2020年08月15日

虹の写真をとれなかった(写真の効用)


虹の写真をとれなかった(写真の効用)

ここに雲と虹の写真が今日見たのと似ている
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ここに鉄道がありここを電車が通ればシャッターチャンスだった
でも一時間置きだから通らなかった
でもすぐ電車が来た、でもそのとき雲は暗くなってこんなに赤くなっていない
ただこの赤さはパソコンのソフトで調整したのである
実際に見た感じはこんなふうだったからだ

新築の家十軒ほど夏の雲

自転車に一雨ぬれて虹を見る

三方に夏の雲湧く盛夏かな

消え残る虹を惜しむや時はすぐ

夕陽さし赤々と映えぬ夏の雲 


虹が一雨ふって東の空にかかった、自転車で買い物に行ったら虹がでた
一部晴れていたのでぬれても行った
そしたら虹が出たのだがカメラをもっていなかった、何か肝心な時カメラがないのであるいい写真をとるとき

●カメラの良しあし

●シャッターチャンス

●構図を作る

とかあるがこれらの条件があってもシャッターチャンスがありこれは意外と大事である
カメラがいいものでなくても今回のようにシャッターチャンスを逃すと二度ととれない写真というのがある、それが結構多いのである
特に動いているものをとるのが至難なのである
絶えず動くものとは変化しているからうまくとれないのである
動いているものは自分で構図を作ってとらないとまたいいものがとれない
動いているからこそ定点でとることが大事になる

それで一日定点観測してカメラを構えて置く人がいる
富士山で半年もそうしていい写真を撮るためにいる人がいたとかそれほど富士山でも刻々変化するからそうなるのである
つまり自然は常に刻々変化している、そこでシャッターチャンスが大事になる
その一刻を逃すと二度とその場面をとれないからである
それは前にも経験していた、だからカメラは常時持っていることが必要になる
今はスマホとかもっているから便利である

写真をとるということは記録としても効用がある、なぜなら自分自身とった写真はさらに自分にとって価値がある、どういう場所でどういう季節に時期に撮ったかを記憶しているからである、すると自分が撮った写真から辺りのことを思い出すのである
それで外国旅行は写真で撮ったことが貴重になる
でも私が海外旅行したときはデジタルカメラの時代ではなかったから写真でもとる量が少なすぎたのである、でも写真を見て思い出すのである
今になるともう海外旅行ができないなと思った時貴重になる

いづれにしろシャッターチャンスもそうだがチャンスは人生に本当に一回二回くらいしかないものがある、例えはなぜ人はその女性と結婚したのか?
あの人がなぜあんな不細工な人と結婚したのかとみる
するとそれはその出会いの時がありそのチャンスをものにしたからだとなる
双方がまさにそのチャンスがあってそうなった
別に相性がいいとかなんとか様々な条件よりその時に出会った、チャンスをとらえたからだとなる
そして時間が過ぎるのが早いから二度とそのチャンスがなく消えてしまいまたたくまに老いてしまうのである
だから人生ではチャンスがタイミングが一番大事なのである
なぜならそのチャンスとかタイミングは二度と帰ってこないからである
チャンスとタイミングとは虹のようにたちまち消えてしまうのである

ただ虹でもこの辺は海に面していて必ず山に夕日が沈むとき海の方に虹が出る
それは住んでいればわかる、だから夕立がきて雨がふれば虹がかかりやすいのである
するとそこを狙って虹もとれるとなる、でもそれが結構手間だとはなる

自然を感じるというときやはりもし車だったら雨にぬれない、それはいいものとみる
でも自然を感じないのである、車の問題は風も感じないし雨ももちろん感じない
それは快適なのだけど自然を感じないのである
春雨や濡れて帰ろう・・・とかならないのである
つまり風流がなくなるのである、風流とは風の流れでありその流れを感じさせないのが車なのである
だから私は車が好きではない、車は絵にも詩にもなりにくい、でも電車とかなぜか風景ととけこみ絵になりやすいのである、それで撮り鉄がいる
でも電車は動いているから定点で撮る必要がありこれは結構手間である
旅したとしてもどこを選べばいいのかとか場所の設定とかがなかなかできないし時間がかかる、住んでいる場所ならわかるが旅しているとそれがわからないからだ

ともかく写真は文でもメモするより記憶を呼びだすから貴重である
そしてインタ−ネット時代になるとリアルタイムで放送できる
ただ今回のように場所が違うと虹は見れないから全国的には共有できない
でも月とかは世界で共有できる、同じ月を世界で見れるのである
それでリアルタイムで放送する、それは生放送になる
そうなると手間であり旅しながらまた放送するとなると苦しいとなる
前に文章だけでそうしたことがあった
でもかなり手間になる、でも写真を出すのはそれほどめんをとではないともなる
ただこれは一回もしていない、それだけする気力もなくなった
ほとんど家にいるようになったのが自分だからである












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