2020年08月19日

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)


福島県コロナの感染者が会津にでない不思議

(スペイン風邪を分析して地理を見る)

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●会津に感染者が出ない謎

福島県のコロナウィルスで不思議なのは会津にまだ感染者が出ないのである
これは岩手県のようにここだけなぜ感染者が出ないのか?
最初は南相馬市から東京のライブハウスに行った人から感染者が出た
その人はすぐ近くだったから驚いた
でも会津では未だに感染者が出ていない
郡山市などが多いのは交通の要所だからわかる、中通りが出やすいのもわかる
新幹線が走り東京との交通が頻繁だからである

でも会津でも東京から会津鉄道がありそれなりに観光でも来ている
会津は観光収入が多い、会津の江戸時代のコレラの流行で考察したが会津若松市中心に拡散した、それで田島の方には逆に栃木県の方からではなく会津若松市から城のある所から伝染していたのである
また白河街道が江戸時代は主要な道路で新潟から阿賀野川も道路の役割りを果たしていたからそこを通じて人の流れがあり感染が広がった
新潟には北前船が入ってきて遠くからも感染した人が入ってきて伝染した
長崎からコレラは入ってきて感染者が増えたからである

でも不思議なのはなぜ会津で感染者が出ないのか、これが不思議なのである
人の行き来はやはり相当数ある、でも福島県で唯一感染者が出ていない
これには何か理由があるのだろうか?
県でも実際は満遍なく感染者が出ているのではなく出ていない地域がある
ただ東京から拡散してその周辺から感染者が徐々に増えた
茨城県が最初少なかったがやはり増えた、予想したのは東北では仙台市が多くなると診たかその通りになった、あれだけ東京から人が流入するのだから感染は増えるとと思った
ともか感染者はコレラでもそうだが交通と深く関係しているのである

江戸時代でコレラがあれほど会津の城ある所から感染者が増えたのはその当時福島県は会津中心の社会だったかもしれない、今見ている感覚と違っていたのかもしれない
福島県は福島市に県庁が置かれたがここに何か藩があったとか城があったとかないのである、郡山市にもない、三春藩があり郡山市は明治以降に発展したのである
中通りだと二本松が10万石で中心だったとなる
会津は30万石くらいだとすると中心が会津にあった
でもコロナウィルスでは一つのエアポケットのようになっている
この原因は何なのだろうと不思議なのである
今ならどうししても会津でも人の交流があり交通でも発達しているし感染するはずだからである

ただ全国の感染者を見るとやはり東京を中心にして大都市を中心にして感染している
東北では仙台中心であるが青森とか秋田とか岩手県は少ないのである
それは全国を見ても四国などでも感染者が少ない、大阪中心に感染者が増えたのはそこが人口密集地帯であり交通の要だから当然だとなる
ただ金沢など日本海側は比較的多いのもやはり交通の関係かもしれない
大坂京都ととの交通が古代からある場所だったからである
大伴家持が赴任した場所でもあったから古代から奈良と京都と交流があったからである
そして滋賀県が最初大阪に京都に近い割には少ないと見ていたがいづれ増えるだろうと見ていたらやはり増えたのである
何かこれは地理を見ていると予測できるのである
私は地理に興味がありそうなると見ていたのである 

●スペイン風の全国への感染  

最モ早ク發生ヲ見タルハ神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣ニシテ、之ト相前後シテ埼玉、山梨、奈良、島根、ヤ島、等ノ諸縣ヲ襲ヒ、九州ニ於テハ九月下旬ヨリ十月上旬ニ渉リ熊本、大分、長崎、宮崎、福岡、佐賀ノ各地ヲ襲ヒ、十月中旬ニハ山口、廣島、岡山、京都、和歌山、愛知ヲ侵シ、同時ニ東京、千葉、栃木、群馬等の關東方面ニ蔓延シ、爾餘ノ諸縣モ殆ント一旬ノ差ヲ見スシテ悉ク本病ノ侵襲ヲ蒙レリ、

神奈川、三重、岐阜、佐賀、熊本、愛媛等ニ流行再燃ノ報アリ、次テ十一月ニ至リ東京、京都、大阪ヲ始メトシ茨城、福島、群馬、長野、新潟、富山、石川、鳥取、静岡、愛知、奈良、和歌山、廣島、山口、香川、福岡、大分、鹿兒島、青森、北海道等に相前後シテ散發性流行ヲ見、爾餘ノ諸縣モ漸次流行ヲ來スニ至レリ」

1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.男子では1917-19年と1920-22年との両期間で年齢ピークの位置が異なっているのに対し,女子ではいずれの期間においても24-26歳の年齢域でピークを示している.また,女子のピークが男子に比して高いことも特筆に値する

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣というときここに東京が入っていない
神奈川というとき横浜市が神奈川である、その時東京より横浜の人口が多かったかもしれない、確かなことは東京から拡散していない、後から東京に拡散したのである

そしてここでも不思議なのは宮城県が出ていない、感染者が少ないのである
今なら仙台市が感染者が増えて東北に広がる、それは最初から見えていたのである


横浜市 1920(大正9年) 42万  

東京  1920      36万  


(A) 仙台市
■(B) 仙台圏 

1920年(大正9年)118,984 320,770   

福島市

大正09年35762   

郡山市

大正09年26218  

会津若松市

大正09年45492 


これでみるとスペイン風邪が流行した時に横浜市が東京より人口が大きいのである
つまり横浜市から文明開化が起こり人口が増えて次に東京が人口が増えたのである
おそらく神奈川から増えたというとき横浜市が中心に増えたとなる

福島県では会津若松市が一番人口が多かった、つまりその時でも会津若松市が福島県の中心的存在ともなっていた
仙台市はすでに11万だから多い仙台圏となると32万だから多い

●東北の感染拡大地図

仙台市にも広がったが仙台市が特別多いとはなっていない
新潟県が多いからその方面から伝染したのかもしれない
それは江戸時代のつづきだったともなる
最初に仙台市が増えるようなことはない
鉄道とか交通が発達していないからである

次の感染地図を見ればわかる

spanishvirus1.jpg

spanish222.jpg

新潟県が多いのは江戸時代の延長にもなっている
1920になるとやはり宮城県は福島県より増えている
ただ福島県の方が先に伝染している
宮城県は後だということは当時の交通が影響している



仙台市にも広がったが今だと仙台市から東北へ拡散するが当時は福島県から拡散した
当時の交通は確かに鉄道は通っていたとしても主に貨物輸送であり人がそんなに乗らなかったのである、今のように観光旅行などしていないからである
文人などが一部していただけで庶民はしていないのである
ただ大正時代生れでもその後成年になって東京に行く人が増えたのである

いづれにしろウィルスは交通と深く関係していた、それは確実にそうである
だから最初は東京に近い茨城県が少ないと見たが増えた
大坂京都に近い滋賀県が少なかったがやはり増えたのである
つまり人口が多い密集地帯から拡散するのである
でも仙台市がそうならなかったのは交通が活発でなく人の行き来が今と違っていたからだと推測する、江戸時代だと北前船とかで新潟県から会津の方へ人の流入があり感染が広がったからだ、ただスペイン風邪でも新潟県が多いのである   

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


yokohamarail11.jpg


汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
(新橋)


鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで


愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

こんな感覚は今はない、ビルに埋まっているからである
ここで横浜ステーションとしていることが文明開化の地だからそうなった

posted by 老鶯 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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