々に違ってくるから外からわかりにくい
わかっていることは
こうなっている、とにかく30キロ以内の補償は手厚かったのである
でも別に30キロが特別放射線が高いわけではない、便宜上補償のために国で区切った
そこに不公平が生まれた、特に30キロ内と外でその補償金の差が大きくなり泣いて訴えていた女性がいた、隣とも仲が悪くなったとも言っていた
南相馬市というと小高町と原町市と鹿島町が合併してできた
小高町と原町市は30キロ内で本当に補償が手厚かったのである
それは金だけではない、医療費は10年間無料
高速も無料だったのである
同じ南相馬市でも30キロはずれた鹿島区
半年で医療費は打ち切り、高速も有料
この差も同じ市なのに大きかった、せめて医療費とか高速は同じ市なのだから同じように補償するのが筋だった、市長が変わって高速は無料化した
でも補償は10年で打ち切りであり財政援助も打ち切られるとなると苦しくなる
南相馬市は政府の言うままになんら対策をしていない
それは結局民主主義は数だからである、原町と小高の人口で8割くらいになると多数決なり少数派は無視されるとなる
でもこの補償金で南相馬市の一体感は喪失した
でもこの補償金は飯館村でも浪江町でも小高でも復興には使われなかった
個々人に家族に補償されたのでありそれは自由に使っていい金だったからである
福島県最大手の東邦銀行の個人預金残高は震災前の2010年度時点で2兆2698億円
2011年度末で3兆748億円、2012年は預金残高は4兆335億円となり前年度比でおよそ9587億円の増加
一兆円の預金が増えたことに驚く、それたけの補償金で銀行に金が増えた
それで仙台市に行ってアパート経営で成功した人がいるという、まさか知っている人ではないと思うが不動産関係の仕事をして息子夫婦は仙台市に行ってしまいおばあちゃんも仙台市に行ってしまい夫の老人が一人残されている
何かそういう人が多いのである
小高の人が津波の被害にあった山元町の土地を買って農業をはじめたという
山元町の土地が津波の被害で安くなったから買いたたくということもあったのかもしれない、山元町の津波の被害が大きいものだったからだ
それもなにかあこぎだともなる、なぜなら小高でも津波の被害があるしその被害を知っているからである、原発避難者は特別待遇だったのである
復興住宅の浪江町の灯とも5000万近くもらったと言っていた、同じ浪江町の人が土地を買って家を建てたという、それは売るための貸すための家であるとかいっていた
すると自分の家は建ててその外に新しく家を建てたのかもしれない
とにかく原町と鹿島には新しい家が次々に建った、鹿島だと新しい街が二くらいできたくらい建った、そこはみんな外から来た人たちである
復興住宅には大熊と双葉町の人も入っているという,大東建託でも15棟くらい建ったのには驚いた、それだけ外からの流入者が多かった、それらは原発避難者なのである
つまりそれだけの金が人間はいるとどうなるのか?
資本家になる、銀行にもなる
仙台市でアパート経験できたのは資本家になったからである、資本家とは金をためているだけではない、その金を利用して何か新たに金を産みだす仕事をする人である
銀行は資金を調達するのはそういうふうに金をもうけてくれる人がいて利子を払うことができた、ところが銀行は今金を貸す会社がない、それで地銀で半分つぶれるとか言われるのである
江戸時代なら金貸しにもなる、銀行は金貸しでもあるから江戸時代の継続がある
ただ補償金を遊興費に使ってなくなる人もいる
どちらかというとそうした金が本当にバブルであり消失安いとなる
そして結局それも親のカルマであり因果応報となる
なぜなら80才くらいの人が親が農業していたが農業だけはするなと殴られたというからだその頃農業はそういう状態だった、そして双葉大熊地域は出稼ぎ地帯だったのである
その出稼ぎをしないで地元で暮らせるように原発を積極的に誘致したのである
それが裏目に出たのである
親が農業をするな⇒子供を殴る⇒その子供が原発で働く⇒原発事故⇒その子供が故郷から流出⇒子供は帰らず⇒老親が残される
これも因果でありカルマなのかもしれない
人間は親の影響が本当に大きいのである、何かその家が栄えるのは先祖とか親が関係している、とても一代では裕福になれない、二代三代とつづくことで富が貯えられて栄えてくる、でも親が悪いと栄えることはないのである
私は親が苦労したことを知っている、だから今の自分があることを常に自覚して親に感謝している
でもそういうことがないと親は捨てられたりその苦労も報われないとなる
親が苦しんで育ててくれたということを知れば子供もまたそれに報いようとする
子は親の背を見て育つというのはそのことである
それで意外と金持ちの親は必ずしも大事にされない、たいがい高価な老人ホームに入れられてめんどうみないのである
ともかくどうしてもこの補償金は震災バブルの金でありそれはたちまち消失してしまうのではないか?金の恐怖は紙切れになるということである
現実に戦後そうなったのである、母は前の夫が事故で死んだ、その時一生楽に暮らせる補償金をもらった、でも戦争が終わり預金封鎖になり本当に金は紙切れになった
残ったのはわずかの土地でも買った分だけだった
だから金に価値があるわけではないのだ
それでそうして補償金で一時的に金があってもそれは持続しない、あぶく銭となってた消える
いづれにしろ親に感謝しない、先祖に感謝しないとかなるとその家でも土地でも栄えるように思えないのである、果たして他の土地に行って一時的には栄えても継続して栄えるとも思えないのである
だから農業するにも三野混沌とか猪狩満直とか赤貧のなかで農業をして死んだ
でもその人たちは何か未来に残した、その苦闘自体が未来に残す遺産だったともなる
確かに富を残さないにしてもそういう心を残したともなる
ここではそうして補償金をもらっても心は荒廃している、故郷も荒廃してしまった
金だけですべてが活かせたり復興できたすりするわけでもない
人間は何か大事なのは心なのである
それで十津川部落では国らか金を援助されたがそれは部落の者全員でありがたくもらい無駄にしない、全員で心が一致して北海道に移住して新しい町を築いたのである
この辺では逆に補償金で争い分断してばらばらになり故郷に残されたのは老親だけだったのである、それもカルマだったのかとなる
「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した
津波原発避難民の復興とは何なのか? (十津川村の北海道移住と比べる(2)
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