2020年05月22日

コロナウィルスで変わる世界 (生態系を無視して人は生きていけない)


コロナウィルスで変わる世界

(生態系を無視して人は生きていけない)



風土病に対する一般的な認識と同様です

すなわち、感染症の発生地域の人間・動物・植物には、何らかの耐性があるのに対して、遠く離れた地域の生物には免疫がないとするものです。

かつてのペストのように、元々はアジアの病気であったものがヨーロッパやアメリカに広ると、被害がより大きくなる傾向があります。

グロ−バル科学技術文明の批判 (生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)


文明は滅び生態系は残る (原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


人間は生物の一種である、その制約を受ける、その地域に風土に適合して生きざるをえない、その土地に合った食料がありその地域にあった暮らしをする
それが文化なのである
コロナウィルスでもウィルスは風土病だというときその土地に発生した病気でありそれはその土地だけに広まり世界に広まることはなかった
コレラでも江戸時代なら長崎から広まったのはそこが外国の玄関口となっていたからである
港からウィルスが入り安いから水際作戦が大事になる

人間は大航海時代からヨ−ロッパ中心の世界になった、ヨ−ロッパの侵略を受けてきた
アメリカにヨ−ロッパから人が入ったときその原住民のインデアンとか南米のインカとかメキシコのアステカとか古代文明人にウィルスがもたらされて大量に原住民が死んだ
それが呆気なく征服された原因だと見直されている
それだけウィルスの影響が大きかったのである、それは今回のコロナウィルスで証明された、社会を自体を世界を変えるような働きを目の当たりにしたからだ

大航海時代からヨ−ロッパ人が世界を席巻して侵略して征服した
それはいい面と悪い面をもたらした、悪い面は世界が交わることはかえって対立を産み出して戦争になった、第一次第二次世界大戦となり大量の人が死んだ
日本でも3百万人が死んだ、世界が交わることがいいように見えてそれが戦争になったのである、その惨禍はあまりにも悲惨だった
その負の面の大きさは何だったのだろうと世界史をふりかえる

例えばなぜ江戸時代三百年は日本が鎖国していても中国とも朝鮮とも平和な関係を結んでいた、それが欧米の侵略で対立関係になり戦争にもなった
それはヨ−ロッパの侵略が原因していたのである
ヨ−ロッパの侵略に対抗するためにアジアを守るための戦争ともなったのである

国と国が交わる時、その土地土地の生態系から国は長い年月をかけて作られている
だからヨ−ロッパ人だと肉食するために特別の酵素がでる、日本人は穀物を主に食べるから腸が長くなるとか体質的にも違ったものとして作られてきた
おそらく風土病というときまさにその風土から生まれた病気だとなる
だから世界が交わらなければその一地域の風土病として終わっていた
つまり世界に広まることはなかったのである

現代のようにグロ−バル化したとき世界中に瞬間的にも同時にウィルスも広まった
つまり悪いものも同時間で広まる、それを避けることができない
そして多国籍企業とかが世界を席巻する、それは国よりも大きな力をもち世界まで支配するようになる
そこでオラウータンの住んでいた広い森が破壊されてオランウータンが住めなくなったりする、そのことはそこに住んでいる人に影響する、森を破壊することはその土地の生態系を破壊することだからである
一地域は生態系に依存して住んできたからである

生態系とは空気とか水とか土と森林とか生物の基本的ベースとなる環境である
その環境が破壊されたら人は住めなくなる
それで原発事故が起きた周辺では空気も水も土も森林も海も放射性物質で汚染されて住めなくなったのである
東電とか原発はそうした一地域の生態系を根こそぎ破壊したのである
それだけ技術力が巨大化して簡単に一地域の生態系を破壊できる力を企業とか多国籍企業とかがもつようになったのである
東電は一地域の生態系を破壊した、それは世界でもそういうことが起きている、大企業がアフリカであれどこであれ未開の地に富を求めて進出する、するとそこに住んでいた原住民の生活が破壊されるのである、生態系を破壊するから住めなくもなる

江戸時代は生態系に依存して国内でも村ごとに自給自足の生活であり貿易があったとしても小規模であり基本的に村ごとの自給自足だったのである
隣の村人とすら交わらない、隣村すら異国でありそこの人は異人になっていたのである
確かに世界的交わることのいい面はある、でもそれが極限に達して限界になっていた
中国人が大量にインパウンドで日本に来る、それはまるで侵略だったのである
現実に北海道は中国領になるのかとまで見えたり京都は京都でもなくなる
外国人が押し寄せて悲鳴をあげていたのである

もちろん外国の文化とかにふれることは悪いことではない、そこで異文化と他国との理解が深まる、ただそれも限度だったのである、なぜならそのために自国の文化すら生態系でも環境も破壊されることになる、中国人があれだけの数がいると日本近海の魚でもとりにくる、魚がとりつくされるという恐怖にもなる
いなごの大群がおしよせて食い荒らすような恐怖になる
でも江戸時代三百年はそういう恐怖はなかったのである
中国側にすれば日本が戦争しかけてきたとか殺戮されたとか責める
それはもともとヨ−ロッパの侵略に対抗するためにそうなった一面があった
その元凶ヨ−ロッパのアジア侵略にあった、それに唯一対抗したのが日本だったのであるだから中国と日本の対立というより世界史的視野で見なければならない
現実に今度は米中対立となり戦争にもなるとなっているからである

だから何かこのコロナウィルスの不思議はそうした大航海時代からのヨ−ロッパの侵略やアメリカの世界支配を見直すものとなった
つまり世界が交わるグロ−バル経済とかの負の面が増大していたのである
もう限界に達していたのである、それはそれぞれの土地で長い時間でその風土に生態系に育んだ生活文化でも破壊するからである
その技術とかの巨大さが簡単に一地域の生態系でも破壊する
すると技術をなんでもいいものとして受け入れることも危険になる
何らか技術の制約とかまた巨大化する多国籍企業とか大企業とかを制約することが必要になる

つまりこれからは制約の時代になる

地理的に風土的に制約されない世界がグロ−バル社会だった、でもコロナウィルスであらゆる面で制約される社会になる、それがすべて悪い方に向くとはならない
人間とは何か制約されて生きる、その制約された中で文化を育む、アイディンティティを作ってゆく、それが人間本来の姿だとなる、なにか現代文明の制約なき社会はかえってアブノーマルであり異常だったのである
だからニューノーマルな新しい生活様式というときやはり基本は生態系を基本にしたものに帰らねばならない、復帰する復古するという傾向になる
国風文化の時代になる、日本の歴史は奈良時代は中国の文化をとりいれた、その時漢字を取り入れた、唐風文化の時代でありその後に平安時代になり宮廷の女御がかなを発明して国風文化になった、次に鎌倉時代になり武士の時代になった        

その時貴族の仏教から武士の仏教となり庶民の仏教となった、その後信長がでて安土桃山時代となりキリスト教も一時的に入り外来文化と日本文化の融合が起きた
戦国時代が終わると鎖国の江戸時代となりまた国風文化の時代になった
そして明治維新になり西欧化した、次にアメリカに負けてアメリカ化して次はまた江戸時代への復古が起こり国風文化の時代になる
そういうサイクルが日本の歴史にはあった
その時ちょうどコロナウィルスが世界に蔓延したというのも不思議である
コロナウィルスでこれだけの変化をもたらしていることが驚きである
人間だけの力では世界は変えられないことを見せつけられたのである




posted by 天華 at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187516186
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック