疫神社(八坂神社がなぜ多いの?)
(渡来神と疫病除けの神の謎ー災難が連続するのはなぜなのか)
私たちの郷里の疫神社にはこういう由緒が書かれています。
「明暦二年(一六五九年)多田村及近邑に疾疫流行し、人民なやみ苦しめり其年十月祠官有光時安十七日間身を浄め、神道を以て妙見大明神に其の事を伺い奉るに、祇園三社を勧請し祈祷をなすべしとの霊告によりて那珂郡博多の津祇園の神を祀り、病邪たちどころに退き邑村の悦ぶところとなる。」
かんながらの道
神道を以て妙見大明神に其の事を伺い奉るに、祇園三社を勧請し祈祷をなすべしとの霊告によりて那珂郡博多の津祇園の神を祀り
八坂神社の境内の三社を巡って御朱印をいただける「三社詣」です。
朱印を頂く宝船の絵が入った用紙をとり、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊の六世孫にあたる大国主社からスタートし、続いて八坂神社、つまり御本社へ、そして最後に大国主命の御子神でもある蛭子社(北向蛭子社)へ
元慶元年(877)疫病が流行したので占ったところ、東南の神の祟りとされた。そのため各社に祈り奉幣が行われたが、一向に治まらなかった。さらに占ったところ、東山の小祠の祟りとわかり勅使を発遣、祈ったところ疫病の流行が止んだ。これが祇園社の発展の契機となり
ここに祀られている蘇民将来は、牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊)から疫病を免れる茅(ち)の輪を授けられたという伝承があります。蘇民将来に縁のあるものは疫病にかからないとされ、有名な祇園祭では、粽(ちまき)などに疫病退散を願って「蘇民将来之子孫也」と書かれた札が付けられます。
平家物語の冒頭の部分、「祇園精舎の鐘の音」とあるように、江戸時代までは、仏教寺院にある鐘もあったわけです。
この辺で多い神社は綿津見神社と山津見神社と八坂神社とかである
これは本当に多い、ただ八坂神社は全国的に多いのである
綿津見神社と山津見神社も渡来系の安曇氏などの祀る神だから渡来系である
ここで不思議なのは津祇園神社とある、この津なのである、これはこの辺に津神社がいくつかあることで考察した、これは津とあってもツノ神社と読んでいる
それがまぎらわしいのである、ツノとはツノガノアラシトのことのである
伽耶(かや)国の王子のことであり渡来系であり鉄を生産する技術をもった人たちでありこの地に来て鉄作りをしたのである
その跡が今の東北電力の火力発電所のある場所である
津神社は原町に二カ所とかあり相馬市の松川浦に津神社があるがその呼び名はツノミツ神社なのである、これは津波の神様だとかしたが違っていた
また妙見神社は相馬氏の祀る神でありそれは北斗七星でありこれも中国からもたらされた神なのである
神社というとき渡来系が多い、それは何を意味しているのか?
神社は祖先を祭ることが多い、とするとそれだけ渡来系の神社があるということは渡来人が日本に相当数きてその人たちが日本の国造りをしたとなる
ただ謎は逆に縄文時代から韓国の釜山辺りとか伽耶国のあった場所は韓半島でも別な地域であり文化も違っていた、それで縄文人が渡って行っていたともある、その証拠も発掘されている、つまり伽耶国とは必ずしも外国というのではなく日本と一体化した国だったことは確かである
そしてそこが照葉樹林文化帯に属している、そこは気候的にもそうなのである
南相馬市の原町区の原町区江井字西山のスダシイ神社はスダシイの北限の地としている
そして同じく鹿島区海老村のマルハシャリンバイも奄美大島から種が流れて来て根付いた北限の地とされているのである
そういうふうに気候的に温帯地域と寒帯地域の境界線としてあった地域である
その気候風土の境界線が国の境界線にもなるのが歴史ではある
陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを (笠女郎)
この万葉集の歌はその境界線だからこそ歌われたのである、ここまでは奈良時代にも知られた地域であり大和王権の領域ともなっていたのである
ではなぜこの渡来神が疫病を防ぐ神ともなったのか?
蘇民将来なども中国系の渡来神である、何かもともといた縄文人なのかその人たちが技術をもった渡来系の人たちに頼ったのかもしれない、技術をもっているということは医学の知識もあったのかもしれない、漢方薬などがそうである
それで他の病気でも直したことがありそれで頼ったのかもしれない、信仰といっても科学技術がないときは神に頼るほかないのである
それで会津であれだけ800年とか寺院が建てられたのは加持祈祷のためだったのであるだから疫病にしても加持祈祷になる、それしか方法がないからである
ともかくなぜこれほど災害がつづくのか?
それを確かに科学で解明するのが現代である、でも解明できない、対処する方法もない
ワクチンの開発をしているがコロナウィルスの正体は不明である
一度できた抗体も消えたとかある、こうして不可解なものがあると神に頼るほかないのである
津浪にしてもなぜこんな恐ろしいことが起きるのか、それも確かに科学的に解明することが現代である、でも不可解なものが残る、科学だけですべてが解明できるのかという疑問にもなる、なぜなら科学がすべてを解明していないからである
それで私は津波が起きたのは原発事故でも神からの罰だったと発言してきた
伝承でも一匹の魚を粗末に扱った結果として津波が来たということが伝えられている
漁師でも東電に漁業権を売り渡して原発御殿を建てていたとかある
それは原発前から多額の補償金をもらっていたからである
何かそうして魚をとれることよりまた米をとれることとか天地の恵みを軽視したことがあったことから原発事故が起きた
科学万能の時代だからそういうことは軽視されてきた
でもすべて科学で解明できないからこそそうもみる
第一自分自身の一身上でも家族の認知症にしてもこれも不可解な病気だったのである
そして回りで津波ー原発事故ーコロナウィルスと次々に災難が襲ってきた
これは何なのだろうとなる、それを科学で合理的に解明できるのか?
その災いのもとになっているのは何なのかとなる
それでカルマだともした、東京が一番今度は災いの地となったからだ
それで東京から来るな!
こうなったのもカルマだとなる、なぜなら福島から東京に逃れた人たちが放射能がうつるとして子供がいじめられたからである
そもそも原発は東京に作るのが危険だから福島に作ったのである
これこそ東京がやましいのである、危険を知っているからこそそうしたのである
別に東京に作って良かったのである、その方がコスト的には安上りだった
送電線でも安上りだったし東電の幹部は東京に住んでいるのだから管理しやすかったし東京都民が監視することになるから安全に目を光らせるからかえって安全が守られたとなるからだ
そして本当は津波が来ない高台に原発が作る予定だったのにコストがかかるとしてわざわざ土地を削って低くしたのである、それで津波に襲われたのである
女川の東北電力の原発も10メートルの高さにするところを副社長の提言でこの辺は津波が来るとして15メートルの高さにしてぎりぎりて難を逃れたのである
ともかくなぜこうして次々に災いが生れのか?
それが時代の大事件でも戦争でもそうである、それは偶然が重なり人智を越えたものが働いているのかとなる、戦争にしても結果はどうなるのかわからない、いくら計算しても
結果はふってみないとわからない、どう展開するかわからない、意外な結果にもなる
そこに神が関与しているのかともなる、偶然でもそれは偶然ではなく神が関与したとなると神の意志が働いたことになるからだ
聖書でも様々な災いがありその災いから逃れ守るのが神だったとなる
そこに確実に神の関与がありその奇跡を記したのが聖書である
とても科学的には説明できない、だからそんなことは作り事でありなかったともする
でも神が関与することは確かにある、ただわからないことはアメリカがなぜ日本に原爆をおとしたのか、そんなことをなぜ神が見過ごしていたのか?
神がいるのかいないのかともなる、つまり神の力が働いて原爆を落とす飛行機を墜落させても良かったとなるからだ
そんな悲惨なことを神がとめないのか?、そして津波でもそうである、なぜそんな悲惨なことを止めてくれないのかともなる
そもそもこの世にいるかぎり様々な災いから逃れようがないのである
この世はまさに火宅の世であり災いの世だということを実感した
いづれにしろカルマは必ずある、それは苦しみとなって現れるのである
本当に東京から来るなというとき東京が災いの地にもなったからだ
それは福島が災いの地となったされたと同じである
カルマは必ずいつかめぐってくる、でも何か早すぎた感じもする、カルマは何百年後かにもめぐって苦しみとなって現れるからである
次の災いは何なの?
もう米中戦争とかになる、これもカルマなのかもしれない、なぜなら日本は欧米と戦い
3百万人も死んだからである、その時中国は被害をそれほど出していない
その前に欧米に屈して植民地化されていたのである
その復讐として今中国が欧米を攻めてきているというのもカルマである
そして日本人に対してもそうだとなるがやはり欧米と対立して日本のようにつぶされるともなる
日本にされたことを今度は中国にされるのである、これもカルマなのである
この時日本が受けた苦しみを中国が受けることにもなる
ただその時また日本が戦争に巻き込まれるかもしれない、それはどう展開するかわからないのである
ただなぜこんなに災いが起きて来るのか、それが不可解でありそこにカルマが関係していることは間違えないのである
とにかくかんながらの道という神道による農業の実践には共感する
その思想に共感する、神道というとき明治以降は国家神道になったがもともとそういうものではなかった、神道というのはわかりにくいにしてもここでは農業として自然と一体化するものとして追求している、そして場を重視するというとき私が追求して来たものと同じであり不思議になった
外国でもそうして場の現象学とかに共感した、だから同じようなことを感じて同じことを追及している人はいるものだと思った、徳は孤ならず必ず隣あり・・・となる
思想的に共感するものがある、それは結局少数者である
大衆が共感するのは別なのである、それで現代ではアウトサイダー化するのである
かんながらの道 野見山広明
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