2020年07月12日

この世に生まれたこと自体、カルマだった (カルマとは業(罪)であり責任でありあらゆることに責任がつきまとっている)


この世に生まれたこと自体、カルマだった

(カルマとは業(罪)であり責任でありあらゆることに責任がつきまとっている)

なんか技術者でもそうである、車の事故を起こしてエアバッグの不具合でタカタとかの会社が倒産したとかある
技術的問題があり死者もでたのでそうなった、アメリカに訴えられたからその補償金でつぶれるともなった
今回のヤマハの電動自転車は何度もすすめた、ただそれの弱点はスタンドがないことと荷台がつけられないことだった
それで近くの自転車屋がスタンドをつけてくれた、それは結構技術的にむずかしいものだったのである、だから最初はどこに置いても倒れていて困った
意外とスタンドがないことは困るのである
でもちょっと直したら倒れなくなった、これは助かった、もしスタンドでも倒れるだけならつけても無駄だった、それを進めるべきものではなかったとなる
何の役にもたたないからである、すると金を損しただけだとなる
そして責任をとれとか言う人もでてくる
でも直ったのでそこの自転車屋はそれなりに技術力があるとして評価する           

地銀のことをいろいろ言ったがこれもまた責任問題になる
投資信託のことをまかせてくださいというから営業の人にまかした
でもそれはいろいろな事情で株とにている、だから損してもその責任は営業の人でも
地銀でも一切とらない、理由はいろいろ言えるからである

結局あなたの責任です!

こうなるだけである、地銀では営業の人でも手数料はがっちりとるが損したとしても一切責任はとらない、損させたのはそれを買った客であり地銀でも営業の人でもないのである株があがると言われて買ったのだから下がったらどうしますか、何もしません
株はいろいろな事情で上がったり下がったりするものですとなるだけである
つまり地銀であれ営業であれ責任一切とらないのである

すると知識のないものはやるな!

株でも投資信託でも知っている人、自分で決められる人がやるべきだとなる
すると営業の人がすすめたとしてもその商品に対して責任をとるのは客である
だからその見極めをできないものは買うなとなる
私自身は株でも投資信託でも知らなかったけどまかせた
でも何も知らなくてまかせても責任は客にあり地銀とか営業にはないのである 

ただトータルでは運よくというか損しなかったので営業の人にでも何も言わない
でも怖かったのはJ-REITがコロナウィルスで暴落したことである
半分になったことである
私はどうして一月に売ったかというとどうしても営業の人を信じられなくなって売ってくれとなったのである
それが功を奏して損せずに済んだのである

何か営業というとき人を媒介するからその人を責めることになる
営業の人が責任をあるようになり責めるとなる
それで裁判になり営業の人が銀行が訴えられたりしたことがあった
それはどうしてもそこに人が介在するから媒介するからその人が責任を課せられる
例えば人を紹介して雇ってもらったりしても紹介した人が責められるということがある
つまり媒介した人が責任があるし紹介してもらった人はその人に責任が課せられるから
下手なことはできないともなる
連帯証人とかなったらその重い責任から逃れられなくなる

だから何か人間はあらゆるところで責任がつきまとっている、だから契約では常に責任を明確にして責任はとりませんと記しておくのである
それだけ必ず人間は責任問題になるからそれに備えるためにそうなる
だから銀行では損したのはあなたのせいであり私たちのせいではありませんとなっているこれは本当なのである、別に銀行に全部責任があるわけではない
そういうものとして売っているからである
それをふまえて客は買うのでありその責任をとれないものは買った方が悪いとなる

ただ投資信託でも保険でもなんでも説明責任はある
医者が手術するにも命にかかわるから説明する、でも患者も良くわからないから医者に従うだけだとなる、そしてそこでミスがあっても医者は責任をとらない
余程のことでないかぎり責任はとらない、その責任を重くすると手術すらできなくなるからである、それでシステム的に責任はとらない、手術してガーゼを残していたとか時々ある、でもその責任を全くとらなかったこと知人で知っている
ただ苦しめられ損になっただけだとなる

原発事故でもあれだけ安全神話まで作り安全だと言ったのに安全ではなかった
そして故郷に住めないまでになったが東電の幹部でも国でも責任はとらない
でも必ず人間社会は責任をとらされるのである
国家の指導部の過ちの責任は国民がとらされる、戦争で3百万人死んだのは国民が責任をとらされたからである、原発事故で莫大な補償金とか事故処理の除染でも何兆円の金は税金として国民にはねかえってゆく
ただそうした大きなことは何か責任として意識しにくいのである

何か買い物でもクレマーがいる、十円二十円のことで文句言うのはその人がそれだけ貧乏だからである、そういう小さいことだと責任が追及されやすいのである
小悪は罰せられやすいが大悪は罰せられずかえって称賛されるのである

(我々は小盗を捕らえるが、大盗には脱帽する)

世の中というものは、自分よりも弱い者に対しては圧迫したり高圧的な態度をとったりするが、強い者に対しては見て見ぬふりをしたり、追従したりするものだということ。
日本で似た意味をもつことわざに、「長い物には巻かれろ」があります。

これは外国の諺だった、この大盗は官僚とか政治家とか何かしらこの世で権力をもったものである、こういう人は税金を盗んでも別にとがめられることないのである
それで自分自身でも家族が公務員だったから知っている
何かこうした地位にあるものは得するのである
それで自分自身も得していたともなるからなかなか責められない
でもなぜ自分自身が介護とかなり苦しんだのはそうしたことがカルマとなっていたのかもしれない、何か金でもそこにカルマがついてまわっているのである  
家族には親族でも必ずカルマがあり親の因果が子に報えるのである
高い地位についたりまた株などでも金融でも世界の富を一人じめするような人がいること自体それが巨大なカルマとなっている、だから大金持ちとかはいい死に方をしないともなる、もの凄い業をカルマをもつようになり最後は家族でも不和となりその報いを受ける
金がないのもカルマであり金がありすぎるのもカルマになっているのだ
だからどこかでそのカルマを払うことが必要でありそうでないと必ず清算を迫られるのである、なぜなら金は具体的なカルマであり責任としてわかりやすいからである

それで夫の借金に苦しめられている女性がプログに書いている
その重圧はいくら支払っても支払い切れないのである
そもそも収入も少ないから払いきれないのである、その借金のカルマはわかりやすい
払っても払っても払いきれない、その借金はシシュポスの神話の岩のようである
もちあげても持ち上げても終わりなく持ちあげる業である
それはまさに借金を返し続けるカルマともにている、借金という重圧から解放されないのである

ともかく人間は常に責任をカルマを負わされている存在である
これから逃れようがないのである、どんな仕事でも必ず責任が課せられている
もう何もしなくても存在するだけで責任が課せられている
住むこと自体が責任を課せられている、原発事故でもそうである
そんなの関係ないよとはならなかった、その地域の責任でありみんなに課せられていたのである、ただそういう自覚がなかっただけだったのである

人間は死んでもカルマから責任から逃れられない

死後裁きにあう


「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定められている」

この世は公平ではない、地位高きものも大盗でありでもこの世では裁かれない
裁くことは人間にはできない、裁く権能があるのは神だけだとなる

たいがい死んだら罪も何もなくなる、無となると思う
でも無にならずに裁かれる、あなたがこの世でしたことでも裁かれる
そして怖いことはあなたの知らないことで裁かれることである
隠された罪が暴かれる、それを見逃すことは神がはないからである
死んでもカルマから業から罪から逃れられないのである

そして集団とかは権力のことでありその集団に属していたことでも裁かれる
宗教の集団に属することでカルマから罪から逃れられない、かえってそこで悪は隠されているのである
カルト教団などでは絶対に人の罪のことなど問わないからである
そこにはどんな人間でもいいのである、一票になるとか会員が増えればいいだけなのである

だから神は人の心をみるというときどうして集団だったら見れるのか?

集団に魂があるのか?個々人にしか魂はないし見ることもできない
まず集団が絶対にその心が清いなどということはないからである
その証拠にみんな集団化したものはこの世の利権と利益を求めているたとで一致しているからである、それはあらゆる集団でそうなのである
政教分離に反対するのは神道派でも仏教派でもあらゆる宗教集団で反対だからである
税金をとられることだから一致して反対するのである

カルマとは前世の行為の結果をこの世で支払うことである、生まれた時にすでにカルマを業をもって生れカルマを支払わされる
つまり生まれたこと自体すでに借金を負わされているのだ
だから延々と借金を払い続けねばならいカルマをもっているとなる
そして死んでもやはりカルマは清算できない、一見死ねばこの世から消えるのだから責任もカルマもなくなると思う
でも現実はこの世からあの世は連続している、あの世でカルマは罪は明確になりかえって逃れることはできなくなる、この世ではいろいろな罪であれまやかしであれ何でもあれ隠すことができるがあの世では隠せないのである
太陽より強烈な霊の光に照射されからである、そこで闇がなく逃れられないのである


多重債務の夫と見つめ合う私

延々と借金返済のために苦しんでいる、それも夫の借金である、このようにカルマから脱することはできない、払っても払っても借金が消えないのである
人間はこれとにている、カルマを消すことができないのである
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