2020年05月31日

農業を知らなければ自然も田舎もわからない (今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)


農業を知らなければ自然も田舎もわからない

(今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)

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「鍬ハ国々にて三里を隔ずして違ふものなり」と述べ、各地の特色ある鍬を図示しているが、この中に「若州小浜辺之鍬」「越前敦賀ニ用ル中鍬」が含まれている。鍬は刃と柄の角度が大きく、頭上から打ち下ろして土中深く耕す「打ち鍬」、刃と柄の角度が小さく、土中深く打ち込むのではなく、土を浚え移動させるのに便利な「引き鍬」、その中間で、粘質土に適した「打引き鍬」の三つに分類される


乾田では土が硬くなっているので、まず深さ20cmくらいまでの土を細かく砕く「荒起こし」を行います。その後、深く耕すためには人力による鍬では対応できないため、牛や馬の力を用いる馬耕とセットで奨励されました。
「乾田馬耕」により、収量は倍近くになり、稲刈りの後に麦などを栽培する裏作が可能となりました。

明治後期に入ると馬耕用の犂が使われます。堆肥を田んぼ一面にまいてから、牛や馬に犂を引かせて土を起こします。


年内に全県の112万ムーの土地を「大きく生まれ変わらせる」計画であるという。そして、土地は深く耕すことにより、水と肥料の呼応化を充分に発揮させることができ、収穫量を数十%から100%、数百%も増加させることができると述べた。

これに対して毛沢東は、5月27日八期二中全会で以下のように述べて、全国に長葛県の経験を広めるように呼びかけた。

「一尺五寸の深耕は大きな発明である。長葛の経験は全ての各県に問題を投げかけている。もし長葛県が今年一年で全県の耕地112万ムーで深耕をおこなったとすると、別の県でできないということがあろうか?一年で無理なら二年、二年で無理なら三年、三年で無理なら四年、四年で無理でも五年ならできるだろう!」

《若干重大决策与事件的回~・t,薄一波著,中共党史出版社,2008-1 


今の機械では土は深く掘れない
牛馬で鋤で掘りおこしたとき深く掘れた
何か機械の方が深く掘れると思った、だから意外だった、土を耕す掘るということは土作りに不可欠である、土を掘ってまぜるとかで土作りになる
農業の基本は土作りである、それは花でもそうなのである、土が良くなかったら花すら咲かないのである
深耕という言葉が何かひびくものがある、文化がcultureでありcultivateが基である
つまり文化というのは農業から土を耕すことから生まれたのである
俳句の季語でも農業から生まれているからである
だから本当は農業を知らないと俳句すら理解できないとなる
つまりこうして文化の基は農業にあった、ところが肝心の農業を知ることは容易ではない田舎に住んでも今は農業している人は一割にもみたない
農業がいかに苦労が多く様々な技術も必要であり道具も必要であり知識の範囲も広いのである
だから農業の世界は奥深いし簡単に知ることはできないのである

ただ自然を知りたいなら農業を実地ですれば体で自然を知ることになる
私の場合はただそうして外から見ているだけであり実地に体で知りえないのである
ただ実地でわずかの畑で野菜作りしている女性から聞いた話で興味をもったのである
ただそこではほとんど何もとれなかった
そこで道具代から肥料代から苗代から薬から金ばかりかかっただけである
正直十倍の金はかかり収穫はほとんどなかった
ただ農業の苦労話を聞いただけである、ただそれでも農業とはどういうものか実地に知るということがあった、その知るために金を払ったともなる

私のように自然を実際の農業をするのではなく何か芸術的に精神的なものとして見る
それでは本当の自然がどういうものか体得することはできない
農業を実地にして実りを得ている人は実地に自然を体得している
ただ農業していたら何か文章書いたり知的なことはできなくなる
それだけ手間であり体力も使うからである、とても家事から何から一人ではできない
要するに人間はあらゆることに通じることができない

でも田舎に住んでいて農業を知らないということは肝心なことが欠けているのだ
それで浪江町の東電に電気関係で働いていた人が回りは草ぼうぼうでも何の関心もない
それで東電で働いて金を残したとか全く田舎に住んでいて農業に関心もない
それで周りが草ぼうぼうでもなんとも感じていない、東電の社員であり農業とは関係なく住んでいたからこの人は全くの都会人になっていたのである
だから田舎に住んでも今や仕事は農業ではないとしたら農業のことはわからない
戦前では8割が農民だったとかあり戦後も引揚者が農業するために開墾に入った
そういう場所がすぐ近くに残っていた、現実にそういう人を子供の時知っていた
つまり戦後焼野原になったとき仕事は農業するほかなかったのである
その後十年くらいして電器製品が売れて高度成長時代になったのである

例えば田んぼがあるとして田んぼに水を張ることで稲作が飛躍的に発展した
つまり田んぼに水を張るということが様々な効用があり稲をとるのに進化した形態だった水の効用でそうなった、その前は乾田であり陸田とか陸稲だったりしたからだ
つまり農業というのは道具でもそうだが絶えず進歩してきたのである
だから本当は人間は自然をしるためには農業を知ることが不可欠である
でも田舎に住んでいても田畑に囲まれていても実際に農業を知っている人は少ないのである、そもそも農業を仕事にしなくなったからである

毛沢東が農業を指導していたからこそ農民の心を知ったとなる
つまり農業の実地の指導者でなければまた国家の指導者でもありえなかったのである
そこに毛沢東の偉大さがあったがそれは農業をしていないと理解できなとなっていた
それは中国は農業国家だからそうなっていたのである
でもその後工業国家になったときやはり農業が軽んじられるようになった
それは世界的に共通している

とにかく深耕というとき何かこの言葉に魅かれる、深く耕すとはあるゆることに言える
あらゆるものは深く耕してその知識でも技術でも深めてゆく進歩させてゆくものだからである

富める者は、必ずといってもよいほど、その前から徳を積んだものである、もし麦を蒔かなかったら、来年は麦がまったく実らない。麦の実りは冬から力を入れてきたからである稲を仕つければ秋には実る。米の実りは、春から丹精して(心を込めて励んで)きたからである

こういう思考は農業を実地にしていなければ生まれないのである

音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)を繰り返しつつ(二宮尊徳)

二宮尊徳には芸術的に見ていない、自然には音もあり香もある、天地の経を読むということは天地を知ること土を知ること自然を知ることが農業だったからである
人間とは絶えざる努力なのである、今あるものは田んぼすら水を張るということが先人の工夫として生まれたのである、だからそうした歴史を知ることがあらゆることで人間を知ることなのである

おそらく江戸時代から明治維新でも工業化しても戦後十年でも依然として農業が基本でありそこから文化が生まれていたのである、工業でも道具を作ることで農業と結びついていたのである
だから現代が農業から心でも離れたという時、小高の人は親が農業していたが金にならないので農業だけはするなと殴られたという、つまりそのことはいかに農業というのが農家自身で苦労が多いだけとなって捨てたのである
でもその時何が起きたのか?原発に農業を捨てた子供は働くようになった
そのことで空気も水も土を汚染されて故郷に住めなくなったのである
自然を守るとういが実は実際に自然で生活している人がいて守られるということがある
狩猟でも動物をとるのは殺生だとするがそこで動物とも自然とも深く交わる術を学ぶのは農業と同じなのである、そういう生活から人間は都市人間は離れすぎてしまった
自然という時何か自分自身がそうなのだけど表面の美だけを見たりしている   

実際は自然の中で食料でもいろいろ自然を活用したとき自然を知るのである
自然を守るとういうが森林でも外材に頼り肝心の自国の木材を利用しないとき枝打ちとかしなくなり森林は荒れてしまったのである
だから自然を守れとか景観を守れというが自然と深く交わるには自然の中で生活して自然を利用して活用する時自然を知るとなる
そういうことが第一田舎に住んでいる人さえなくなっていたのである
それは自分のように表面的にだけ自然を風流として見ているものも同じである
何かそういうことから自然を知るといってもそれは観念的になる
ただ正直農業をするということは体力的にきついから知的な仕事をするとなると両方を兼ねることはむずかしくなるのである

posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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