2020年07月06日

世界一孤独だが、健康で長生き…「日本人男性」という修行僧


世界一孤独だが、健康で長生き…「日本人男性」という修行僧


日本には「孤高」を美化する精神文化があります。孤独がストレスとなっていても、不規則な生活から飲み過ぎ、喫煙、運動不足、肥満などに陥ることもなく、そのストレスを少なからず改善させるほどに、日々の独り身の生活を前向きにとらえ、平穏な心身の状態で行動できている人が多くいるのではないでしょうか。

この記事で日本人が孤高を美化するという精神文化はうそだろう
日本人に言われるのは常に集団ですることき仕事でもなんでも効果を発する
個人になると弱い、一方中国でも個人主義であり個人になると強い、だから英雄が出るのは大陸国家である、アメリカでもトランプ大統領はマスクをしないというとき弱さを見せたくないからだという、日本だったらそんなこと言う人いないからである
日本はとにかく全体に同調して個で行動する人はほとんどいない、同調圧力が強いのである
だから孤高を美化するなどありえないと思う
そういう人は社会からはずれアウトサイダーになる、それをできるのは特殊な異常に個性が強い天才肌の人間だとなる、そういう人は日本人にはまれである

ただ退職したりすると会社とかの仲間もいないしどうしても孤立しやすくなる
地域などでも今はなく受け入れることができない、ボランティアでもそうだがかえって
そういう人は迷惑にされる、それで正論おじさんとか議員をやめた人が何か川をかってにして迷惑だとか訴えられたりする
つまり今は一旦会社でも退職すると用のない人間にされる
それで住宅の隣で何かわめいていて奇怪な行動をしている80くらいの老人に悩まされている人がいる
なんらかこうして迷惑老人になりやすい、現代は老人の居場所がないのである

ボランティアも簡単にできない、ボランティアも権力をもたないとできない
それは自分自身がたまたま無人駅でボランティアのまねごとをしたら駅長やら客からも拒否されたからである、勝手なことをするな、迷惑だとかしかならない
それがある程度役に立っていてもそうだった
誰も認めないから今度は怪しい人だと警察に通報されて職務質問されただけである
でももしNPOとかとして認められて権力をもてばそういうことはないのである
だから個人的にはボランティアをすることは不可能なのである
そして個人的なボランティアには何の保証もないとか言うのもそうである
こういうことが事件化したのが正論おじさんとか退職した議員が川を勝手に掃除したのかなにかで問題になった
奇妙なことは行政の許可なくしたことでそうなった
つまり議員であっても退職したら権力を失うのだからそうなる
つまりボランティアでも何らか権力がないとできないのである
だから退職してボランティアすることは簡単にできない、そして高齢化社会では無用な老人が膨大に増えるのである、そして変な老人として社会では問題にされ排斥されるだけだとなる

「真面目に自分と向き合う」ことは「コツコツと努力する」ことでもあります。こうした性格が、実は最も長生きできる可能性のあることがわかったのです。2011年に米国で発表された、性格と寿命についての80年にわたる男女1.5千人余りの追跡調査研究で明らかにされました(フリードマンHS、マーティンLR、『長寿と性格 なぜ、あの人は長生きなのか』清流出版2012年)

これは本当である、その具体的例が私の母親だった、まず暇なく家事でも何でもこまめに動き働いていたのである
それも93才とかまで家事をしていた、若い時から暇なく働いていた
働き詰めの人生だった、それがすべていいものではなかった、花にも何にも興味もない働き蟻の一生だった、それも本当にそうなると人間も異常化していたのである
ただそうして94までも家事をして用事があり働いていた結果認知症にもならなかった
ただ95以上になり認知症になったことはやむをえないことである
ただ長生きしたということはそういうふうな性格がありまた何より家でする仕事があったからである
嫁にお母さんは何にもしないでいいですよ、ゆっくりテレビでも見ていてくださいと言われる姑は認知症になるというのもわかる
つまり何の用事もなくなるから張り合いもなく脳までボケて来るから怖いのである
そして本当に何か変な恰好してわけのわからないことをわめいている老人のようになる
その人には用事がないからそうなるのである、何の用もない人になりそうなる

だから人生百年時代は何か退職してもその後が長いのだから何か社会にとっても用ある役に立つ人間になることが大事になる、でもそれを見出すことは相当に今はむずかしいのである、芸術家になれととかいっても簡単になれないだろう
では社会に役立つといっても簡単に受け入れられないのである
つまり会社という組織があって権力をもっているとき社会に役立つとなるからだ
それで不思議なのは近くの自転車屋である
病気でありそれも悪い病気でも5年より以上長く仕事をつづけている
今は一軒しか町にないから忙しいのである
また一軒しかないとなれば町にとって困る、隣の市に行ったらお前は来るなと言われたからだ、なにかそういうせこいのが田舎なのである
他の人も言われたからである、ただそこの自転車屋はそういうことはいわない
他で買った自転車の修理もしているのである、なにか商売できる人だからこの辺ではめずらしいとなる

ただなぜそんなに病気でも仕事できるのか? 

それが謎なのだがやはりそれが生きがいとなり周りの人からも仕事してくれという要求がある、そのために死なないともなっているのかもしれない、ボランティアだとそういうことはない、もしそれが周りの人からの要求がありそれを満たしていればいらないとはならないからだ、でも現実に会社を退職したらそういう仕事につくことは相当にむずかしい
なぜなら自転車屋でも長年仕事しているからできる、技術的にもできる
だから簡単に何でも仕事ができるとはならない、自分にしてもこうしてプログで書けるのはやはりそれなりの知識の積み重ねと経験があってできることである
まず退職して一から新しいことを始めることは容易なことではないからだ
だから人生百年時代は金でもそうだがこうして何をするかということでも問題になる
それに備えられる人はまれだともなり無用老人となり迷惑老人になる人の方が多くなるのである、孤高に生きる老人はまれだろう、孤立して無用老人になる方が圧倒的に多いのである
だからこの記事は何かおかしいと思って読んだ、ただいちいち記事の解説でもこうしてすぐにコメントしたりできるのはインタ−ネットでできたことである
新聞の記事の解説でもいちいちすぐに答えることなどできなかったからである
そこが言論でもインタ−ネットで変わったことである

ただ同感することは「修行僧」のようになりやすくなる、なぜならあまりそもそも人と接する必要がなくなるからだ、会社に勤めて入たらそうはならない、会社を退職すると接触するのは妻とかしかなくなる、それで妻の後をついてゆくだけでありそれで妻からも迷惑がられているのが現状だからである
一方で会社勤めしていないから孤独にもなり人とも付き合わないとなるとそこで誰とも話さないとなり「沈黙」していられる、普通は会社などではできないからだ
自分自身は引きこもりで30年間とかそうしてきたからそれが自分にとっては普通だったからただ延長しているだけだとなる
でも退職した人はそうして環境ががらりと変わるから戸惑うとなるのである
ただ人間関係のわずらわしさがなくなり妻がいれば別にそんなに人と付き合う必要もないそれほど孤独も感じないのである、ただ一人だけになると感じる
だから今は自分も一人でありしかたないから一人の女性とは話したりしている
あとは自分自身が「修行僧」なのである、それは前からそうだったから違和感がないとなっているのだ、でも急激な環境の変化に退職すると戸惑うことは確かである

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