人間の運命の謎
(不平等の歴史ー人間の才能は常に活かされていなかった)
人間の謎は例えば家族でも同じ母親から生まれてもその運命は格段に差があったりする
それは自分自身の家族でもそうだった、兄がいたとしても父親は違うしそれで大きな差が生れた、兄とは5年しか一緒に家で暮らしていない
兄は集団就職で中卒だったが自分は勉強嫌いで高校でも卒業できない成績だったが
別にそんな成績でも私立文系の東京の大学に入った
この差も大きいとふりかえる、ただ集団就職は当時はクラスの3分の1がそうだったのである、大学に行けたのはクラスで50人とかいた場合があり4,5人だった
ということそれだけ恵まれていたということである
ただ今になると大学は高卒の半分は行っているしFランとか最低クラスでも一応大学に行ける、最近は親に金がなくても国が援助して借金しなくても行けるようになったという
だから大学は誰でも行ける時代になるのかもしれない
ただ大学の問題はピンからキリまであることなのだ、その差が大きいのである
特に文系となると何か大学でもみんな同じように見えてしまうのである
人間はなぜ個々人でも家族でも平等でないのか?
なぜ不平等が生れたのか?これはもう歴史がはじまってから生まれているからその要因はいろいろありそれを調べるとなると容易ではなくなる
例えば原始共産制とかの平等社会があったとしても狩りするとして狩りのうまい人と下手な人がいてそこで能力に差が生れリーダーになる人それに従う人がいてその部落が成り立つとかなる、人間には必ずそうして能力の差が生まれつきでもありそこで狩りのうまい人とか戦争で強い人とがリーダーになり王ともなり選ばれた兵士となり支配階級になる
それは日本でも侍がそうなったようにそういうことかどこの国でもある
そもそもなぜ奴隷が生れたのかというと部族同士で争い負けた方の人たちが奴隷にされる国同士で民族同士で争い負けると奴隷にされるのが大陸の歴史であった
そして不思議なのは奴隷というのは人権的に進歩した扱い方だったのである
なぜならさ戦争に負けると皆殺しにされていたからである
でも殺さないで奴隷として生かすということは人類史では進歩だったのである
要するに不平等とはこうして民と民の戦争の結果としても起きる、そこに能力の差が生れて起きる、個々人の不平等も能力の差から起きる、民族でも国家でもやはり国力とか能力の差があり戦争で負けると奴隷にされるのである
これは歴史から人間全体から見るとそうなるが個々人でもそうなのである
能力の差が常にありそれで不平等が生れる
女性の場合は容姿が大きな不平等を産む原因となる
なぜその女性が何か知的にも活発なのに不遇に貧困に一生終わっているのか?
それを考えるとどうしても容姿が悪すぎたということにあったとしか思えない
頭は別に悪いというのではない、中卒でももともと女性でも頭がいいというか活発な人がいる、それは学歴のことではない、能力にいろいろあるからだ
コミニケーション能力でもそうである
ただ個々人の能力となると才能がもともとあったとしてもそれを活かすことは至難なのである
私の母親は大正生まれで貧困だった、それで10年間紡績工場で働いた、わずかに幼少の頃だけ恵まれて生活していたがその後は働きづめの生涯だったのである
尋常小学校を出て読み書きはできたにしろ後は何も勉強していない
またそうした余裕が与えられていないのである
だから花などいらないと庭に豆を植えていたのである、花は無駄なものとして見ていたのである
それは人間として大きく欠けたものになっていた、ただ別に花に興味がない女性もいた
その人は40代であり別に貧困ではない、花に親しまない家庭環境だったのかともなる
今は生け花とかの花嫁修業はしない、姉は貧困家庭でも生け花を習っていた
だから貧困でも花嫁修業させてくれたとかありその相違も大きいものだったのである
私は母の資質を受け継いでいる、何か文学的な才能があり俳句とか短歌を20代の頃から作り出した、でもそれはただ575とか並べるだけだったのである
でもなぜその後私は才能をそれなりに伸ばすことができたのか?
それは家庭環境に恵まれたからである、仕事はしないにしろ自由な時間が与えられて旅に明け暮れて一人家にこもり自然と一体化することをして詩を作ったりしていた
本も相当に読んだ、理解はしていないが読んでいたのである
才能はそもそも天才でないかぎり努力しして開発しないかぎり活かされないものである
何かしらの才能があってもそれを伸ばす環境がないと活かされないのである
だから膨大な人が才能があっても埋もれて死んでいるのである
それは家庭環境だけではない時代の不遇でも埋もれている
日本は戦争の時、有能な人が戦死したからである、若くして死んだからである
また病気で死んでもいる、長生きしないことでも才能が活かされないのである
だから人間の才能が活かされることは稀有なことかもしれない、何かしらの才能があっても活かされない人の方が膨大なのである
例えば知的なものを育てるにはそうした環境がないとできない、普通に暮らしていても結婚して子供をもったりするとまた家が狭いとかなると書斎もないとかなるとそこで読書したり書き物したり瞑想したり創作したりしにくくなるのである
子供が騒いだり妻にしても干渉されたりして集中できなくなる
それがテレワークでも起きている、仕事にも集中できないことが問題なのである
だからテレワークには広い家が必要なのである
私は大学の時に家を新築して大きな書斎までもっていたのである、ただその時本は少なかった、ただ子供の時は高校までは家が古い家であり個室がないから勉強に集中できなかった、というより勉強嫌いだったのである
私が勉強しはじめたのはむしろ大学を出たとか相当に遅れていたのである
でもその後引きこもりになり家にこもって本を読んだり俳句や短歌を作ったり詩を作ったりしていたのである、自然と一体化することをしていた
1日誰とも話しないということが普通の引きこもりだったのである
それはまるで禅僧のような生活だったのである
でも家族からとがめられないのでそうしていたのである
一面だからこれは異常なことだったのである、それで異常化したことも確かであり失敗もしたのである
ただこういう家庭環境にありその時早い時期から通信機能つきのワープロを買ったりしてすでにパソコン通信でもしていたしITになじんでいたとはなる
それも才能を伸ばすことでもあったとふりかえる
ただまともな社会生活をしていないから異常化していたのである
人間は確かに不平等を作りだしている一番の原因は家庭環境だと思う
それで親に愛されない人はみんな底辺になるとか言う人もいる
そういうことでは自分は特別恵まれていたのである
家庭環境が不平等の原因だというとき才能でも学校ができるまえは自宅で学習するほかない、するとそこに学ぶ環境が本とかがなければ勉強しようがないとなる
それでなぜヨ−ロッパに天才が多いのかというとそうしして貴族の家には学ぶ環境があったからだとなる、第一ピアノがなければ音楽の才能を発揮することはできないしモーツアルトは幼児の時からそうした訓練をしていたことでもわかる
ここに大きな差があり不平等が生れていたのである
なぜ人間は不平等になってしまうのか?
それはいろいろな原因があり解決できない、それで財産でもある人がない人がいて
fortuneとは運命であり財産の意味もある、つまり金運がいい人と悪い人がいるというときそういう考えないのである、どうして金のある人とない人が生れるのか?
それは本人の努力とか才能だけではない、運が関係しているともなる
運がないと事業でもなんでもうまくいかないともなるからだ
ただこの運にしても自分の家族をみても兄弟でも必ず不平等が生れて差かつくのである
つまり何でも平等であることは不可能である、平等を目指した共産主義が皮肉にも中国のようにもっとも格差が激しい者かいなったからである
共産党員が富を独占することになったからである
こういうことでそもそも人間は平等な社会を作ることは不可能である
それでインドではカースト制を作った、生まれつき平等はない、不平等だなのが人間の定めだとまでなってそうてったのである
ただ時代的には現代が一番才能を伸ばしやすい時代である
なぜならなぜ必ず田舎でもニートとか子供部屋おじさんとか働かない人がいるのか?
なぜかそういう人と自分は逢うことが多いのである
同類になるからそうなるともなる、そういう人は別に嫌なことはしなくてもいい自分のしたこいことをすればいいとなると才能を伸ばすことができるのである
才能は何かそもそも開発しない限りてきない、すると自由な時間がありそれなりの環境がないとできないのである、ある程度の本を買うとかの資産も必要なのである
ただ才能といっても多様だからどういうふうに伸ばせるかは個々人で違っている
ビジネスの才能とかはまた別であり社会訓練しないとできないのが普通である
それで不思議なのは自分のしているパソコンによるり抽象画の製作なのである
まず私は全く絵の才能がない、でもなぜ抽象画を作れるのか自分自身が不思議だった
それはコンピュターが生れてできたことなのである
そのソフトが生れてできたのである、つまりartとは技術のことであることがこれでわかった、技術が発達することで芸術も生れたということである
新しい絵の具が開発されたことで絵画も新しい絵画生まれたともなる
だから抽象画を作る時全く才能がなくてもできる、ただ機械的に操作してできる
つまりAIが創作しているのと同じでありそれに手を加えているだけだとなる
翻訳でも優秀になるからそうなったのである
人間の才能もだから機械によって開発されるということでありもしそうしたものがなければできないとなっていたのだ
第一映像の時代を築いたのはカメラだった、カメラによってどれだけ人間の才能が開発されたかでもわかる
そしてカメラでもレンズの方がカメラの本体より高いのが普通にある
でもプロになるとそうしたた高額なレンズを使うからいい写真とれるとなっているのだ
それはカメラの機械の差であり必ずしも才能の差ではないともなっている
そういうふうに時代によっても活かされるものと活かされないものがあり不平等が常にあるのが人間社会なのである
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